ACT09 挑発
ヴァンダール王家の王城は、神殿から南に行った先の一番高い丘の頂上にある。
王都レグノリアは、街が丸ごと城壁で囲まれている城塞都市だった。
だが、その中に、さらに城壁で囲まれた王城が存在している。
山城という程ではないが、不幸なことに敵軍が侵入してきた時の最後の抵抗を行う砦としての機能を持っている。
運河の水を引き込んだ水堀と、大きく大地を掘削した空堀が続き、そこを抜けても堅固な城壁が丘を取り囲んでいる。
誰が設計したのか定かではないが、巧妙に造られた城壁だった。
だが、ここでは十万を超える王都の生活を支える官吏としての仕事を行うには不便で手狭だった。必然的に、街の機能の中心は運河沿いの平地に移された。
百年近く平和が続くヴァンダール王家では、城は象徴として存在するだけで、都市として機能を統べる役所は、全て王城の前の新市街区に新た建てられた官庁街に移されている。
そして、そのさらに神殿寄りに王侯貴族の屋敷が建ち並ぶ。
王城と、この王侯貴族の居住地、官庁街を総称して、王城地区と呼ばれていた。
王族の末席に連なるとは言え、サキが王城地区に足を踏み入れるのは久しぶりだった。もともと、神殿警護官の縄張り外の王城地区とは縁が薄い。
特に、ここ最近の魔除札の盗賊事件で天狼との約定を受け継いで以来、サキは王家とは疎遠だった。約定を受け継ぐと言うことは、天狼嫌いの王家にとって、サキが天狼側の味方についたと思われ、遠回しに忌避されている。
「ここが、振り出しね」
そこは、武衛府と呼ばれる石垣で囲まれた地区だった。
王家の騎士団や歩兵団の駐屯地だった。
武衛府の正門で来意を告げ、門番に教えられた方向へとサキは歩いて行く。
滅多に来ないせいか、さすがにサキもどこにどの屋敷があるのかわからない。通路も石壁で遮られ、あちこち曲がりくねった形になっているのは、万が一の戦乱時に、王城を守る防壁となるための設計だろう。
不意に、近くで太鼓の音が響いた。
「!」
サキは、突然の太鼓の音に驚いて、武衛府に続く石段の踊り場で立ち止まった。
街路樹で囲まれた傍らの石畳の広場が、鉄柵で囲まれた練兵場になっている。
サキは、練兵場に通じる鉄格子の門を開いた。サキが呼ばれた武衛府の詰め所は、この練兵場の隅にある。
数百人の若者が、槍を構えて隊伍を組んでいる。その装備からして、重装歩兵のようだった。
再び、太鼓が鳴った。
太鼓の合図に反応して、陣形が変わる。
「鶴翼、魚鱗、車懸……」
サキは、若者達の動きを見て、陣形を呟いた。
兵法書にある、陣形変化だった。
武衛府では、ほぼ毎日のように軍団が鍛練を行っている。
王家直轄の軍勢は国の規模からすると少なかった。そのため、少数精鋭の軍団は、日頃から教練を怠らない。
騎馬で戦う騎士団と違い、重装歩兵は徒歩で戦う。
平原での戦いにもなれば騎兵は強いが、森林や山岳地帯では騎兵の特性が活かせない。
特に、国境沿いで小競り合いを繰り広げている北の大国ノールが相手では、冬の雪原と森林地帯での戦いも訓練が必要だった。
「?」
不穏な気配に、サキは眉をひそめた。
敵意と猜疑心が入り混じった視線が、サキの背後から様子をうかがっている。
(王城地区で、敵意を感じるとはね)
神殿警護官という役目柄、サキの感覚は鋭い。敵意や殺気には、敏感に反応する。十年に渡る夜通しの刀術の鍛練は、サキの感覚を並々ならない鋭敏さに鍛え上げていた。
だが、王城地区で敵意を感じるのは初めての経験だった。
王族の一員であるサキは、王家と敵対しているわけでも騒動を起こしに来たわけでもない。
ましてや、神殿警護官の装束のサキが、別人と間違われる可能性も低かった。
(何人?)
ゆっくりと歩きながら、サキは気配の方向と数を探る。
サキは無意識に臨戦態勢に入っている。
自分の感覚が、いつになく研ぎ澄まされてゆくのがわかる。
(十人以上ね)
不意に、背後から何かが飛んできた。
予想していたサキが、ひょいとかわした。
飛んできたのは、まだ青いドングリだった。
振り向いた先には、少年とも言える世代の若者達がいた。
「やっぱり、こいつだよ」
「五路広場でベリアに恥かかせたのは、お前か?」
サキの視界に、見覚えのある顔がいくつかある。
(やっぱり、こいつらだったんだ)
身なりこそ違うが、五路広場でとっちめた連中が紛れている。
サキは、三人を見て、五路広場の騒動を思い出した。
「どういうつもり? 仲間を集めたら、急に強気になってんじゃない?」
サキが、揶揄した。
自分の縄張りだと強く出る。ましてや、五路広場とは違って加勢を集めているから、再び強気が戻ってきている。
「講武堂に恥をかかせたんだ、俺が敵を討ってやるぜ」
見知らぬ一人の若者が前に出た。それに釣られて、左右からも二人出てきた。サキを取り囲んで恥をかかせるつもりだろう。殺気というより、サキを痛めつけるような残忍な気配の方が強い。
取り囲んだ連中は、サキと同い年前後の若者ばかりだった。講武堂と呼ばれる王侯貴族の若い子弟を集めた学問所の連中だろう。
(あんまり、騒ぎは起こしたくないんだけどね)
サキは、ちらりと足場を確認した。石畳の足元は起伏も少なく、戦うには障害物もない。
売られた喧嘩だった。
もちろん、王侯貴族の子弟達を半殺しにしたのがバレたら、カロンの説教程度では済まない。
(腕試しの相手をしただけ、って……こんな言い訳は通用しないよね)
不用意に、一人の男がサキの間合いに入った。
刹那、一陣の風が舞った。
「?」
風に意識が移った途端、サキの前に立っていた三人が打ち倒されていた。
サキが、動いていた。
複雑な軌跡を描き、包囲の中を縦横無尽に駆け抜ける。
多人数を相手に、サキの弯刀がその威力を十分に発揮している。
サキの刀術は、全て夢の中の影法師が見せた技だった。ヴァンダール王家の剣術とはまるで動きが異なる。
「!」
剣が弾き飛ばされ、また一人うずくまる。
また一人、もんどり打って石畳を転がる。
サキの刀術は、陣形を整え号令に従って動く集団用の技ではない。単騎で、多人数を相手に血路を切り拓くための個人技だった。その片刃の大きな弯刀の威力が、遺憾なく発揮される。
身体を転回する勢いで刃を水平に薙いで、構えた剣ごと相手を水平に弾き飛ばす。
「!」
サキが包囲を抜けて、大刀を斜に構えて振り向いた。
既に十数人が石畳に倒れ伏している。周囲には、弾き飛ばされたり折れた剣が散乱し、腕や脚を激しく打たれた男達のうめきが聞こえる。
サキを取り囲む相手は、半分に減っている。
サキは、ゆっくりと刀を鞘に納める。
「そこまでっ!」
いつの間にか、練兵場の片隅に一人の男の姿があった。
背が高く肩幅も広い壮年の男が、ゆっくりと歩み寄ってくる。暗い金髪に蒼い眼をした男だった。
シャツの上から褐色の革の短衣を身にまとい、肩から短いマントを羽織っている。
漂わせている気迫が全く違う。その気配は、厳粛で落ち着いたものだった。
「やめとけ、お前らが束になっても勝てん」
サキを取り囲んだ輪の中に、男が静かに足を踏み入れた。
男の登場に誰何もないところを見ると、若者達がよく知る相手なのだろう。先刻、サキに打ち据えられた若者達が、ばつの悪そうな表情を見せ無言で道を空ける。
「ましてや、王家の依頼で訪問した者に喧嘩をふっかけるとは言語道断! 講武堂は、いつから場末の酒場の荒くれ共の巣窟に成り下がった?」
この一喝は効いた。
「あなたは?」
サキが、男の顔を見上げた。
年の頃は、叔父のカロンと同世代だろうか。腰に佩いた、体格にふさわしい大剣が目を引く。刃渡りは三尺余りか、サキの大刀並みの大剣だった。
「王家の剣術師範を務める、カイ・ボルトだ」
ボルトが、そう言ってから周囲を見渡した。
「神殿警護官のサキ・シェフィールド姫を、お呼びしたのはこの俺だ」
「!」
サキを取り囲んだ連中に、激しい動揺が走った。
剣術師範が招聘した客に対して喧嘩を売って、どういうおとがめが生じるのかわからないほど愚かではない。
冷静でありながら、威厳を秘めたボルトの眼光に子弟達がうつむいた。
「自分の務めを果たせ! それだけだ!」
カイが手を振って、サキを取り囲んだ連中を下がらせた。
「ジェム・デュラン、キーラ・トロム、レビン・トロムの三人だけ、ここに残れ!」
下がろうとしていた三人の若者が、その場に立ち止まった。
◆
武衛府は、王家の騎士団を統率する組織だった。
ヴァンダール王家の兵力は、国の規模からするとかなり少ない。
王家の騎士団は一千騎弱、歩兵団をかき集めても総勢五千人かそこらの軍勢しか持っていない。
王族直系の近衛兵の軍団と、王族や貴族で構成する騎士団がいくつかあるが、外部の防衛にはヴァンダール王国の各地に所領がある有力諸侯の軍事力に頼っている。
王都レグノリアを中心としたヴァンダール王国は、周辺の他国とは少し変わった統治をしている。王国といいながらも複数の有力諸侯が、王都レグノリアを囲むようにそれぞれの領地を持ち、王都レグノリアを護っている。戦乱になった場合、周辺の諸侯が外壁となり、王都レグノリアを護る。
講武堂は、武衛府の下部組織に当たる。ヴァンダール王家の少ない戦力を補うための、養成学校のようなものだった。王侯貴族の次男三男の若い子弟を集め、初歩の軍事教練を行なっている。
「五路広場で、姐さんと一悶着あってから……憂さ晴らしに冒険街に行ったんだよ」
サキを前にして、ジェムの口が重い。キーラとレビンの兄弟に至っては、元々口べたなのか寡黙だった。
サキの怖さは承知している。そのサキの聞き取りに動揺しているのか、ボルトの一喝に動揺したのか、覇気が感じられない。
だが、観念して全てを正直に話していると信じるには何かが足りない。時折、ジェムの目線が泳ぐ。
考え考え、都合の良いような部分だけ話している。
「ふん、虚偽が混ざってるぞ」
ジェムの言葉を、傍らに立っていたボルトが不意に遮った。
「"常緑亭"って名前のあの店で、何を買い、翌日にどこに行ったのか……しっかり話せ、ごまかすな」
剣術師範のボルトの声に、ジェムが凍り付いた。
「なんで……そこまで……」
「おいおい、俺を見忘れちまったのかい?」
ボルトが、低い声を出した。
「まっ、髪も髭も伸び放題で二月ばかり冒険旅してた薄汚れた姿だったからなぁ」
今のボルトは、髪も丁寧に整え、正式な王家の衣装を身にまとっている。冒険街で遭遇した熊みたいな姿はどこにもない。
「えっ! まさか……"雷の旦那"?」
ボルトが、にやりと笑った。
「お忍び姿だったからな。
だから、お前らが冒険旅に出かけようって算段しているその場に俺もいたのを忘れるな」
ジェムが、観念したように口を開いた。
「……冒険街に行ってから、ひとつ冒険旅にでも行こうじゃないかって話になってさ。冒険旅に必要な装備を買って、買った地図に載ってる昔の砦跡までちょっと行って、三日ばかりで戻ってきただけだよ」
ボルトに追求され、ジェムは冒険旅の行き先と顛末を話し始めたが、それでもベリア失踪の手掛かりになりそうな話は出てこなかった。
「で、冒険旅から戻ってきてからさ……ベリアが体調崩したから、講武堂での剣術の教練は休むって……知ってるのはそれっきりだ……てっきり、屋敷に戻っているとばかり……」
サキは、これ以上詰問してもジェム達からは何も情報は得られないことを悟った。正直な告白にはほど遠いが、罪人ではないので吊し上げにして吐かせるわけにも行かない。
◆
ほとんど収穫のなかったジェム達の聞き取りを終え、サキは練兵場の広場でカイ・ボルトに頭を下げた。
「助けて頂き、ありがとうございます」
ボルトの助力がなければ、もっと混乱したはずだった。
喧嘩寸前の状況を止めてもらったのも、関係者の事情聴取の便宜もボルトが居合わせなければ難しかった。サキ一人が乗り込んだだけでは、大喧嘩で終わったはずだ。
「なに、礼は無用だ。
むしろ、奴等に代わって非礼を詫びたい。
講武堂の若い奴等は、うちの次男のジンが剣を教えている連中だ……ジン本人が所用で不在中の出来事とはいえ、管理不行き届きは親としても申し訳がない」
「でも、何故ボルト師範が、冒険街に?」
「遊びで二月も野宿したりはせんよ」
ボルトが笑う。どことなく、叔父のカロンに似た笑い方だった。
「俺は、王家の剣術師範というお務めだが……実際には、国王陛下の相談役みたいなものだ。
王家の騎士団に剣術を教えるのは、長男のレイが代行しているし、王侯貴族の子弟を鍛えるのは次男のジンで十分だ。
俺は、国王陛下の眼となり耳となり、あちこちうろついているだけだ」
ボルトが、練兵場の門扉を開いた。
サキを送り出すように身をかがめ、急に小声になり囁いた。
「冒険街の"常緑亭"の主人は、天狼だ。
口は重いが、サキ姫になら口を開いてくれよう」
「?」
ボルトの言葉に、サキは思わず顔をあげた。天狼との約定をサキが受け継いだことをボルトも知っている。王家側の人間でありながら、天狼側の味方に付いたサキを疎ましく思う存在は王家の中には数多い。国を持たず、太古からの英知を受け継いだ漂泊民、特に天狼と呼ばれる謎めいた集団の力を恐れ、疎ましく思う王家の人間にとっては、天狼と自由に付き合えるサキは邪魔な存在だった。
「国王陛下からサキ姫が約定を継いだというお話はあったが、その首飾りを見て確信したよ……天狼の力を借りられるならば、是非その力を借りて欲しい」
「あたしが天狼の味方と知りつつ、ボルト師範は……何故、あたしを助けてくださったの?」
「王家の全員が、天狼嫌いじゃないさ」
ボルトが笑う。
「王家と天狼、って単純に二色に分けるから世の中がややこしくなる。
王家とて天狼と仲良くしたいのもいるし、天狼にも王家と仲良くしたいのもいる……いつかは本当に両者が仲良く出来る世の中が出来ると信じてるのさ」
「ありがとうございます」
サキは、素直に頭を下げた。
王家の全員が天狼嫌いでない、ということは少しありがたかった。少なくとも、サキの味方が王家に皆無でないことがわかっただけでも、王族のベリア・ランカスを探すのにやる気が出てきた。




