ACT10 使い魔
「あれが、シェフィールド家の邪々馬姫か?」
「けっ、王家の人間のくせに漂泊民の味方だって?」
「しっ! 天狼は、何か妙な術を使うって言うぜ。
関わると呪われるぞ」
サキの耳は良い。
武衛府の門をくぐって外へ出るまでも、背後からサキに対する陰口が聞こえてくる。
(なるほどね)
サキは、自分の首に掛けられた白銀の首飾りに触れた。
白銀の細い輪に、白と黒の宝玉が絡み合った意匠の飾りが付いている。この世の中の陰陽を示すものだという。サキ達王族が陽なら、天狼は陰の世界の住人だった。その両者が力を合わせるという願いを込めたものだった。
サキの首飾りは、天狼の約定を受け入れた者の証だった。
王家に対して警戒感を持つ天狼も、この約定の証を持つ者には全面協力を惜しまない。だが、天狼の力を恐れる王家の中には、逆にこの約定の証を持つサキを疎ましく思う存在も多々いる。
(こういうことね)
振り向いて睨みつけたい衝動をサキはこらえながら、壕に掛けられた跳ね橋を渡った。
王家の剣術師範のカイ・ボルトみたいな思想を持つ人間は、王家では数少ない。大概は、天狼はよくわからぬ異能を持ったよそ者、と敵意混じりに嫌悪している。
だが、天狼の力を借りなければ王都は成り立たないから王都の市民と漂泊民は見かけ上仲良く棲み分けているだけで、双方の心の内に偏見や不信が渦巻いている。
天狼の約定を受け継いで以来、サキはこの都の二重構造につくづく煩わされている。
王城地区や新市街区を抜けて運河を渡り、下町の旧市街区に入ると、サキの緊張が解け、少しほっとした気分になった。
堅苦しい王城地区に比べ、この旧市街区の方がサキの気性に合っていた。旧市街区では、市民だけでなく漂泊民も異民族も一緒に暮らしている。王城地区のように、あからさまに漂泊民に対する敵意は示さない。
(あたしは、この町とこの人達が好きだから)
王家の血筋を受け継いでいるが、サキには市井の人間達の方が親和性が高い。
サキの懐に隠れていた子猫が、サキの胸元から顔を出した。
「なに? 肩の上がいいの?」
サキは子猫を摘まみ上げ、肩に乗せてやった。
雑踏で混雑した運河沿いの道を抜け、五路広場に近い通行人の少ない雑木林が残る裏道に足を踏み入れる。
◆
その時、子猫が不意に警戒の声をあげた。
「?」
同時に、気配を察知したサキが反応した。
頭上で、黒い影が舞った。サキが横っ飛びに位置を変えるのと同時に、サキがいた辺りを、急降下したカラスが通り過ぎた。
一つ鳴き声を上げたカラスが、強く羽ばたいて再び急上昇した。
いつの間にか、上空で何羽かのカラスが舞っている。
その何羽ものカラスが舞う下に、いつの間にか人影があった。
(何者?)
男の杖の合図で、サキを襲ったカラスが男の頭上に戻って舞った。
明らかに、この男がサキにカラスをけしかけてきた。
(使い魔?)
反射的にサキが警戒態勢に入っている。
頭で考えるのではない。サキの直感が、この男を危険人物と認識している。
黒に近い灰色のマントを身にまとった小柄な男だった。
目深に被ったフードのせいで、人相はよくわからない。
男が手にした木の杖で、深い紫色の宝玉が蛇の目のように妖しく輝いている。
「カラスをけしかけるなんて……どういうつもりよ?」
サキが、男を睨みつけた。
「その金目銀目の猫をこちらに渡せ」
突然出現した謎の魔道士に、サキは面食らった。
フードの奥から見えるその顔色は悪く、両目だけが暗い光をたたえている。口元が歪み、眉間に縦皺を寄せたその顔は、一言でたとえると"憎悪"だった。
「その猫を渡してもらおう」
「はぁ?」
サキは、自分の耳を疑った。
「金目銀目の猫は不吉な兆しだ! 金目銀目が姿を現す時、街に疫病が流行する!」
「あんた、馬鹿じゃない?」
呆れたサキは、その小柄な魔道士を眺めた。
「王都に流行っている熱病は、その金目銀目の仕業だ。
我が退治してくれよう!」
「ふざけんじゃないわよ!」
子猫が不吉だと言われて、サキも黙ってはいられない。出会い頭にカラスをけしかけられ、喧嘩を売られたようなものだった。子猫を渡せという言葉に対するサキの答えは、当然拒否だった。
「あんたみたいなのがいるから、世の中がおかしくなるんだよ!
昼間っから寝言を言ってんじゃないわ!」
「言ってもわからぬなら、力ずくでもその金目銀目を殺す!」
魔道士が杖を振った。
杖の頭に埋め込まれた宝玉が、深紫に輝いた。
「!」
子猫が毛を逆立てて、威嚇の声をあげた。
頭上から、いきなりカラスが襲いかかってきた。
サキが、目の前の魔道士に気を取られた一瞬だった。
「チッ!」
サキの大刀が鞘走った。頭上で弧を描き、カラスの真正面から刃が走る。
サキの肩から、子猫が飛び降りた。
「チビ、逃げて!」
サキは大刀で一羽のカラスを撃墜した。カラスの悲鳴と共に、黒い羽根が舞い散る。
だが、サキを狙うカラスは一羽ではない。次から次へと四方からカラスが襲ってくる。
子猫めがけて、カラスが襲いかかる。
「危ないっ!」
サキが、小さな悲鳴をあげた。
(えっ?)
突然、子猫が急激な方向転換して、カラスの爪を避けた。
子猫の俊敏な動きは、今までサキの前で見せたことがない。
「こんの野郎ぉ!」
サキが、魔道士を睨みつけた。
カラスの攻撃はきりがない。どういう手段を使ったのかサキには見当も付かないが、この魔道士がカラスを操っているなら、魔道士を張り倒した方が早い。
サキが反撃しようとして、魔道士との距離を詰める。
(おかしい!)
サキの足が、ある一線で立ち止まった。
(何か、罠があるわ!)
サキの本能が、何か危険を告げている。
「!」
不意に風が舞った。
風に巻き上げられた紙片が、空中を舞っている。
(護符?)
風に乗った何枚もの護符が、突然サキの目の前で次々に空中に貼り付けられたように静止した。
(蜘蛛の巣?)
光の加減で、やっと目の前の蜘蛛の糸が見えた。
巨大な蜘蛛の巣が、謎の男とサキの間にあった。
護符が蜘蛛の巣に引っ掛からなければ、気が付かなかった。
何かわからぬ危険を感じたのは、これだった。
カラスをけしかけた攻撃は、おとりだった。目に見えない蜘蛛の巣が本当の攻撃だった。
護符を受け止めても切れないほど強い蜘蛛の巣は、見たことがない。
(こいつに絡め取られたらまずい!)
サキの直感が、危険を叫んでいる。
「よぉ、姫さんじゃないか」
突然、傍らから聞き覚えのある声が掛かった。
場違いなほどにのんびりした声だった。
期せずして、サキと魔道士が同時に後方に飛び退き距離を開いた。
「リュード!」
いつの間にか、天狼のリュードが近くに立っていた。
このリュード・フォリナーという若者は、約定を継いだサキの天狼側の相棒だった。
普段は、神殿前の運河沿いの道端で小さな露店の辻占いで生計を立てている。リュードは、サキの知らないはるか東方諸国に伝わる方術という、魔道に似た謎めいた術を使う。
だが、その正体は剣を捨てた凄腕の剣術使いだと、リュードを知る皆が口をそろえて言う。
「こんなところで、幻術を見物できるとは思わなかった」
リュードは、辻占いの長衣を羽織ったいつもの方術士の姿だった。首に二重に巻いた宝珠と、腰から下げた護符以外は、街の若者と大して変わらない姿だった。リュードの特徴的な青灰色の瞳と肩まで伸びた黒髪を見なければ、王都レグノリアではさほど目立たない。
「貴様! 邪魔立てするか!」
蜘蛛の巣の向こうで、魔道士が甲高い怒りの声を上げる。
蜘蛛の巣に張り付いた護符が、風に揺れる。どれだけ強靱な蜘蛛の糸なのか、風に揺れる護符を捕らえて放さない。
「カラスと蜘蛛とは、珍しい組み合わせだなぁ」
魔道士を眺め、リュードが笑う。
ゆっくりと、懐から一枚の護符を取り出した。リュードが、頭上を舞うカラスにちらりと視線を移す。リュードの登場に警戒しているのか、カラスが襲ってくるのに躊躇している。
「お相手しよう」
護符を手の中で小さく丸め、頭上に放り投げる。
リュードが、短く鋭い呪文を唱えた。
「疾!」
リュードが空中に投げ上げた護符が、突然光った。
予期せぬ閃光に、上空のカラスの群れに動揺が走った。
閃光が消えた途端、頭上でカラスの悲鳴が響き渡る。
何が起きたのか、次々にカラスが落下してくる。
石畳に落ちた途端、カラスが燃え上がった。
「えっ?」
火球が一瞬で消え、カラスの姿が消えている。
焼け焦げた死体さえない。
(これが、幻術?)
カラスの姿など、頭上のどこにもない。
最初から存在しなかったかのように、頭上を舞っていたはずのカラスが一羽残らず消えている。
「貴様……魔道士か?」
魔道士が、リュードを睨みつけた。
予期せぬリュードの出現に、動揺が見える。
「さあてね……お次は、この蜘蛛の巣か」
リュードが、何やら異国の言葉で呪文を唱えた。
「炎!」
リュードの呪文で、蜘蛛の巣に張り付いていた護符がいきなり燃え上がった。
(!)
火線が蜘蛛の糸に沿って縦横に走り、サキの視界に燃え上がる巨大な蜘蛛の巣が映った。
一瞬で蜘蛛の巣が焼き尽くされ、何匹かの蜘蛛が石畳に落ちる。
蜘蛛の巣が炎上したとたん、子猫が見たことのない素早さで走り、地面に散らばった蜘蛛に片っ端から飛び掛かって爪を掛ける。
「ちっ!」
長衣を翻した魔道士が、傍らの林に飛び込んだ。
魔道士の長衣の下から、一瞬肩口に施された紋章が見えた。
「この野郎! 待て!」
サキが怒鳴ったが、サキは追うのをあきらめた。
魔道士の意図が、よくわからない。
「まさか、あいつが?」
サキは、瞳に焼き付いた鷲を模した紋章が気になった。
魔道士が身に付けていた紋章は、ランカス家の紋章だった。
そして、サキの脳裏に数日前の五路広場で遭遇したベリア・ランカスの肩にも付いていた紋章の映像が浮かび上がってきた。
だが、数日前と人相が大きく違う。数日前にサキが見たベリアは、まだあどけなさの残る端正な顔だった。だが、今の男は顔色も悪く、歪んだ口元はとても同一人物には見えなかった。まるで、何かに取り憑かれたような変わり果てた姿だった。
◆
「姫さん、なんで魔道士と喧嘩になったんだ?」
リュードの呑気な声に、サキは我に返った。
「ありがとう……リュードが来てくれなかったら、どうなってたかわかんなかったわ」
「姫さんが、そんなに簡単にやられちまうほどヤワには見えんが……面白そうな騒動だったから、ついつい出て来ちまった」
「馬鹿、嘘ばっかり」
サキは、少し胸が熱くなった。素知らぬ顔をしながら、サキの危機を見て助けに入ってくれたのだろう。
不意に、子猫がサキの足元に寄ってきた。
「ちょっと、何を食べてんのよ!」
サキは小さな悲鳴をあげた。
子猫の口から、蜘蛛の大きな脚が覗いている。
脚だけを吐き出し、子猫が何もなかったように顔を洗う。
「そんなもん食べるんじゃないわよ」
サキが、叱った途端、子猫が何かを思い出したように顔をあげ、再び走り出した。
子猫が再び走り、地上を這っていた蜘蛛を咥えた。
サキに、その蜘蛛を咥えて運んで足元に置いた。
得意げに、サキを見上げて鳴く。
「うわっ、そんなものお土産に持ってこないでよぉ」
子猫の首根っこを摘まんで、サキは子猫を蜘蛛から引き離した。
「でも、無事で良かったわ」
首根っこを摘まみ上げていた子猫を、サキは左手で抱き直した。
「お願いだから、あたしが戦う時には離れててね」
子猫の顔を間近で見つめ、噛んで含めるように話しかける。
「子猫連れて喧嘩なんかするのは、姫さんぐらいだなぁ」
リュードの呆れた声に、サキは顔を上げた。
「好きで、もめたわけじゃないわよ!
あっちが、いきなり喧嘩ふっかけてきたんだから!」
サキは、改めてリュードを見た。
サキよりは年上だが、リュードは若い。肩まで伸びた黒髪と、青灰色の瞳を持っている異民族の若者だった。首から下げた宝珠と、腰に下げた護符らしき装飾品を除けば、街のどこにでも居るような細身の若者だった。
「あいつ、この子を狙って出て来たみたいなこと言ってたわね」
「そもそも、この子猫どうしたんだ?」
「拾ったの……この近辺で、三日かそこら前に」
サキは、子猫を拾った経緯を手短に事情を話した。
「金目銀目の猫が不吉だなんて言いがかりをつけられて、魔道士にいきなり喧嘩売られるとは思わなかったわ」
「魔道とか妖術でも、蜘蛛の巣を戦いに使うって術は珍しいんだ」
リュードが、蜘蛛の死骸を拾い上げた。
「鳥はともかく……虫を操れる奴がまだ残っているとはね」
リュードが蜘蛛をしげしげと観察している。謎の男の魔道に興味津々という表情だった。
「まぁ、老虎でシェル姐さんに聞いてみるか」
そう言ったリュードは、懐紙を出して蜘蛛の死骸を包んだ。
「面白そうじゃねーか」
「面白がってる場合じゃないわよ」
リュードの表情が、妙に楽しそうだった。
このリュードという男は、興味の無いことにはテコでも動かないが、一度興味を示すと寝食を忘れてとことんのめり込むやっかいな性格をしている。
「あなたの方術と同じようなもの?」
サキには、魔道も方術も区別が付かない。
先ほどの謎めいた男も、方術士を名乗り辻占いをしているリュードも、サキに言わせれば「怪しい奴」でひとくくりにされてしまう。
リュードが小首を傾げた。
「方術じゃないな。ヴァンダール王国近辺の魔道の方だろうな。
だけど……虫を操るなんざ相当な実力の持ち主だぞ」
「あなたのイカサマとも違うの?」
「イカサマ……まぁ、方術も魔道も九割方は仕掛けがあるがねぇ」
リュードが苦笑した。
サキにイカサマ呼ばわりされても気を悪くした様子もない。
蕩々と流れる雲や水のように、とらえどころがなく飄々としてとぼけた男だが、何とも憎めない不思議な男だった。サキがリュードに出会ったのはほんの二月前の頃だった。魔除札の盗賊を追うために、サキが王都の黒歴史を知り、天狼の約定を受け入れた時に、天狼側の相棒として姿を現した謎めいた男だった。
方術という、魔道に似た東方諸国の謎めいた幻術を使う胡散臭い男だが、どこかサキが惹かれる部分もある。




