魔法使い、決戦。
「げほっ、ごほっ」
「おいおい、大丈夫か?」
背中をさすってくれるルネーにすがって、少し息を整えた。
「あ、ありがと。あやうく終わりになるところだったわ」
「しっかりしてくれ。見せ場はこれからだろ? ほら、呪符」
「おおっ!?」
ルネーが差し出した呪符の束に、思わず目を丸くする。
ざっと見渡しただけでも、一級の呪符の数々だとわかった。値段は……言うまでもない。
「よく出してくれたわね、こんなに」
「それについてはノーラから伝言がある。『ちゃんとやらなきゃ、あんたの給料から天引き』だって」
「ひいいぃぃぃぃ!?」
こんなに天引きされたら、わたし一生ただ働きになっちゃうわよ!?
けど、今はそんな給与計算をしている場合じゃない。
海坊主を転倒させてしまったせいで、おもいのほか距離を稼がれてしまった。もう陸は目の前だ。
ゆっくりと立ち上がる海坊主。収納魔法に片足を取られたせいで足がもげていたが、それがみるみるうちに再生していく。
「切り刻んでもだめなのかしら?」
「あるいは再生するより前に細切れにしちまうか、だな」
「じゃ、その線で」
わたしは呪符を開いて構えると、魔力を流し込んだ。
魔力をごっそり持っていかれて、思わず膝をつきそうになる。この前とは比較にならない数だ。
逆にこれを使いこなせば、あるいは海坊主にも痛撃を食らわせられるかも。
わたしは呪符を一枚、指で挟んで引き抜いた。
「ルネー、あんたの円形刃、貸して」
「どうするんだ?」
「この呪符をあいつに届かせて」
呪符は貼り付いた場所で発動するが、まだ海坊主と距離がありすぎて、札を投げただけでは届かない。
だからそれをルネーの得物に託した。
「こいつを思い切りぶん投げて!」
「よし!」
勢いをつけて、ルネーが全力投球。
円形刃は緩やかな弧を描いて飛んでいき、はるか上空の海坊主の肩口あたりに消えた。
「ナイスっ! 【爆裂】!」
海坊主の左肩で目がつぶれるかってくらいの火花が散った。少し遅れて轟音。
飛び散った海坊主の破片がばらばらと海に降り注ぐ。どのくらい削れたかしら。
爆裂魔術の煙が晴れたあと。
なにごともなかったように、ゆっくりと歩き続ける海坊主の姿があった。
わたしは思わず、膝を抱えていじけそうになった。全然効いていない。
(なによあれ! あんなの反則よ!)
しかし。
わたしは立ち上がった。
「何度でもやるわよ! ルネー! 力貸して!」
自分を鼓舞するために、わたしは叫んだ。挫けるわけにはいかない。今ここには、わたしたちしかいないんだ。わたしが諦めたら、ハルムスタッドの街が消えてしまう。
「おりゃっ!」
ルネーが立て続けに投擲する。
「【爆裂】!」「【爆裂】!」「【爆裂】!」「【爆裂】っ!」
ついに海坊主の左腕がもげた。
「やった!」
大きな岩が島から落ちるように、ゆっくりと腕が海に落ち、またも派手なしぶきを上げる。
だが、海坊主は止まらない。痛みすら感じていないようだ。攻撃されたからといって怒るわけでもなく、ただ淡々と前に進むだけ。
(どうしたらいいんだろ、これ?)
呪符も魔力も、ずいぶんと減らしてしまった。なのに海坊主の腕は再生を始めている。
どこまで対抗できるだろうか。わたしになんとかできるものなの? 絶望が心の片すみに、ふっと芽吹くのを感じた。
「いいぞ、効いてる! いけるぞ、ニーナ!」
それを振り払ってくれたのは、ルネーの激励だった。
「……そうね、次は足よ。とにかく足止めするわ」
再び爆裂・炎熱の呪符を総動員して、海坊主の片足を奪った。前に倒れそうになる海坊主に、
「こっち来んなっ!!」
顔面に打突の札をかましてのけぞらせ、仰向けに打ち倒した。
「はあ、はあ、げほっ……」
「大丈夫か、ニーナ?」
海坊主が起こした津波を再びかぶってずぶ濡れになったわたしを、ルネーが心配そうにのぞき込む。ちょっと飛ばし過ぎたかな。魔力が切れそうだ。
魔力が完全にゼロになったら、魔術師は死んでしまう。けど。
「大丈夫よ。わたしは魔法使いだから」
息を整えながら、呪文を詠う。身体に魔力が流れ込んでくる。
わたしは魔法使い。魔術師と違って、自然の力を借りて魔法を使う。
だから自分の魔力を使わなくても大丈夫なはずなんだ。まだいける。まだ使えるはず。
「どうやら再生するのは本体だけみたいね。本体から切り離されたらそのまま消える」
なら回りを削って、残った本体を空間操作の呪符でどこか遠くへ飛ばしちゃえば、なんとかなるかも。
「けど、早いとこ決着つけないとね」
わたしの背を冷や汗が流れ落ちた。
今や海坊主は、残った手足で器用に前に進み、ついに上陸寸前まで来ていたのだ。
すぐ目の前に海坊主の腕がある。そびえ立つ大木、いや、そんな表現でも生ぬるい。
大木がちっちゃな苗木に思えるくらい。こんなのが地上を動き回るだけで、どれだけのものがぺしゃんこにされるか、わかったものじゃない。
そんな冷や汗をかいているわたしの脇を、誰かが風のように走り過ぎた。
「うおおぉぉぉぉぉぉぉりゃっ!!」
身体に似合わない大剣を振りかざして、ペリトが飛びかかっていった。
何度も剣を振る。叫びながら、右に左に、全力で海坊主に斬りつけた。
「このっ! うすらでかいだけの化け物に負けてたまるかっ!」
すさまじい気魄に、わたしはぞくっと鳥肌が立った。恐怖じゃない。味方の剣士の頼もしさに、勇気に、身震いしたのだ。ペリト、やっぱりあなたは強いよ。剣にふさわしい心の強さを持ってる。
大剣が当たる衝撃で海坊主の腕が砕かれ、削れていく。が、海坊主もそのまま待っていてはくれなかった。
身じろぎして腕を動かしたとたん、
「うわっ!」
ペリトが弾き飛ばされた。
身じろぎ、と言っても、大木が横から吹っ飛んでくるような勢いだ。動きはとてもゆっくりに見えるが、それはあまりにでかすぎるからで、近くにいるとものすごく速い。これは巻き込まれたら確実に死ぬわね。
「ペリト、大丈夫?」
「ちくしょっ!」
口の端の血をぬぐって立ち上がるペリト。戦意を失っていないのは大したものだけど、海坊主の腕は一割も削れていなかった。大きさがそのまま武器でもある巨体。その巨体がひざを突いて立ち上がる。
再び背筋を怖気が走り抜けた。なんて高さ。それに……もう立てるの?
「…………まだよ。まだ終わってない!」
わたしは呪符を引き抜いた。
固まっている場合じゃない。
やつが立ち上がり切る前に。
動き出してすべてを踏みつぶしてしまう前に。
なんでもいい。なんでも使う。
なんとしてでも止めてやるわ!
「【串打ち】!」
やっぱりわたしは、これか。冴えないなあ。だけど。
「いくよ。もっとでっかいのっ!」
呪符と魔力と魔法の重ねがけと。
ありったけの力を受けた串は、海坊主の腕くらいの太さになり、海坊主のどてっ腹にぶつかった。
質量と質量の激突。肚に響く低音とともに海坊主があおむけに倒れこんだ。
「どうだっ! こんにゃろ……げふっ!」
「ニーナ!?」
あれ? どうしたの、わたし?
身体に力が入らない。立たなくちゃ。
まだ目の前には海坊主が、災害そのものがいるのに。
気がつくと手が地面についている。何だろ? まだ危機は去っていないのに、頭がうまくはたらかない。わたし……わたし、何してたっけ?
「ニーナ! ニーナ! どうした!?」
「大丈夫か? やっぱり魔力の使いすぎか? 立てるか?」
わたしに手を貸してくれる人がいる。ペリトとルネーだ。大丈夫。大丈夫だよ。そんな心配そうな顔しなくったって、魔法使いの力の源は無限なんだから。
なのに、手が地面から離れない。ひざを突いたまま、動けない。こんなことしている場合じゃないのに、身体が動かない。
がんばって、がんばって、打てる手は全部打ったのに状況は変わらなくて。
力尽きて膝をつき、身体はいうことを聞かず、自分のすべてが相手につ通用しないと感じたとき。
その時ふっと心に忍び込むのは、あきらめ。絶望。
心の片隅が黒に染まった瞬間、人は敗北を知る。
これは……ついに、だめかな?
でももう、どうしようもないじゃない。わたし、がんばったんだよ。
そんな言い訳を口にしようとした時。
「よお、ニーナ。だらしねえなあ。情けないのは胸だけにしとけよ」
「なっ!? 相変わらず失礼ね! 何しに来たのよ!?」
思わず叫び返したけど、このふざけた言動は。
でも今ここにはいないはずなのに。
「もう少しがんばれよ。しぶとさだけがあんたの取りえだろ?」
「やかましい! なによ、このかよわい乙女をなんだと思ってるのよ?」
「乙女って柄かよ」
「ちっくしょー、あとで絶対おごらせるからな!」
「あはは。でもニーナさんらしいですね」
ベッティル。ビャルネ。アヴェーネ。
わたしが最初に組んだ連中がそこにいた。
なんで? 今は山狩りの最中で、山くじらと絶賛戦闘中のはずなのに。




