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ACT01 花壇の迷い猫

「えっ?」

 その場を立ち去りかけたサキの足が止まり、微かな鳴き声の聞こえた方に視線を移した。

 誰も手入れをしないのか、荒れ放題の枯れ草ばかりの大きな円形の花壇だった。ゴミが散らかり、かろうじて生えている草も雑草ばかりだった。

 その草むらの下で、小さな白い影が動いた。

「あれれ?」

 思わず腰をかがめ、花壇をのぞき込む。

 花壇の枯れた草むらから姿を現したのは、まだ歩みもおぼつかない小さな白い子猫だった。

「お母さん、どこ?」

 サキは、慌てて周囲を見回した。

 あらためて草むらをのぞき込んでも、他の猫の姿も気配もない。

 大きな広場のど真ん中にある円形の花壇だった。ここに他の猫が居ないということは、この子猫はここで親猫とはぐれて迷子になったのか、それとも誰かに捨てられたのか。

 子猫が花壇と広場を仕切る背の低いレンガの壁を乗り越え、サキに向かってトコトコと近寄ってくる。

 普通の野良猫なら人の姿を警戒して出てこないが、どうしたことかこの子猫はサキの足元に身を寄せてきた。革のサンダル履きのサキの足首に頭をすりつけて、再び小さく鳴いた。

 サキは思わず子猫を拾い上げた。拾い上げる、というよりすくい上げられるほど軽いやせ細った子猫だった。

「ええと……この子、どこの子?」

 子猫が、再び小さな鳴き声を上げた。

「えっ?」

 サキの掌の暖かさに安心したのか、子猫がサキの手の上で小さく身を縮める。

 明らかに、子猫の様子がおかしい。微かに身体が震えている。

「どうしたの?」

 サキは、子猫に顔を近づけた。

 鼓動が弱く、体温が低い。

「これ、まずい!」

 かなり、衰弱している。通りかかったサキの姿を見つけ、必死で救いを求めてきたようにしか思えなかった。

(この子猫、命の火が消えかかってる!)

 直感で、サキは子猫の危険を察知した。

 サキは猫を右手で抱えたまま、きびすを返し駆け出した。


       ◆


 シドニア大陸の最西端に位置するヴァンダール王国の王都レグノリアの街は、十万人規模の都市だった。

 太古、この大陸には高度な文明があったという伝承が、シドニア大陸各地にある。人が神の域に迫ろうかという時、神の怒りに触れたのか、人の浅知恵が文明の制御に失敗したのか、大異変が起きた。炎の嵐が七日七晩吹き荒れ、人々は文明の全てを失った。

 だが、生き残ったわずかばかりの人々は屈しなかった。数千年を経て、再び文明を築き直している。

 今は、そんな時代だった。

 夕陽で朱に染まる王都レグノリアの下街は、まだ人通りが賑やかだった。

 石組みの二階建てや三階建ての建物が建ち並び、ねぐらを求めて小鳥が屋根や街路樹に集まっている。

 サキは、五路広場から南の大通りに抜け、夕暮れの雑踏の中を走る。

 サキは、この王都レグノリアで生まれ育った。

 王家の血筋を引く神官の家柄に生まれたのに、サキだけは何故か霊力がなかった。

 姉妹には精霊を見たり、神託を受けたりする能力があるのに、サキだけはそういう能力が皆無だった。必然的に、神官になる道は閉ざされていた。代わりに、サキは神域を守護する神殿警護官の道を選んだ。

 そのせいか、小さな頃から姉妹の中で異質な性格と大胆な行動で、"シェフィールド家の邪々馬姫"の異名を持っている。

 サキが、運河の中央大橋を一気に駆け抜ける。猫族を思わせるしなやかな動きだった。

 運河が夕暮れの陽光を弾き、朱色にきらめく中をサキは走る。

 目の前の少し小高くなった丘に向かって、広大な空間が横たわっている。丘の上にある森に囲まれた白亜の建物が、聖教の大神殿だった。

 森に囲まれた小高い丘が神殿の敷地だった。丘の頂上にある本殿に向けて長い石段があり、その石段前には屋台が建ち並び、昼間は諸国からの巡礼者や王都の参拝客で賑わっている。

 王都レグノリアは、神殿を中心に置いた街だった。


       ◆


「ごめんなさい! 道を急ぎます!」

 サキが、前方の雑踏に大声を掛けて突っ込んだ。

 左手で腰に佩いた大刀の鞘を押さえ、右手に猫を抱えた姿で駆けるサキに、街行く人々が奇妙な表情を見せた。

 大通りを駆け抜け、神殿前の参道と呼ばれる広場へさしかかる。

 昼間は露店の立ち並ぶ賑やかな参道だが、夕暮れ時には露店も店じまいの支度を始め、家路につく参拝客もまばらだった。

(セアラ姉さん、屋敷に動物連れて帰ったら怒るかな?)

 シェフィールド家は、幼かったサキが大量の生きた蝉を持ち込んで屋敷内に放して大騒ぎになって以来、生き物の持ち込みは禁止だった。

 姉のセアラの怒る顔が一瞬サキの脳裏に浮かんだが、今はそんなことに構っていられない。

 神殿に通じる長い石段を一気に駆け上り、神殿の門の中の石畳の大広場を突っ切り、本殿の手前で右に曲がる。

 サキは、そのまま、神殿の裏手にある雑木林に飛び込む。

 神官の家系のシェフィールド家は、神殿の敷地の中に屋敷がある。

 雑木林の中の小径を抜けた先が、シェフィールド家の屋敷だった。

 厨房につながる裏口から屋敷に飛び込んだ途端、夕食の支度をしていたセアラに出くわした。

 神殿での神官としての純白の長衣姿ではなく、麻の上下を身に付けた家庭での質素な姿だった。金髪と海を思わせる緑がかった瞳は、サキの一族の特徴だった。

 姉妹なので顔立ちは似ているが、姉のセアラはサキよりも背が高く、物腰も落ち着いている。サキと大違いの才色兼備の姉だった。

「セアラ姉さん、薬箱どこ?」

「どうしたの?」

 サキの大声に、セアラが驚いた。

「猫! この子、死にかけてる!」

 サキの手の中にいる白い子猫を見た途端、セアラが居間に通じる扉を開いた。

「暖炉の横よ! 戸棚に薬箱あるわ!

 スーちゃん! ちょっと手伝ってちょうだい!」

 隣の食堂の準備をしていた末娘のスーが、戸口から慌てて顔を出した。

「どうしたの?」

「スーちゃん、猫!」

 サキが子猫を示した。

 慌てているサキの言葉は「猫!」一点張りだった。

「えっ? 猫?」

 その晩から、屋敷の中が大騒ぎになった。


       ◆


 セアラが素早く乾いた布を戸棚から引っ張り出し、サキの手から取り上げた子猫の身体を包み直す。

「スーちゃんは、そのまま暖めてあげて!」

 布にくるんだ子猫を、スーの手に渡す。スーの小さな両手が捧げ持つように子猫を包み込んだ。

「人間の病人と同じ扱いで、大丈夫かなぁ?」

 子猫を受け取ったスーが、背中を伸ばした。普段ののんびりしたあどけない表情が消え、神殿で霊力を使う時の凜とした表情になっている。

 姉のセアラは正式な神官だが、幼い三女のスーはまだ見習いの神官だった。だが、霊力に関しては姉のセアラよりも優れている部分があるという。

「生きとし生けるもの、要領は同じよ」

 セアラが、猫に向けて小さく印を切った。

「全知全能のアグネアの神よ、この小さな命を救い給え」

 こればかりは、サキには不可能な真似だった。

 神官を務める家柄の長女セアラも三女スーも、人並み外れた霊力を持っている。

 神殿を訪れる信者のちょっとした病気なら、手を触れて治癒させる霊力を持っている。

(あたしには、無理だわ)

 次女のサキは、こういう姉妹の特殊な能力を見るたびに、自分の霊力のなさを自覚し、劣等感にさいなまされる。

 サキは、シェフィールド家の落ちこぼれだった。

 代々神官を継ぐシェフィールド家三姉妹の真ん中だが、神官に必須な霊力が生まれついた時から皆無だった。

 神殿の神託を受けることも、精霊達の姿を見ることさえ出来ない。

 生まれながらにして霊力が皆無に等しいサキには、姉と妹のそんな特殊能力を持ち合わせていない。

「きゃぁ! 霊力が一気に持っていかれちゃったわ」

 スーが、驚いた声を上げた。

 セアラとスーが霊力で病人を治療する時も、自分の霊力を病人に分け与えるので、せいぜい一日に数人が限界だった。重病人だと、一日に一人がいいところだという。

 その霊力を一瞬で吸収するのだから、子猫の状態は相当に危険な状態だったのだろう。

「見たところ怪我もなし、飢えて衰弱してるみたいね」

 怪我でもしていれば薬箱も役に立つが、無傷では金創薬の出番はない。今、必要なのは餌だろう。

 セアラが厨房に引っ込み、夕食の食卓を彩るはずだった鶏肉を皿に載せてきた。

「乳歯も生えてるから、離乳は終わってる頃……やつれて小さいけど、生まれて二月くらいかしらね」

 お皿を鼻先に持って行っても、子猫は鼻をひくつかせるが、首を伸ばして餌にかぶりつこうという素振りはない。

 衰弱した子猫には、自力で餌を食べる力も残っていないようだった。

 サキは、小さな鶏肉の切り身を摘まみ上げ、自分の口に放り込んだ。

「ちょっと、サキ!」

 セアラの悲鳴を聞き流し、生の肉を噛み砕いて自分の手に吐き出した。細片になった鶏肉を指先に載せ、猫の口に入れる。

「あっ、食べてくれた!」

 スーが表情を輝かせた。

 猫の喉が動き、飲み込む動きを見せた。

 一度食べ物を認識すると、生存本能なのか猫が口を開けて小さく鳴いた。再びサキは小さく噛み砕いた肉を、子猫の舌に載せてやる。

 セアラとスーは、サキの行動に思わず顔を見合わせた。へたすると、口移しで餌を子猫に与えかねない勢いだった。

「親鳥が雛に餌を与えてるみたいね」

 セアラが、呆れた声を出した。

 サキは、三姉妹の中で一番異質で知られる。

 "シェフィールド家の邪々馬姫"の異名を持つように、花を愛でたりするのを楽しむ姉のセアラや妹のスーと違い、野山を駆けまわって遊ぶ方がサキの性に合っていた。木に登ったり、運河に飛び込んで泳ぐ、王族らしからぬお転婆娘だった。

 数切れ分の鶏肉を食べ終えた子猫が、スーの手の中で満足そうに丸くなった。

「あれ、もうお終い?」

 次の鶏肉の切り身をくわえたままのサキが、意外そうな顔をした。

「まだ小さいから、一度に沢山食べられないのよ。

 一刻くらいごとに、ちょっとずつ食べさせてあげなきゃ」

 セアラが、サキの手から餌の鶏肉を載せた皿を取り上げた。つと指を伸ばし、サキがくわえた鶏肉の切り身も回収する。

「いっぺん、火を通してから細切れにしておくわ……サキが生肉食べてるのを見ると、ちょっと怖くなっちゃった」

「食べたわけじゃないわよ。食べやすいようにしただけ」

「そのうち、あなたがお腹壊すわよ」


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