魔法使い、想像を絶する「モノ」を見る。
「うみゅ~~~」
「なに? そのありさまは?」
がらんとしたギルドのサロンでだらけているわたしを見て、ノーラがあきれ顔を向けてくる。
「しょうがないじゃない。ヒマなんだもの」
ノーラもそれ以上は言わなかった。
ノーラに任された即席のパーティはおおむね好成績を上げていた――エクルのことは残念だったけど。
その活動も、今日はお休み。わたしたちだけじゃなく、F級の冒険者はみんな、街で留守番している。
山くじらが見つかったという知らせに、山狩りが行われていた。
巨大な猪の魔物、山くじら。その大きさは文字通り『山』のひと言につきる。
山狩りといえば、山を狩場に獲物を狩り出すことを言うが、山くじらの場合はちょっと違う。文字通り、山を狩る。相手が山なんである。普通の人間では「何の冗談?」というような話だ。
なので、中級上級の冒険者が総がかりで挑んでいた。街のギルドに所属する冒険者が根こそぎ動員されて山に向かっている。
そこに初心者が混ざっても邪魔にしかならないので、F級のわたしたちはお留守番だ。
おかげで街も心なしか閑散としている。もの好きが見物に行っているらしいからなあ。
ともあれ、たまにはゆっくりするのもいいかも知れない。
……ゆっくりしていると、過去のさまざまなやらかしが頭をよぎって転げまわりたくなるけど。
いやいや、わたしはよくやっている。雑念よ、去れ。
「大変だ! 誰か来てくれ!」
……雑念は去ったけど、変なトラブルが来た。
飛び込んできた人にノーラが尋ねる。
「どうかしました?」
「海が……海が大変だ!」
「なにか魔物でも?」
冒険者ギルドに来たってことは、そういうことよね、きっと。
「沖から何かが近づいてるんだ。あれは……海坊主かも」
「なっ!?」
◇
ハルムスタッドの街の外れは海に面している。
小さな一角だけど、そこに出入りする船で、海も陸も普段は賑わっている。
その動きが、止まっていた。
人も、船も、一様に沖の方を見つめている。
「はあ、はあ、はあ……」
海のへりまで駆けつけたわたしは、荒い息を繰り返しながら遠くを見た。
はるかはるか沖の方。
何かがゆっくりと動いている。
「うーん、確かに何かいるたみいだけど……あれが海坊主?」
そばに立つ人に訊いてみる。
「多分な。あんな遠くでも見えるものなんて、それくらいしかいない」
答えてくれた人の表情も不安そうだ。
海坊主は海の魔物の一種なんだけど、その姿はわたしも見たことがない。
陸の山くじらと同じく、途方もなく巨大だと聞いている。それが時々移動することがあるのだという。
何のために、どこへ移動するのかは分からない。けれどひとたび動けばそれだけで海は荒れ、津波が起こり、それに飲み込まれて消えた海の街は数知れず。さらに陸に上がれば、踏み下ろした大足があらゆるものを踏みつぶして行く。山くじらに並ぶ災害級の魔物だ。
「で、こっちに向かっているように見えるんだけど?」
「ああ、あれがここに来たら、ハルムスタッドの街は消えてなくなるかもな」
ちょっとそれ、シャレにならないんですけど!?
「なんとかならないの、あれ?」
「A級冒険者なら追い払えるかもなあ。あまり聞いたことがないが」
「えー……」
それをやってくれそうな冒険者は今、遠く離れた山の中にいる。ひとり残らずだ。
「どうする? ニーナ?」
振り向くと、ペリトとルネーが立っていた。
「どうするって言っても……わたしたちじゃどうにも……」
「じゃ、尻尾を巻いて逃げる?」
ペリトの口調は挑発的だけど、わたしは逃げたいです、はい。
「だって海坊主だよ? 災害級だよ? わたしたちにどうこうできる相手じゃないよ」
せめて街の人を逃がして、人的被害がないようにするくらいしか思いつかない。
「あたしはやるよ、ニーナ」
ペリトの目は力強かった。なんの迷いもなく、わたしを見据える。
「あんたは前に、山くじらを追い払ったことがあるそうじゃないか」
「あれは運か良かっただけよ。うりん坊だったし、呪符もあったし」
「でもあんたは、仲間を守るために立ち向かったんだよね? 絶対敵わない相手だと思っても諦めなかったんだよね?」
「そ、それはそうだけど……」
「あたしはあんたに、いろいろ教えてもらった。自分の力を理解して、何ができるか知恵を絞って工夫することを教わった。最後まで諦めないで、考えて考え抜いて全力を尽くすことを教わった。その教えを、あたしは全部披露してみせる」
「ペリト……」
わたしの方が呆然としてしまった。
今のペリトは、自信にあふれていた。素敵だった。
自信に満ちた啖呵に、思わず惚れそうになったくらいに。
「へへっ、言うようになったじゃねえか」
ルネーが脇から面白そうに言って、それからわたしの方を見た。
「ニーナ。おれもあんたに教わった。あんたはおれたちのために、いつも全力を尽くしてくれた。
心配して、いろいろなことを惜しげもなく教えてくれて、見えないところまでフォローしてくれた。
だからおれもそうしたいと思う。みんなの役に立ちたい。それが、おれが冒険者になった理由だ」
「それを思い出させてくれたニーナに、あたしも感謝している。その感謝を今、形で示したい」
ふたりともしっかりと、わたしを見つめていた。
……いい眼をしてるじゃない。
「しょうがないわね。後輩にそんなこと言われたら、かっこつけないわけにはいかないじゃない」
思い出した。思い出させてもらった。ふたりに。
わたしは魔法使いになりたかった。魔法使いになって、みんなの役に立って、喜んでもらいたかった。
今この街で少しでも使えそうなのは、わたしたちだけ。だったら、やってやろうじゃないの。
「ルネー!」
「おう!」
「ギルドへひとっ走りしてちょうだい。ありったけの呪符を借りて来て」
「わかった」
ルネーが即座に駆け出す。
「ペリト!」
「はいよ」
「あなたは街の人たちを避難させて」
「でも、あたしだって……」
「大丈夫。あなたの出番はこれからよ」
ペリトは剣士。近接戦闘型だ。まだ戦える状況じゃない。
「今はフィールドの整備よ。あなたが全力で戦えるように」
「……わかった」
わたしは海に向き直った。
海坊主はずいぶんと大きくなっていた。距離がありすぎて、いったいどの位の大きさなのか見当がつかない。
試しに魔法を撃ってみる。小さな火球を真っ直ぐ飛ばしてみた。
火球は飛んで遠ざかり、さらに飛んで、飛んで、飛んで……。
「まだ当たらないの!? そんなに遠いの?」
それであの大きさって。
「ねえ、海坊主ってどのくらい大きいの?」
漁師らしき人を捕まえて訊いてみる。
「おれたちも伝聞でしか知らんが、ゴーレムの五十倍とか、百倍とか……ともかく、とてつもなくでかいとしか。なにしろ間近にいたやつはほとんど生きて帰ってこないからな」
ええと、土人形の魔物ゴーレムの大きさがだいたい人の二倍から三倍くらい。それの五十倍とか百倍とか……なんて言ったらいいの?
「顔が雲に隠れるんじゃないかしら?」
そんなでかいもの、どうすればいいんだろう? 焼き尽くす? ばらばらに打ち砕く? そもそも身体は何でできているのかしら? 泥? 海水?
次第に海坊主の形がはっきりしてきた。人型だ。二本脚で歩いている。つまり、足が見えるくらいの浅さまで近づいているってこと。
それとともに。
「うわっぷ!」
「きゃっ!」
海が荒れ出し、高潮が襲うようになっていた。海坊主の足の動きが大量の海水を動かして陸地にいっきに押し寄せているのだ。
ついには頭から波をかぶるくらいの高潮が来るようになった。
「うわあ、これは……。あまり近付けさせるとまずいかも」
回りより高い場所を見つけてよじ登りながら、わたしは考えた。すでに相当波をかぶってずぶぬれだ。口のまわりがしょっぱい。
「足の動きを止めればいいかな?」
わたしは呪文を詠じた。
攻撃魔法が苦手なわたしが、すんなりと使えて、しかもうまく制御できるもの。
「【収納】!」
海坊主の足もとにぱっくりと大穴が開き、そこに海坊主が片足を突っ込んだ。
「よし! 収納スペース全力拡大!」
自分がどのくらいの収納魔法が使えるのか、試したことはない。けど感覚的に、ちょっとしたお屋敷くらいなら納め切る自信はある。
それを継続して収納ではなく、一時的に別空間に押し込むだけなら、もう少しは……。
「最大値、いっけえぇぇぇぇ!」
わたしは全力で魔法を詠唱した。
海坊主の片足が下からすうっと消えていく。うまいこと別空間に飲み込まれているみたいだ。あわよくばこのまま丸ごと……とは行かなかった。
膝あたりまで消えたところで、その動きが止まった。収納スペースの底を打ったのだ。わたしの魔法の限界は、ここまでか。
そこで海坊主に変化が起きた。
足を取られた巨体がゆっくりと、実にゆっくりと前のめりになり、倒れ込んだ。
空を覆うような塊が落ちかかってきて、海に落ちた。あまりに大きすぎて音がしない。波しぶきが派手にあがって四方に散らかる。
その波しぶきはすぐに陸に襲い掛かり、
「きゃあっ!!」
高い所にいたはずのわたしは、大波に飲まれて押し流されてしまった。
うかつだった。
想像を絶する質量が海に落ちたせいで、津波になってしまった。
いろいろなものと一緒に、ぼろきれみたいに流されていくわたし。たった一撃なのに、もうおしまいか、と思ったとき。
「大丈夫か、ニーナ!」
捕まえてくれたのはルネーだった。




