ACT02 冒険街
ランプで照らされた薄暗い店内に、笑い声が響いた。
"常緑亭"という名前で知られるその店は、店というよりも、屋根と壁のあるバザールのような店だった。
広い屋根を支える柱が何本も建ち並び、板壁には様々な商品がぶら下がっている。
中央にいくつものテーブルが並び、その周囲の壁面にいくつもの様々な店が立ち並んでいる。酒場でもあり、武器屋でもあり、薬草屋でもある奇妙な空間だった。
ここは、王都の東側、通称"冒険街"と呼ばれる界隈だった。王都から辺境各地に出かける隊商や、宝探し目当ての冒険者達が出発拠点としてたむろする街だった。
王都を離れ長旅に出る前に、この街に来れば情報・地図・武器・薬草といった旅に必要な全てのものが揃う。酒やちょっとした料理を食べ、冒険者達が情報を交換したり、仲間を募ったりする社交の場だった。
辺境に足を踏み入れて宝を探したりする冒険者は、王都育ちの若者達のあこがれだった。
「運が悪かったんだよ」
鍔元近くで剣身を叩き切られた剣を見て、ベリアが大きなため息をついた。先程、五路広場でサキに剣を叩き折られた少年だった。
ベリアは細面のあどけない表情だった。まだ、幼さの残る顔立ちは端正で武人には不向きな線の細さがある。体つきも線が細く、剣術などとは無縁の文人向きの少年だった。
四人の中では、一番小柄だった。
「ベリア、お前んとこは、屋敷に剣なんざいくらでもあるだろ?」
ジェムが笑った。五路広場でサキにとっちめられた争いも、実戦の経験のない彼らにとっては、ちょっとした武勇伝だった。
「別に、剣の一振りくらい惜しくはないけどさ。この剣、結構軽くて気に入ってたんだ」
ベリアが、剣の柄を鞘に戻しながら呟いた。
先刻、サキに剣を向けようとして刃を叩き折られた剣が、四人の目の前にあった。鞘から抜ききる前に、サキの大刀に叩き折られた刃が鞘の中で引っ掛かっている。
ヴァンダール王家の騎士団が持つ標準的な剣は、頑丈で重い。体力の無い少年にとっては、一日中剣を持ち歩くだけでも重労働だった。必然的に、軽い剣を選ぶ。だが、剣が飾りとしか認識していない少年達にとっては、軽い剣ほど扱いづらい事をまだ知らない。
だが、脅しで剣を抜こうとした一瞬に刃を叩き折られるのは想定外だった。その太刀筋の鋭さは、彼らも見たことがない。
「シェフィールド家の邪々馬姫と知ってりゃ、真っ先に謝って避けたんだけどな」
「あの弯刀を見て気が付いたんだ」
「ジェム、それじゃあ、遅いよぉ」
四人の笑い声が響いた。
◆
人里離れた森林を走破するのに必要な装備品が、四人の目の前で輝いている。
持ち運びやすいよう軽く造られた鍋釜や、折りたたみ式の釣り竿、鉈や手斧などが、どれもこれも輝いて見える。
陳列台に並ぶ冒険者の必需品を、羨望の眼差しで眺めている四人を見て、傍らにいた店の老人が商売用の笑顔を見せた。
「どうだね、兄さん達も冒険旅に出てみちゃどうだい?」
老人は、陳列台の様々な品を指さした。
"常緑亭"というその店は、複数の零細商が共同でやっている奇妙な場所だった。大きな屋内の中央にはいくつもの長机が並び、壁際では地図屋、装備屋、宝石の買い取り商、武器屋が並んでいる。酒を売っている一角もあれば、ちょっとした軽食を売る店もある。
客のそれぞれの要望に応じて、各店を斡旋する老人がいた。ラウと名乗るこの老人は、店の主人というよりこの"常緑亭"そのものの采配人だった。
「宝探しの地図もあれば、野宿の道具から狩猟道具一式……冒険旅に必要な品物は全部揃うよ」
陳列台には、野宿に使う軽い天幕から、携帯用の水筒や干し肉の類いまでが並んでいた。
「冒険旅に必要な品々を、ひとまとめにした詰め合わせもあるよ。
この背負子ごと持って行けば、三日程度は冒険旅ができる優れ物だよ」
ラウが、言葉巧みにベリア達を誘う。ラウの口上を聞いている分には、冒険旅など簡単に思えてくるから不思議だった。
「旅の仲間に魔道士がいなけりゃ、この魔道士用の鞄が役に立つよ。
何しろ、本物の魔道士が調合した様々な薬の詰め合わせだ。
切り傷、火傷、風邪や、水あたり、食あたりまで一通りの備えがあるよ」
腰から下げる帆布の袋の中には、金創薬や食あたりの薬を詰めた小さな壺や紙袋が並び、何となく自分達にも簡単に何でもできるような気になってくる。
四人の心が揺れ動いたところに、ラウが追い討ちの情報を囁いた。
「ちょうど、片道二日くらいのところに、兄さん達向きの冒険場所もあるよ。
昔の砦跡まで行って戻ってくるだけなら、野盗とかの危険も無いし、冒険旅の勉強にはおあつらえ向きだよ……そこまでの地図、安くしとくよ」
「どうする?」
ジェムが、ベリアの方を向いた。ジェムはベリアより二年ほど年長だが、体格は平均的でそれほど大きくはない。だが、四人の中では一番俊敏で、まとめ役という風情だった。四人とも、シドニア大陸西域特有の金髪と青い目をしている。
「どうせ、講武堂の次の稽古まで五日ばかりは暇だし、やってみないか?」
「冒険旅かぁ……俺は行ってみたいな」
傍らでキーラが呟いた。弟のレビンもうなずいた。この兄弟は身体は大きいが、常に無口で大人しい。不器用で口べたなのが災いし、剣術の師であるジン・ボルトの覚えは芳しくないが、気のいい兄弟だった。なんとなく、ジェムに引きずられるように一緒に行動している。
「僕もいいけどさ……あんまり自信がないよ」
「ちゃんと準備しとけば大丈夫さ」
ジェムは、ラウに金を払い、魔道士が調合した薬一式の入った布の鞄を買い取った。
ベリアの手に、重い鞄が押しつけられた。
「お前が、魔道士役だな」
ジェムが、ベリアの肩を叩いて笑う。
家柄はベリアの方が上だが、年上のジェムがこの仲間の中ではガキ大将だった。気弱なベリアもジェムを頼りにしている。
「何で僕が?」
「折れた剣で冒険旅なんか、出来るものかい。
そんな折れた剣なんざ、俺達の隠れ家に残してゆけや」
思わず、四人が笑い声を立てた。
その時、背後で扉が開いた。
入り口から漂ってきた重厚な気配に、四人は思わず振り向いた。
「おや、"雷の旦那"じゃないか。久しぶり……お帰りなさい、かな?」
ラウが破顔した。
ベリア達を相手にする時と、まるで態度が違う。ラウの親しげな態度を見ると常連客なのだろう。
背の高い男が、フード付きの旅行者用のマントを外した。
マントの下には、大きな背負子を担いでいた。
空いている机の脇に、背負子で固縛した荷物を置いた。
床に置かれた時の重い音で、かなりの重量があることがわかる。
褐色に近い暗い金髪の髪も髭も伸ばし放題で、まるで熊みたいな姿だった。その中で、碧眼の鋭い眼光だけが輝いている。
「一月ぶり、いや、二月ぶりかな?」
"雷の旦那"と呼ばれた男が、低い声で応えた。
「今度の旅は、ちょっと長かったねぇ」
火酒の入った錫の器を机に置きながら、ラウが微笑んだ。
"雷の旦那"が、酒を一息で飲み干した。
「まぁ、ちょっと長かったかな……おかげで、しゃべり方を忘れちまいそうだったよ」
「ずーっと野宿で?」
「宿があったのは、五日かそこら……後は、ずっと山の中や森の中」
「収穫は?」
「なに、ちょっと頼まれ事を済ましに行ってただけだからな……」
懐を探り、机の上に鹿革の袋を置いた。
重い音と共に、袋の口から輝く物がいくつか机上に転がった。近くで固唾を飲んでいたベリア達の眼が輝いた。伝説とも言える真の冒険者のお出ましだった。
「こいつは、たまたま出くわした盗賊を退治した時に、奴等が持ってた物だ」
「また、高価そうな宝石だな……時価で買い取るが、どうするかね?」
「いや、本当の持ち主を探してみるよ。運良く生きてたら渡してやろうかって思ってる。
どっかの商人が、街道で襲われたみたいなのでな」
「旦那は正直もんだねぇ」
「なーに、盗賊退治の分くらいの手間賃はもらうがね」
"雷の旦那"は、隅の机に陣取り酒を静かに飲み始めた。
無口だが、その漂わせる重厚な風格はベリア達には身に付いていない厳粛なものだった。
ベリア達は互いに目配せして、自分達の冒険旅に必要な品々を選び始めた。
「兄さん達、他に入り用な物はないかい?」
四人分の野宿に必要な品々を渡しながら、ラウが尋ねた。
「地図は、これだよ……落っことさないようにね」
「食料は?」
「どれだけ持って行くかね? その地図の冒険なら、往復で三日か四日で戻ってこれるよ」
「じゃあ、三日分でいいかな? 弓矢もあるから、野ウサギくらいは獲れるだろうしね」
ジェムが答えた。
その時、"雷の旦那"が振り向きもせずに、ベリア達に声を掛けた。
「食料は、予定日数に加えて三日分は余分に持ってゆけ……お前達じゃ、食料の現地調達は難しい。獲物が獲れたら、幸運と思った方がいい」
「!」
ぎょっとしたベリア達が振り向くのに合わせて、"雷の旦那"が振り向いた。伸び放題の髪と髭の中から鋭い目が、ベリア達を射貫く。
「おっさんは?」
「ここらじゃ、皆に"雷の旦那"って呼ばれてるがな……さっき、城外の旅から戻ってきた」
「"雷の旦那"、俺達が冒険旅に出るに当たって一番何を注意した方がいい?」
ジェムが物怖じせずに、"雷の旦那"と呼ばれる男に話しかけた。
「まず身の安全の確保だな。陽の高いうちに、早め早めに野宿の場所を確保する、無理な行軍は避ける……お前らの体力じゃ、森林地帯なら一日四里も進めんぞ」
"雷の旦那"は、ベリア達が手に入れた野宿の道具一式をちらりと眺めた。
「その荷物だと、雨が降ったら一発で遭難する。
ちゃんと、防寒具も持って行け」
「えっ、こんなに天気もいいし、暖かいのに?」
「明日から天気が崩れる……だまされたと思って、毛布の一枚も持って行け」
◆
「あの若い連中は?」
ベリア達が出て行った扉に視線を送り、"雷の旦那"が静かにラウに声を掛けた。
「冒険旅にあこがれて、冒険街を出入りしちゃいるが、都育ちで冒険旅なんざ未経験の子供達だよ」
ラウの口調がざっくばらんになった。遠慮もいらない数十年来の旧知の間柄だった。"雷の旦那"の正体を知っているのは、この界隈ではラウだけだった。
「冒険旅にあこがれて……か」
"雷の旦那"が苦笑した。
酒壺を持ち上げ、杯に火酒を満たす。
「吟遊詩人が語る、昔の英雄の冒険旅にでも影響されてるのかな?」
「現実には、一歩王都の外に出れば三日で音をあげる連中だけどな」
ラウが苦笑して、彼らが立ち去った扉の方に視線を移した。
「だが、金払いはいいな……冒険旅の備えを四人分も即金で買ってった」
「火もまともに起こせそうにない連中が、冒険旅ね」
"雷の旦那"が、ため息をついた。
「まぁ、都育ちのひ弱な連中が旅で鍛えられてたくましくなってくれるのは、うれしいんだがな……怪我せずに戻ってくることを祈るよ」
「旦那の頃とは時代が違うよ」
「そりゃ、そうだ……都もこんなに大きくなかったし、都を一歩出りゃ、目の前にいきなり深い森が待ってたからな」
「都が大きくなって、住みやすくなった……苦労がなくなったら、逆に、昔の冒険旅にあこがれるようになったのさ」
「進んで不便な事をやりたがる?」
「本気で冒険がやりたいわけじゃない……進んで危険に飛び込みたがる馬鹿はいないさ。ちょっとだけ冒険者の気分を味わいたい……そんな連中が増えてきたよ」
揶揄するようなラウの言葉を聞いて、"雷の旦那"があきらめたように首を横に振った。
「だが、一度戦乱が起きればそうは言ってられん……そんな連中も王都を出て戦に出なけりゃならん。
王都は平和ぼけしてるが……北のノールとの国境沿いじゃ、今でも一触即発のにらみ合いが続いてる」
「なので、"雷の旦那"は、素人の冒険旅は是だと?」
「今の状態じゃ、いざというときに国が守れん」
「旦那の息子達が居るじゃないか」
「あれは、剣術馬鹿だ……王都の外で野宿させりゃ、やっぱり二日か三日で音をあげかねんさ。
実際のところ、戦乱で戦って死ぬ数は存外少ないもんさ……一番多いのは、行軍と野宿の連続で体力を削られたあげくの病死と餓死だ」
「なるほどねぇ……ところで、旦那は、これから王城へ?」
「いや、この格好で武衛府の門をくぐるのは気が引けるからな。
今夜はここに泊まって、明日の朝に髭剃ってまともな格好してから戻るつもりだ」
「なるほど、熊みたいなのが夜中に城門叩いたら、番兵が驚くわなぁ」
「熊は余計だ」
"雷の旦那"がそう言って笑う。確かに、二ヶ月近くも野山を走破した姿は薄汚れている。
「その姿じゃ、王家の重鎮だとは誰も思わんよ」
「しっ、声がでかい。お忍び中なんだから、ここじゃ、その呼び名は禁物だぞ」
「おっと、ついうっかり」
誰も居ない広い店内に、二人の笑い声が響いた。
初秋の生暖かい空気の中、夜が更けてゆく。