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ACT19 過去からの挑戦状

「東側の石壁を乗り越えて、侵入してきたみたいですね」

 詰め所の執務室に、ロムの冷静な声が響いた。

「二丈もある石壁に、よじ登った跡が残ってますが……暗闇で、物音立てずにってのは、普通の盗賊でも困難ですね」

「そんなに簡単に出入りされちゃ、神殿警護官の名折れだ」

 カロンが、不愉快そうに唸った。

 神殿警護官の詰め所は、早朝から賑やかだった。控えめに表現すると賑やかだが、実際には大騒ぎに近い。

 非番の神殿警護官までが呼び出され、神殿各所の警戒に駆り出されている。

 捕らえられたのが王侯貴族の子弟なのだから、急を告げる使者が武衛府に走っている。

 しかも、そのうち一人は護民官長のデュラン候の次男のジェムなのだから、事は慎重に運ばなければならなかった。扱いを誤ると、デュラン候の責任問題にもつながりかねない。

 捕らえられた三人の尋問が、早朝から始まった。

 神殿警護官の詰め所の裏に、狭いながらも牢屋がある。神域で騒ぎを起こして捕らえた連中を留置する、無粋な場所だった。

 だが、ベリアの仲間達の供述がおかしかった。

 意識は戻っているが、まるで泥酔したようにろれつも回らず、言っている言葉も切れ切れで意味が通らない。

「引っぱたく? 頭から水を浴びせたら、正気になるかな?」

 不毛な尋問にうんざりしたサキが、肩をすくめて立ち上がった。

 眼光から昨夜のような狂気は消えているが、視線を虚ろで目の前でのぞき込むサキの姿さえ、彼らには映っていないようだった。

「とても、芝居には見えないわよ」

 サキは、早々と尋問をあきらめた。

「こりゃ、何かの術を掛けられてるな」

「術?」

 カロンの呟きに、サキは寒気を覚えた。

 昨夜の三人の動きを思い出せば、思い当たる節はある。

 三人とも、殺気どころか気配というものさえなかった。

 確かにそこに存在しているのに、存在していないかのようで、まるで木偶を相手にしているような錯覚にサキはとらわれていた。

 だが、昨夜彼らが見せた怪力や俊敏な動きは、武衛府の練兵場でやり合った時のような鈍重なものではない。

(こいつらが死ぬ気で掛かったら、このぐらいの技量を持ってたんだ)

 まるで、別人だった。

 墓場から死者が蘇ってきたのではないかという、不吉な思いがサキを再び襲った。

(こいつら……生きてるけど、生きちゃいないわ)

 サキは、不意にリュードが老虎で占ったベリアの行方の卦を思い出した。

『生きちゃいるけど、そこには居ない』

 まさに、その卦がこの三人の姿にふさわしい。

 肉体は生きているが、そこに活きた人間の魂が感じられない。ただ、呼吸をしているだけの木偶だった。

「カロン! どういうことだ?」

 突然、背後の扉が開いた。

 入ってきたのはボルトとデュラン候だった。

 武衛府から馬を飛ばして駆けつけてきたのか、姿を現すのが予想よりも早い。

「面通しを頼む」

 カロンが、二人を牢屋の中を示した。

 面通しには、さして時間が掛からなかった。

 牢につながれた三人がデュラン候の次男ジェム・デュラン、キーラ・トロムとレビン・トロムであることを、ボルトもデュラン候も認めた。

「だが、父親の顔も思い出せんとは……」

 沈痛な表情でデュラン候がうめいた。声を掛けても、ジェムの焦点を失った目には何の反応さえなかった。

「それより、ジェム・デュランの懐にあった書状ですが……」

 ロムが、冷静な口調で書状を示した。

 古風な装丁の書状だった。羊皮紙を木の芯に巻いて革紐で縛った上に、蝋で封印するという書状の封印の仕方も、紙で封筒に収めるのが主流の今の時代では珍しい。


『我が名は"暗闇の聖者"なり。

 屈辱にまみれた雌伏の時は、ついに終わりを告げた。

 もはや、逃げも隠れもせぬ。

 我は再び、ヴァンダール王家に王都レグノリアを賭けた勝負を挑む。

 勝負を忌避すれば、王都に取り返しの付かない疫病が蔓延する。それを止めれる力を持つのは我唯一人。我の挑戦に怯えて逃げても、遅かれ早かれ我の足元に跪くことになる。

 王家の誇りが残っているのなら、大軍を率いてでも我を止めて見せよ。どちらがこの都の支配者にふさわしいか、雌雄を決しようではないか』


 刻限と場所が記されている。

 その刻限は、二日後の深夜、場所は五路広場だった。

「馬鹿な……"暗闇の聖者"、いやゾーンは二十五年も前に死んだはずだ」

 カロンが、うめいた。

 死者からの挑戦状を前に、神殿警護官の詰め所の中に、奇妙な沈黙が降りた。

 サキの背筋が、うすら寒くなった。

「死んだ人間が、挑戦状を叩き付けた?」

 ぞっとしたサキが、薄気味悪そうに挑戦状を眺めた。

「つまり、ベリアの肉体に、ゾーンの亡霊が憑依してる?」

「どうやら、そうなるな」

 サキの言葉に、カロンが渋々うなずいた。

「"暗闇の聖者"を名乗ったゾーン・ザカリアは、確かに死んだはずだ」

 デュラン候が、うめくように呟いた。

「あれだけの手負いで、助かるはずがない」

「だが、奴の死体を見た奴はいない……万が一、ゾーンが生きていた可能性もあるのでは?」

 ボルトが、疑問を呈した。

「ゾーンの最後の姿を見たのは、ジェティ、お前だけだ」

 ボルトが、デュラン候を名前で呼んだ。

「逃げられたのは確かだが……あの深手で助かったとは思えん」

 何とも言えない沈黙が、神殿警護官の詰め所を支配している。


       ◆


「こいつは、国王陛下に報告が必要だな」

 長い沈黙を破ったのは、カロンだった。

 "暗闇の聖者"からの挑戦状を懐に入れ、ゆっくりと立ち上がる。

「やむを得んな、俺も同行しよう……軍勢を動かすには、国王陛下の裁可が必要だ」

 ボルトがうなずいた。この場にいる三人の内、国王陛下に直接謁見できるのは、王家の剣術師範のボルト以外にいない。

「ちょっと待って! この挑戦状に対して、国王陛下が軍隊を動かすの?」

 サキが遮った。

「こら、サキ! 国王陛下の判断を、どうこうするのは無礼だぞ!」

 カロンの一喝にも、サキはひるまなかった。

「叔父貴! ちょっと待って!」

 今にも王城に向かおうとしているカロンの背中に、サキが声を掛けた。

「騎士団でも重装歩兵でも、なんとかなるはずないわ! 広場に足の踏み場もない程の大軍を投入したら、それこそ大混乱になっちゃうだけよ」

「どういうことだ?」

 足を止めたカロンが、振り向いた。

「これ、罠だから」

 サキが、あっさりと断言した。

「ここまで堂々と、時と場所を指定して大軍を擁して来い、なんて大見得切るなら……相手も、それなりの覚悟を持っているわよ」

「大軍を一人で破れる、と?」

 ボルトの言葉に、サキは小さくうなずいた。

「わからないのは、わざとこちらに大軍を準備する時間を与えてきたこと……でも、逆に相手も何かを準備する時間を持ったってことだもの」

「何か、仕掛けてくるってことか?」

 何かを思い出したのか、デュラン候が顔色を変えた。

「それじゃ、二十五年前と全く同じだぞ」

 デュラン候だけではない。同じ事に思い至ったのか、ボルトもカロンも顔色が変わった。

「まるで……刻が二十五年前で止まっちまってるみたいだ。

 ゾーンの亡霊に取り憑かれたのか、ベリアがその再現をしようとしているとしか考えられん!」

「あたしは、オバケ嫌いだから……あんまり想像したくないけど」

 サキは、数日前に遭遇した謎の魔道士の姿に扮したベリアの事を話し始めた。

「蜘蛛の巣をあたしの前で張り巡らせて、カラスの大群をあたしに……いえ、あたしの連れてるチビを狙ってけしかけてきたわ。

 そんな真似出来る奴なら、それなりの準備をして勝負を仕掛けてきてるはず」

「わかった、俺からも国王陛下を説得しよう……刻限まで二日ある」

 ボルトが立ち上がった。

「それと……こいつらの身柄は、俺が預かる」

 ボルトが、牢屋の方を顎で示した。

「連中を預かっていたのは、講武堂だ……正気に戻るまで、講武堂から外へは一歩も出さん」

「カイ、ちょっと待て……一人は、うちの馬鹿息子だ」

「ジェティ、俺を信じて欲しい……このままでは、こいつらのみならずお前のとこにも責めが及ぶ」

「……」

 沈黙も、また答えの一つだろう。

 押し黙ったデュラン候を見て、ボルトが悲しそうに呟いた。

「こいつらが暴走した責めの一端は、俺達にもある」

 牢の中にデュランの息子もいる。だが、自分の父親の姿にさえ反応を示さない。キーラとレビンの生まれ育ったトロム家も名家の一つだった。この出来事を公にしてしまえば、当然それなりの処罰が各家にも待っている。

「子の幸せを願わない親が居るもんか……ましてや罪人などになって欲しくない」

 デュラン候が、うめいた。

「親の心子知らず、子の心親知らず……か」

 サキが呟いた。

 サキの中で、一つの決意が生まれた。

 もはやこの騒動は、王家の手に余る。大軍をぶつければ、"暗闇の聖者"に勝てるかも知れない。だが、ベリアも死に、ベリアの仲間達も罪に問われる。逆に大軍をぶつけて王家が破れでもすれば、王都レグノリアは大混乱に陥る。

("暗闇の聖者"を……いえ、ベリアを止めるしかないわ!)

 サキが、傍らの大刀を手にした。

 サキの動きを見て、子猫がサキの肩に駆け上った。どうやら、この子猫の定位置は、サキの左肩になったらしい。

「昼過ぎ一番に……三人に、来て欲しいところがあるわ」

「どこだ?」

「リシャムード屋敷」

「!」

 驚いたデュランとボルトの間をすり抜けながら、サキがさらに言葉を足した。

「来るも来ないも、勝手だけど……あたし達だけで、解決できるような事件じゃないわ」

「サキ、まさか?」

 カロンのいぶかしげな声にサキが振り返った。サキの青い眼が強い決意を秘めて輝いた。

「そう……"暗闇の聖者"を止めるためには……天狼との約定の力を、借りるしかないわ」

 サキは、それだけ言い捨てて神殿を飛び出した。

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