ACT20 天狼の約定
サキはバザールの雑踏を抜け、黒龍小路までの道を一気に駆け抜けた。振り落とされないように、サキの肩に子猫が爪を立ててしがみついている。
黒龍小路は、黒い石畳を敷き詰めた曲がりくねった道を持つ街だった。
サキは、酒楼老虎の扉を開いた。
薄暗い店内にいるリュードの姿が、サキの視界に飛び込んできた。
珍しいことに、そのテーブルに酒杯がない。腕組みをして、考え事をしてるかのような姿で座っている。
「リュード、幽霊屋敷の広間を貸してもらえる?」
リュードの顔を見るなり、サキはいきなり本題に入った。
「昼一番に、叔父貴のカロン、王家剣術師範のボルト、護民官長のデュラン候が尋ねて来るわ……内容が内容だから、あそこでお話しさせて」
「場所は貸すが、あそこには酒しかないぞ」
「ちょっとお話をするだけだから、構やしないわよ」
サキは、それだけ言い捨てて、奥から出てきたシェルフィンに向き直った。
「シェル姐さん、またご迷惑をお掛けします。
どうやら、王族が行方知れずになった程度の騒動じゃなくて、レグノリアの街がひっくり返る騒ぎになりそうなの」
「あの手稿を判読した時点から、うちらも覚悟はしてるわよ」
シェルフィンが、苦笑を見せる。
サキは、昨夜の騒動の顛末を話し始めた。
捕らえたジェムの懐に、"暗闇の聖者"を名乗る魔道士からの挑戦状があったこと。捕らえた男達は息を吹き返したが、目は虚ろでろれつも回らず詳細を聞き出そうとしても、まともに受け答えが出来ない状況にあることまで、サキは一気に説明した。
黙ってサキの話を聞いていたシェルフィンが、形の良い眉根を寄せて首を傾げた。
「阿呆草でも、盛られたかしらねぇ」
「阿呆草?」
「はるか南東のローゼリア砂漠の向こうにいる異民族には、こいつを使って相手を自在に操る方法があるわ。
こいつを一服盛られている間は、術者の言いなりになっちゃうの」
「傀儡の術だ」
ボソリとリュードが呟いた。
「傀儡の術?」
聞き覚えのない言葉に、サキがリュードを見つめた。
「幻術とか使って、そいつを思いのままに操る術さ……本人の意図に関わらず本人がそれに従って動いちまうって術が、方術にもある」
サキが、眉をひそめた。そんな技術を悪用されたら、王都に大変な事が起きる。
「それって、かなり危険な術じゃないの?」
「そりゃマズイさ……普通は禁忌の術にして、教えない、使わないもんだがな」
そう呟いたリュードが、うなり声を上げた。
「こりゃ、面倒な相手だぜ……自分が使える術を、片っ端から使ってきやがる」
サキは、懐からゾーンの手稿の綴りを出した。
「これに書いてある術?」
「ああ、そいつに書いてある術は、全部本物だ……それも、禁忌に触れるような強い術も混じっている」
「やり方は、一つも書いてないわよ。ただ、この術の要諦がわかった、みたいな書き方」
ゾーンの遺した羊皮紙の手稿には、殴り書きのような単語の羅列が記されているが、サキにはその意味がわからない。
「要諦はゾーンの頭の中、かな?」
「じゃあ、今のベリアの肉体をゾーンの亡霊が乗っ取ってるってこと?」
「わからん。だが、ゾーンの中では……いや、"暗闇の聖者"の中では、刻の流れが止まってるのかもなぁ」
リュードが、奇妙なことを呟いた。
「"暗闇の聖者"は、自分の命を捨てて掛かってるわねぇ……といより、もうこの世にいないから、憑依したベリアが死のうが死ぬまいが構いはしないわね。
失敗すれば、また別の奴に取り憑けばいいだけさ」
シェルフィンの言葉が、冷たく響く。
サキは、ぎょっとしてシェルフィンを見つめた。
「ベリアを人質に取ったってこと?」
サキの言葉に、シェルフィンがうなずいた。
「巧妙な手段だわ。王族だからそう簡単に手が出せないし、もし殺したとしても王家の力が弱まるだけで、"暗闇の聖者"にしたら痛くもかゆくもない」
「でも、何故? 何故、わざわざ日時と場所を指定してきたの?」
サキの疑問は、ここに尽きる。
大軍を擁して来いと挑発したり、ヴァンダール王家に戦闘準備の時を与える自信がわからない。
その間に、草の根を分けてでもベリアの行方を護民官が総出で捜索するだろう。もし天狼を総動員すれば、数日と掛けずにベリアの隠れ家を特定できるはずだった。
まして、王家側に十分な軍勢を用意させて自分を不利にする理由がわからない。五路広場の面積からすれば、騎兵の数百騎を突入させることが可能だった。たった一人で、騎士団を相手にして勝てる自信があるとは思えない。ましてや、五路広場の全てを封鎖されてしまえば、"暗闇の聖者"の逃げ場はない。
「その答えも、その手稿にあるのさ」
リュードが、サキの手にした手稿を顎で示した。
「ほら、この意味不明にしか見えない記号の羅列だよ」
リュードが、サキの手から羊皮紙の手稿を取り、ある記載を示した。
『生死を分ける門の存在』という表題が付いた走り書きだった。
『そこに常にあるわけではない、星々の運行、刻限によって、出づる場所が変わる
その生成の法則は、下記による』
リュードが、難解な古語をすらすらと読み上げた。
だが、その手稿は古代文字なのか、不可思議な記号や図形が数字と共に書き記され、複雑な占星術でも使わぬような複雑な計算式が事細かに羅列されている。
サキに判読できたのは、かろうじて「陽の月、陰の月、方位」と記された断片的な単語だけだった。
リュードが、きょとんとしているサキを見て苦笑する。
「こいつは、暦だよ……月齢とか星の移り変わり、時刻や季節との関係を示している」
謎の文字や不思議な図形は、三百年も前に滅びたランカ王国で使われていた古語だという。
傍らの紙にいくつもの数字を並べて、何やら数えていたシェルフィンが顔を上げた。
「なるほどね、それでこの日付を選んだわけねぇ」
シェルフィンが呟いた。
「明後日の夜は、新月だからなぁ」
「陰が極まるってことね」
「この手稿を見る限り、奴の使える魔力の源は陰の力だ。
奴が使える力が最大になるのは、明後日の真夜中ってことか」
「じゃあ、ベリア……いえ、"暗闇の聖者"は大軍と戦う危険を冒してまで、自分の魔力が最大になる方を選んだってこと?」
サキの言葉に、リュードが小さくうなずいた。
「レオナ姫の再来、とまで呼ばれたゾーンだが……レオナ姫と違うのは、いつでもどこでも使い魔を出現させるだけの魔力は持ってないってことさ」
「使い魔?」
「ほら、姫さんが奴と衝突した時だ……蜘蛛の巣を使ったり、カラスを使い魔として使ったが……あれ以上の事が出来るはずなのに、奴はあっさりと引き上げた……つまり、あの日はあれ以上の魔力が使えなかったのさ。
だが、明後日の夜なら、その能力が全て使えるって事だろうな」
リュードが、再びゾーンが遺した手稿を開いた。
『謎の思念は、己の名をカーバンクルと呼んだ。
そして、カーバンクルが垣間見せた英知は、驚くべきものだった。
火術を望めば、望んだ瞬間にその要諦が脳裏に浮かび上がる。
どのような魔道の術も、全て脳裏に出てくる。
望んだ能力を、いつでも呼び出し使えるという感動がわかるか?
それは、虚空にある英知との対話と呼ぶのにふさわしい!
この力を全て身に付ければ、このシドニア大陸で一番の霊能力者になれることを私は疑わない!
太古からの全ての英知が天上の星辰界に保存されている、という噂は真実だった!
カーバンクルを手に入れた私は、魔道の全てを知る立場に立ったのだ!』
リュードは、ゾーンが遺した手稿の一節を読み上げて、サキの傍らに置かれた大刀を見た。
「奴の杖にはめこまれていた宝玉……カーバンクルって霊石だよ」
「霊石?」
「姫さんの大刀にはめ込まれた宝玉とかと同じ系統で、霊力に反応するんだ」
「でも、おかしいわねぇ。
カーバンクルって霊石は、持ち主の願い事をかなえたり幸せを呼ぶって鮮やかな紅玉で、そんな悪さはしないはずなんだけど。
そもそも、霊石に善悪なんて無いわよ。ただ、持ち主の霊力に反応するだけで、意思は持ってないから」
シェルフィンが呟いた。
「この宝玉と同じ?」
サキは、大刀の柄頭にはめ込まれた大きな宝玉を見つめた。
周囲の光や色彩を反射して時折輝く色が変わるが、基本的には澄んだ透明の宝玉だった。
サキが宝物庫からこの弯刀を持ち出した時から、宝玉は水晶のように透明だった。だが伝説では、レオナ姫が使っていた頃は真紅に輝いていたという。シェルフィンに言わせると、その宝玉は持ち主の霊力に反応して輝きを変える宝玉だという。
霊力が皆無に等しいサキが新たな持ち主になったので、透明になっているのだろうと勝手に解釈し、サキは自分を納得させている。
「ある種の霊石は、持ち主の思念や記憶をため込んだり、持ち主の霊力を強化させたり、逆に弱めたりって聞くけどねぇ」
シェルフィンの知識は幅広い。
「まさか、カーバンクルに、ゾーンの怨念とか記憶がため込まれてて、そいつがベリアを乗っ取っちゃったってことかしらねぇ」
「霊石に、本物のゾーンの亡霊が憑依してるのか、ゾーンの怨念とか記憶がため込まれてて、ベリアの鬱屈した負の波動を増幅しちゃったのか、どっちかはわかんないけどね」
シェルフィンの呟きに、リュードが小さくうなずいた。
シェルフィンがサキの前に腰を降ろし、すっと背筋を伸ばして表情を改めた。
普段の、老虎の主人としてではない。
シェルフィンが発する天狼の束ねとしての厳しい気配に、反射的にサキの背筋も伸びた。
「天狼が、約定に基づいてお姫様に力を貸す前に、お姫様の覚悟を聞いておくわ。
この騒動、お姫様はどうやって始末を付ける気なのかしら?」
シェルフィンの褐色の瞳が、真正面からサキを見つめた。
「何かに憑依されちゃったんだか、変な魔力と知識を身に付けちゃったベリアを殺める?」
シェルフィンの問いに、サキは小さく首を横に振った。
「あたしは、誰も殺めたくないわ。
確かに、今回は"暗闇の聖者"が王都に悪さを仕掛けてる……でも、悪い奴を殺して終わり、では負の連鎖は止まらないもの。
また、次の"暗闇の聖者"が姿を現すだけ」
そう言って、サキはシェルフィンの鋭い眼光を真正面から見つめ返した。
「ヴァンダール王家の大軍で"暗闇の聖者"を倒す、もしくは"暗闇の聖者"が大軍を破る……どっちも、邪魔な奴を排斥してるだけだもの。
何年かすれば、また似たような事件が起きるわ」
サキの言葉に、シェルフィンは無言だった。
「あたしには、蘇ってきた"暗闇の聖者"が、本当にゾーンの亡霊なのか、何かに憑依されたベリアなのかわからない。
でも、"暗闇の聖者"の企てを止めて、ベリアから切り離す方法があると信じてる」
「"暗闇の聖者"を黄泉に送り返す道を探る、ということ?」
シェルフィンの問いに、サキは小さくうなずいた。
だが、もとよりその方法など思い付いてはいない。何とかしなければならないというサキの思いだけで、"暗闇の聖者"を止めれるとも思えない。
「あたしに出来るか、わからない……でも、やらないであきらめちゃったら、一生後悔するわ」
「なるほどねぇ」
突然、シェルフィンが微笑んだ。
「相手を叩き伏せるだけでも難しいけど、誰も傷付けずに……そういう方針で行くのなら、こっちもそれ相応の準備が必要になるわねぇ」
シェルフィンが、リュードの方に視線を移した。
「リュード、あんたの方術の出番だよ」
「わかってる」
リュードが小さなため息をつき、首から二重に巻いて下げた宝珠を摘まみ上げた。
「魔道と方術の戦い、ねぇ……ちと、俺にゃ荷が重いが」
「方法はあるんだろ?」
「今、なけなしの知恵を絞ってるとこだ」
「ねぇ、リュード?」
サキが、傍らのリュードに声を掛けた。前々から、気になっていたことがある。
「リュードが首からぶら下げてる宝珠って、それもやっぱり霊石なの?」
リュードの格好で一番目立つのは、首からぶら下げた方術士の宝珠と腰に下げた護符らしき装飾品だった。それが無ければ、街の若者と大して変わらない。
サキには、その宝珠の価値はわからない。
赤や青、緑、黄色、透明の大小様々な宝玉に穴が開けられ、細い糸でつなげられている。とぼけたリュードのことだから、その辺の安物の宝玉をぶら下げてるだけとか言い出しかねない。
「ああ、これか」
リュードが、手でもてあそんでいた宝珠から手を離した。複雑な表情が、リュードの顔に一瞬浮かびすぐに消えた。強いて表現するなら、悲しみ、憐憫といった感情に近い。
「様々な効能の霊石さ。でも、禍々しい奴は入ってないなぁ。戒めとしてぶら下げてるだけだしな」
「戒め?」
サキは、驚いてリュードを見つめた。何か、戒めを自ら課す必要があるような秘められた過去があるのか、リュードが剣を捨てたのと関わりがあるのか定かではない。
リュードが剣を捨てた理由は、天狼の束ねを務めるシェルフィンも聞いたことがないという。サキが、剣を持たない理由を尋ねた時は「剣は重いから」というふざけた答えが返ってきたが、それはどう考えても嘘だった。リュードは、サキの知らない姿を持っている。
「霊力や魔力だけじゃない。武力も権力も財力も知力も、どんな力も過ぎると不幸が起きる。何事も中庸が一番……なので、自分の力を抑えるために身に付けているのさ」
「えっ、じゃあこれがなかったら……リュードは?」
「もっと強いだろうさ」
リュードが、さも当然という顔で答えた。
「本当?」
驚いたサキの表情を見て、リュードが吹き出した。
「嘘!」
「馬鹿ぁ!」
心配した分だけ損してる。
苦笑しながらリュードがそっぽを向いた。その横顔に、何とも言えない複雑な表情が再び浮かんだ。




