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魔法使い。わたし、魔法使い!


「な、なん……」

「なんですか、あれ?」

「『山くじら』よ」


 ミラの問いに、わたしは答えた。


 山くじら。猪の魔物だ。

 それは文字通り、山にも匹敵すると言われる巨大な化け物。人間なんか芥子粒みたいなものだ。踏みつぶされて終わり。いや、山くじらからしたら、踏みつぶしたことすら気づかないほどの、圧倒的に巨大な魔物だ。


 そんなものに出会ったらどうにもできないところだったが、幸いと言うべきか。


「これはうりん坊。山くじらの子供よ」


 まだ身体に縦じまの模様が残るそいつは、子供だ。

 それでも、でかい。肩の高さはわたしの身の丈の倍以上。身体の長さは言うまでもない。

 それが敵意もむき出しに、こっちをにらんでいる。


「早く森の中へ! こいつの突進力は半端ないわよ」


 山くじらの最大の武器は、その体重を生かした突撃。というか、それしかない。ひたすら突進して相手を弾き飛ばすだけだ。

 単純だが、威力は絶大。ぶち当たったらただじゃすまない。

 目を逸らさないよう気をつけていたが、それでもうりん坊はいきなり突撃してきた。


(ちっくしょー。早い!)


 まだみんな森に退避し切れていない。森の中に入ってしまえば木が邪魔して突撃は阻まれるが、まだ駄目だ。今わたしがよけたらみんなが巻き込まれる。もう少しなのに。


(落ち着け、わたし)


 素早く魔力を高めて、出来るだけ前に集める。


「【防壁】!」


 正面から受け止めるのは無理だ。斜めにいなしたけど、それでも弾かれて吹っ飛ぶ。


「くう……子供とは言え、さすが災害級」


『山くじら』は災害級と言われる、最大の災厄をもたらす魔物だ。子供でも油断できない。わたしの力じゃ、うりん坊でも太刀打ちできるかどうか。


 転がったわたしに向けて、方向転換したうりん坊が再び向かって来る。


「ええい! 【防壁】!」


 再びうりん坊の軌道が逸れて、わたしはその三倍くらい吹っ飛ばされる。

 その間になんとか全員、森に逃げ込んだみたいだ。でも猛り狂ったうりん坊は止まる気配がない。


「ミラ! 手、貸して!」

「は、はい! でも何をすれば……」

「あのうりん坊に向けて、【回復】を発動して」

「ええ!? でも……」

「いいから、早く!」

「はい!」


 ミラが杖をかまえる。杖の環が当たってシャンと涼しげな音が鳴り、ミラが呪文を詠唱する。

 それに合わせて、わたしも歌を詠じた。その呪文は。


「【回復】!」

「【冷却】!」


 これが何を意味するか、わかった者はいないだろう。


【回復】。


 人の怪我を治したり、体力を回復させる技。

 その神髄は、身体の中の引っかかりをなくし、平穏な状態にすることにある。

 ミラの回復の術がしみわたり、身体が平穏なコンディションに整えられていく。

 そこへ乗っかるように、わたしは【冷却】の魔法をかけた。からだの隅々まで冷気が深く浸透していき、身体活動を低下させる。やがて穏やかに休止状態へと至る。


 つまり、深い深い【睡眠】状態におちいる。もはや冬眠に近い。

 うりん坊をなだめる、現時点での最善の手だ。


 うりん坊が立ち止まって、うつらうつらとし始める。よし、いいぞ。このまま眠らせてしまえば……。


 いきなりうりん坊に斬りかかった奴がいた。


「どうだ化け物。かかってこい!」

「なにやってんのあんたバカぁ!?」


 わたしは思わず叫んでいた。


 森から飛び出したアルベルフトが気勢を上げていた。

 彼が言うところの『聖剣』を抜き放ち、うりん坊に撃ちかかっていた。

 せっかく鎮めたのに、なんで文字通り寝た子を起こすまねをするのよ?


 子供とは言え山くじらの体毛は硬い。鋼の盾のように、普通の剣くらい軽く弾き返す。

 ところが困ったことに、アルベルフトの剣はかなりの業物だった。剛毛を斬り、皮膚に突き立った。


 うりん坊はすっかり目が覚めてしまい、痛みと怒りで咆哮を上げた。

 だめだ。もう止められない。


 そんなわたしの絶望も知らず、アルベルフトは正面からうりん坊に挑みかかる。


「うりゃあ!」


 どっかーん


 簡単に跳ね上げられた。ま、正面からぶつかれば、そうなる。当然の結果だ。


「おのれ! 今度はこのパーティ随一の盾役が相手だ!」

「だからやめなさいってば!」


 どっかーん


 ウルリクも派手に吹き飛ばされ、後方の樹に激突してずり落ちた。白目をむいている。

 生命に別状はなさそうだけど、あれじゃしばらく使い物にならない。


 当面の目的を果たしたうりん坊は、森の方を見た。まずい。あの突進力じゃ、細い木なんか妨害にもならない。みんなまとめて吹き飛ばされる。

 ようやくそれとわかったのか、「ひっ!」と小さく悲鳴をあげて、アルベルフトが後ずさった。

 

「ちいっ!」


 わたしはうりん坊の前に立ちはだかった。茶色いかたまりが突進してくる。うわ、なんて迫力。


「【ビットクラッカー】!」


 手当たり次第にばら撒いた魔法の粒がいくつも、派手な音をあげて破裂した。実害はまったくないけど、何しろすごい音だ。

 さすがのうりん坊も目を回して、少しふらつく。よし、今のうち。


「ミラ! ウルリクを診てあげて!」

「はい!」

「ギリアテ! うりん坊が立ち上がったらしばらく相手して!」

「まじかよ!? あんなの受けられるか!」

「斜めに受け流しなさい。さっきわたしがやったみたいに。正面に立ったら死ぬわよ!」


 時間稼ぎをギリアテに頼んで、腰が抜けているアルベルフトを安全なところまで引きずってくると、わたしは彼の胸ぐらをぐいと掴んで引き上げた。


「あんたが持ってる呪符、全部出しなさい」

「なっ!?」


 突然のわたしの要求に、アルベルフトは口をぱくぱくさせているけど、そんなこと構っていられない。


「あんたはうりん坊を逆上させちゃったわ。手負いにしたのよ。もうただじゃすまない。退治できないまでも何とか撃退しなきゃ、わたしたち生きて帰れないのよ。出し惜しみしてないで呪符、全部出しなさい!」

「あ、あれはぼくのものだぞ。どれも貴重な……」


 言いかけるアルベルフトに、わたしは袖に隠していたニードルを引き抜いて目の前に突き付けた。


「ひっ!」

「今すぐ選びなさい。うりん坊に殺されるか、わたしに殺されるか。三、二、一……」

「わかった! わかったから!」


 彼が懐から取り出した呪符をひったくって改める。


「これと、これと、これ……いいもの持ってるじゃない。さすがは御曹司ね」


 何とかなるかも知れない。

 全部うまく使えたらだけど。



 ◇



 ぐっとお腹に力を込めて敵を見やる。


 ギリアテは思ったよりうまく立ち回ってくれていた。うりん坊の注意を引きつつ、直撃を避けている。それでも掠っただけでふっ飛ばされ、よれよれだ。


 ミラはウルリクを回復してくれているけれど、もう少しかかりそうだ。


「みんな、がんばれ」


 わたしの魔法は時間がかかる。あせるな、落ち着け。ちゃんと手順を踏めば大丈夫。

 深く息を吸って、ていねいに呪文を詠じる。詠うように、魔力をたっぷりと呪符に流し込んで、呪符を活性化させる。これで準備はよし。


 その中の一枚を指で挟んで抜き出す。


「ギリアテ! よけて!」


 わたしの叫びに反応して、ギリアテが横っ飛びに逃げる。目の前に現れたうりん坊に、わたしは呪符を投げつけた。


「【爆裂】!」


 うりん坊の鼻先に呪符が貼り付くや、瞬時に巨大な爆発に変化した。


「うわっ!」

「きゃあっ!」


 うわ、ちょっと近すぎた。

 爆風にあおられて、わたしまで吹っ飛んだ。石ころみたいに飛ばされ、転がって転がって、やって起き上がる。散々だ。でも。


(すごい……すごい……)


 どきどきしていた。わくわくしていた。胸が高鳴る。手が震える。

 この感触。この衝撃。すごい。すごい!


(わたし、魔法使いしてる!)


 それも、大魔法使いだ。こんなすごい大技が、決まった。綺麗に決まった。

 もう最高の気分だった。この手応えが、上級者の魔法。わたしが下から見上げるしかなかった高みにいる人たちと同じ力。


 立ち上がって、あらためて前を見る。


 うりん坊が呻きながら立ち止まっていた。

 うん、効果は絶大。さすが高い呪符だけあるわ。

 それでもこれはわたしが、他ならぬわたしがやったんだ。


 そのうち、うりん坊がまたも突撃を開始した。

 あわてて飛び退いてかわす。うりん坊はそのまま突進し、木をへし折り、時々止まりながらも前進をやめない。見さかいがつかなくなっているみたいだ。


 その進路上にミラとウルリクがいた。まずい。

 またも呪符を指で挟んで抜き出し、構える。指の先が呪符の力を感じて、それがわたしの胸をさらにどきどきと高鳴らせる。見てなさいよ。


「【防御】!」


 投げつけた呪符はミラに貼り付き、ミラとウルリクを見えない壁が取り囲んだ。その壁にうりん坊が激突する。


「きゃっ!」


 ミラがびっくりして悲鳴をあげた。ものすごい衝突音。あまりの衝撃で杖の環が震えたくらいに。でもミラには傷ひとつない。

 対するうりん坊は堪ったものではなかった。なんの緩衝もない、見えない壁との正面からの激突。なまじ自分自身の質量と突進力があるだけに、跳ね返った威力も半端ない。うりん坊が目を回してよろよろと脇へそれる。


「どうよ!」


 わたしは胸を張った。嬉しい。血がたぎる。

 仲間を守れた。わたしの力で。

 わたしが守るんだ。ミラとウルリクを。みんなを。


 さあ、次はどうする? どうすればこいつを追い払える?

 呪符をさっと見渡す。わたしに使えそうなのは……これか。


「主婦の底力、とくと味わえ! 【串打ち三年】!」


 ……そんな技はない。


 わたしは袖口から細長いニードルを取り出し、呪符と一緒に投げつけた。呪符の力がニードルを巨大化し、獰猛な槍となってうりん坊の横腹に突き刺さる。


 うりん坊が悲鳴をあげた。立て続けに二撃、三撃。太い槍がうりん坊に突き立つ。


「どうだっ! 串打ちだって要領が要るのよ。地道な料理の下ごしらえの極意、身をもって思い知りなさい!」

「ニーナさん、すごいけど、なにかが決定的に間違ってる気がする……」


 ミラが何か呟いたけど、わたしはそれどころじゃなかった。めちゃくちゃハイになっていた。ぶっとんでいた。


 連続で大技を喰らいながらも、うりん坊はまだ闘志を失っていない。さすが子供でも災害級。

 わたしを睨みつける目はまだ光を失っていない。でも確実にダメージは蓄積しているはずだ。たたみかけなきゃ。弱気になったら負けだ。次はどれだ?


「これかっ!」


 呪符を引き抜いて天高く投げる。


「【轟雷】!」


 まばゆい稲妻が目を灼いて、うりん坊を激しく打ち据えた。

 たまらずうりん坊が吼えた。苦しそうだ。稲妻に焼かれたうりん坊からはぶすぶすと黒い煙が上がり、いぶされた匂いが立ちこめてむせそうになる。


「ニーナ、すげえ……」


 誰かが呟いた。けど、まだうりん坊は倒れない。なんて頑丈な化け物なのかしら。


「こうなったら口の中に飛び込んで、業火で焼き尽くしてやる!」


 ……いや、いや、待て待て。

 そんなことをしたら、いくらわたしでもうりん坊より先に燃え尽きてしまう。落ち着け。奮い立つのはいいけれど、冷静さを失ったらだめだ。


 わたしは呪符を差し替えた。


「もう一回よ! 【串打ち】!」


 再び巨大な槍がうりん坊に突き立つ。だがさっきより小さくなっていることに、わたしは気づいた。大技を連発しすぎて疲れがきているのか。そろそろ決めないとまずい。


「【爆裂】!」


 槍でよろけたうりん坊の、わざと少し脇で爆発を起こした。爆風にあおられてうりん坊がさらによろける。同時にわたしもよろけた。力尽きそうだ。

 片手をついて、でもうりん坊をきっとにらんで、わたしは腕を振った。


「【ビットスパンク】!」


 音だけは大きい、魔法の#平手打ち__スパンク__#。もうこれしか出なかった。わたしの最後の意地で放った魔法だった。


 わずかによろめいたうりん坊は、その態勢に流されるように向きを変え、森の奥へと歩き出した。やがて森の中へ逃げ込んでいく。


 それを、息を詰めて見ていたわたし。

 息が続かなくなるまで見送ってから。


「……助かったあ」


 へたりこんだ。


 よかった。技より、魔法より、最後の意地が勝ったみたいだ。


「はあ、命拾いしたわ……」


 荒い息をしながら、震える手を見つめる。


 この手が、仲間を救った。

 わたしの魔法が、みんなの役に立った。

 嬉しかった。とほうもなく嬉しかった。


 でも、もう動けなかった。腰が抜けて、ミラがいくら回復してくれても立てなかった。

 上級の呪符の数々は、わたしの魔力を根こそぎ奪っていった。結局ミラに助け起こされて、命からがら、よろよろと逃げ歩く始末だった。


 嬉しかったけど。


 でももう一回食事の準備をするのは無理だ。

 今日は寝かせて。お願い。





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