ACT25 "暗闇の聖者"の正体
五路広場中に響くような、吠え声とも悲鳴ともつかぬ怒声が響いた。
「許さん!」
うずくまった"暗闇の聖者"が、よろめきながら立ち上がった。
サキに対して、再び術を使おうと印を切る。
「?」
だが、先程までと違い、"暗闇の聖者"の周囲から火球が生じない。
「馬鹿な!」
"暗闇の聖者"の思念の声ではない。
悲鳴に似たうろたえた声は、ベリアの声そのものだった。
(やっぱりね!)
サキの推測が、当たっていた。
杖の霊石を失えば、その魔力は生じない。
「カーバンクル! お前は、俺を裏切ったのかぁ!」
悲痛な声だった。
絶望に打ちのめされたベリアが、両手で顔を覆い、石畳に跪くように膝から崩れ落ちた。
"暗闇の聖者"の正体は、ベリアの劣等感だった。
ベリアの内に隠れていた負の思念が霊石に働きかけ、ゾーンの憎悪の記憶を残した霊石が増幅してベリアに返している……術を発していたのはベリアの心の闇だった。
ゾーンの亡霊が、ベリアに憑依していたのではない。
"暗闇の聖者"いや、ゾーンの亡霊などこの世に迷い出てきてはいない。
カーバンクルという霊石に残ったゾーンの憎悪の記憶と、ベリアの鬱屈した思念が反応して、"暗闇の聖者"として蘇ったに過ぎない。
幻影を生み出していたのは、ベリア自身の無意識の負の思念だった。
己は賞賛されるべき特別な存在、なのに周囲にはそれを理解してもらえない。己の力を活かせる環境さえあれば、何でも出来るはず。今の己の環境は己の力を活かせない。
ベリアの深奥にある、そんな幼い劣等感が増幅されたのが、復活した"暗闇の聖者"の正体だった。
(結局、劣等感の裏返しよね)
サキも同じだった。
神官の家系でありながら、サキには霊力が皆無という強い劣等感を持っている。
(あたしだって……いつ魔に魅入られちゃうか、わかんないわよね)
カーバンクルという霊石は、持ち主の願望を増幅しているに過ぎなかった。
生と繁栄を願えば正の力を、死と破壊を望めば負の力を増幅して持ち主に返すだけだった。
「あんたの魔力も、これでお終いね」
静かに大刀を鞘に納めたサキは、うずくまって慟哭するベリアの胸ぐらを掴んで引き起こした。
ベリアの眼をのぞき込んでも、その瞳は意思の力を失い焦点が合わないものだった。神殿で捕らえられたジェム達と同じ状態だった。
ベリアの負の思念を増幅していた霊石を失った以上、ベリアに魔力はない。
ベリアは、霊石に溜め込まれた二十五年前のゾーンの記憶に従って、ただゾーンがやろうしていた復讐を妄信的に再現しようとしていたに過ぎない。
サキは手を上げて、ベリアの頬を思いっきりひっぱたいた。
「馬鹿!」
サキの怒り声が、静まりかえった五路広場に響いた。
サキに張り倒されて吹っ飛んだベリアが、石畳を転がる。
「甘ったれてんじゃないわ!」
サキの怒りは、収まらなかった。
石畳に倒れ伏したベリアの胸ぐらを掴み、再び引き起こした。
「さて、こっちは……後始末か」
サキがベリアを張り倒したのを見て、リュードが弓を手にした。
矢をつがえた弓を、頭上に向けて大きく引き絞った。
上空に、リュードが再び合図の火箭を放った。赤く輝く閃光が夜空を切り裂いて飛ぶ。
「どれだけ、あんたの家族や仲間が心配してるのかわかる?」
ベリアの横っ面に、サキの二発目が炸裂した。
「次男だろうが三男だろうが、家族にとっては大切なんだよ!
それなのに、何すねてんのよ! どんなに強大な魔力があっても、家族も仲間も失ったら、それこそ何にもならないわよ!」
三発目を炸裂させようとした時、サキの手が背後から掴まれた。柔らかい力だが、サキの動きを止めるには十分だった。
サキが振り向くと、いつの間に姿を現したのか、シェルフィンが微笑んでいた。
「そこまでで我慢しときなさいな。
それ以上、お姫様が叩くと、こいつが本当に死んじゃうわよ」
やっとサキは、ベリアの襟首を掴んでいた手を離した。
ベリアが、再び跪くように石畳に崩れ落ちる。
リュードの合図で五路広場に入ってきたデュラン候とボルトも、何とも言えない複雑な表情を浮かべている。
ボルトが、ベリアの首根っこを掴んで引き起こした。軽々とベリアを肩に担ぐ。
「後は、こっちで始末を付けるよ。
こんな馬鹿者でも、王族の端くれだ。何とか立ち直る道を探るとしよう」
「お任せするわ……後は、王家で解決してもらいたいわね」
サキは、ベリアを担いで立ち去るボルトの後ろ姿を見送った。
傍らで、子猫の鳴き声がした。
サキの足元に、子猫が寄ってきた。
「チビ、無事で良かったわ……また、お前に助けられたわね」
サキは、子猫を拾い上げた。サキを見上げる子猫の金色と青色の瞳が、篝火の炎を反射して輝いた。火炎の中に巻き込まれたはずなのに、怪我どころか白い身体に焼け焦げ一つない。
「でも、やっぱり……一体、お前は何モノなんだい?」
子猫は、いつも通りの子猫に戻っていた。先程までの魔物のような妖しい姿はどこにもない。
リュードが、石畳の上に落ちていたカーバンクルという霊石を拾い上げた。
「あれだけの衝撃受けても、傷一つ無いのはたいしたもんだ」
リュードが、篝火にかざして霊石を覗き見る。
つられて、サキも霊石を横からのぞき込んだ。
蛇の目を思わせる中心の暗い紫の輝きが消え、カーバンクル本来の澄んだ赤い透明な色に戻っている。先程までの禍々しい気配は、どこにもない。
「白目むいてら……姫さんの刀に撃たれた衝撃で、溜め込んでた記憶を失っちまったみたいだ。残っていたゾーンの思念も、どっかに消えちまったのかな」
「どうするの、これ?」
「霊石に罪はないからなぁ……だけど、また誰かの手に渡って妙な事件を起こされちゃ困るしな」
リュードは、霊石を懐に入れた。
「まぁ、放置してまた騒動を起こされると困るから、リシャムード邸の物置にでも放り込んでおくか」
「えっ? あんな幽霊屋敷に置いといたら、まずくない?」
リュードが、何かを思い出したようにおかしそうな笑い声を上げた。
「大丈だよ……あそこには、カーバンクルどころじゃないやばい妖魔がゴロゴロいるからな……こいつも大人しくしてるさ」
リュードが笑いながら、シェルフィンに視線を移した。
「シェル姐さん、ここから先の采配は任せてもいいかい?」
シェルフィンが、篝火に照らし出された広場を見渡した。サキの大刀に断ち割られて弾け飛んだ石畳の残骸が、あちこちに転がっている。
「派手にやったわねぇ……ジェティ、うちらが広場の石畳を修復する間、三日ばかりここを封鎖したままにしておくれ」
「わかった……三日で大丈夫か?」
「天狼の石工達には、声を掛けてあるからね……朝一番に、工匠達が修理に来るよ」
「天狼みたいに……訳のわからん異能の漂泊民は、いまだに嫌いだが」
デュラン候が言葉を切り、シェルフィンとリュードに頭を下げた。
「このたびの天狼の働き、深く感謝する」
「!」
サキは、少し驚いた。
天狼嫌いのデュラン候にも、少しの変化が兆している。
長かった夜が、明け始めていた。
◆
東の空が青白く染まり始めている。
帰路についたサキは、考えに沈んでいた。事件を解決したはずなのに、足取りが妙に重い。
サキの左肩に乗った子猫が、サキを心配するように短く鳴いた。
子猫の白い身体は、花壇に飛び込んで火炎に巻き込まれたはずなのに、火傷どころか白い毛に焼け焦げ一つない。
明らかに、この子猫の正体は人の味方をしてくれる妖怪だった。
「結局お前は、一体何モノだったんだい?」
サキは、右手を伸ばして子猫の喉を撫でた。
「明らかにお前は、あの広場と"暗闇の聖者"と関わってるわよね」
また、子猫に助けられた。
"暗闇の聖者"の火術で炎上した花壇で、確かにサキは見た。
火炎の中から飛び出してきた子猫と同時に花壇の下から輝いた閃光は、サキが夢に見た魔法陣を描き出していた。
もちろん、子猫の答えはない。サキの次の言葉を待つように、金色と青色の眼が光るばかりだった。
オバケ嫌いのサキだが、この子猫に対する恐怖感は不思議とわかなかった。
「お前が言葉をしゃべれると、きっと真実が聞けたのにね」
サキは、明け始めた夜空を見上げてため息をついた。
「本当に……これで全て終わり、なのかなぁ?」
本当にこれで全てが終わったはずなのに、サキには何故かやりきれなさが残っている。
霊石を失い、"暗闇の聖者"の憎悪の思念は黄泉に消えた。
王都にばらまこうとしていた瘴気も、天狼が阻止した。
魔力を失ったベリアは、その後どうなるのか。
事件が解決したはずなのに、何かが釈然としない。
サキが納得するには、何かが足りなかった。
不意に、ボルトに担がれたベリアの姿が脳裏に蘇った。
(そっか、数日ばかり前の状況に戻っただけで、何も解決してないんだ!)
ベリア達は、これからどうなるのだろう。
もちろん、王侯貴族の子弟がやらかした騒ぎを表沙汰にするわけにはいかない。また、黒塗りの記録が一つ増えるだけだろう。
だが、彼らの犯した罪は消えない。彼らの前途は明るくないだろう。
結局、これでは解決になっていない。
これからも、王侯貴族の子弟達が巻き起こす騒動は発生する。
(やりきれないわね……あたしも、ゾーンやベリア達と同じで無力だわ)
考えに沈みながら、サキは神殿の裏にある自宅へと歩き続ける。
「?」
サキは、石段を登る途中で、一瞬ふらついた。肩に乗った子猫が、慌てて爪を立てサキにしがみついた。
(おかしい!)
サキは、自分の身体の異変に気が付いた。
神殿の長い石段の途中で息が切れ、ふらついた。普段のサキは、この程度で息が切れるはずがない。
(これ、姉さん達が倒れた熱病? それとも、"暗闇の聖者"がばらまいた瘴気の影響?)
サキの呼吸が荒い。
(まずい、あたしも熱病にやられた?)
急に、激しい悪寒に襲われている。
発症は急激だった。
目眩がする。
脚が震え、力が入らない。
サキは、思わず膝を付いた。
耳元で、子猫が心配そうに短く鳴いた。
(負けるか!)
サキは、愛刀を杖にして立ち上がった。
渾身の力を振り絞り、一気に雑木林を突っ切った。
何度か倒れそうになりながら自宅へ戻ったとたん、再びふらついて階段の前で転倒する。
「きゃああ! サキ、あなたどうしたの?」
セアラの悲鳴が、どこか遠くで聞こえる。
「大丈夫……セアラ姉さん、チビの世話を……お願い」
サキはそう言いながら再び立ち上がり、必死で階段を上る。
急激な悪寒に、強く食いしばっているはずの歯が鳴っている。
「ちょっと、休めば……大丈夫だから」
寝台にたどり着いた途端、サキの意識が暗転した。




