魔法使いに這い寄る危機。
次のクエストは、アルベルフトさま待望のゴブリン退治である。
「ふん、ゴブリンごとき、ぼくの敵ではないが、これも世のため。この聖剣で成敗してくれる」
「あー、はいはい」
厳密にはそれは聖剣じゃないみたいだけど、相当な業物なのは確からしい。
「でも出かける前にいちおう助言を。そのフルプレートの鎧はやめた方がいいですよ」
「なんだきみは? またアルベルフトさまに難癖をつけるのか?」
「そうではありません。今回の行程は前回より長いです。そんな重い鎧では戦う前に疲れてしまいますよ?」
今回も森だから平地だけど、片道四日はかかる。いろいろ含めて、往復で十日はかかるだろう。
「この鎧はフーデルミラン家の由緒ある鎧だ。それを置いて行けなどと……」
「前回はたった二日でしたけど、相当堪えたのではありませんか? アルベルフトさま?」
山奥でのクエストなど、歩いている時間の方が長い。むしろ歩いているだけと言ってもいい。
それをわざわざ重い鎧をつけて歩くなんて、どんな苦行かと言ってあげたい。
そんな状態でいざ敵と出会っても万全とは言い難いし、戦闘自体でも大きなハンディを背負うことになる。
わたしは黙って御曹司を見ていたが、何も言わず鎧を外し始めた。
やっぱり前回の強行軍がよほど身に沁みたのだろう。
「じゃあ皮鎧にしましょうか。ギリアテ、選んであげてちょうだい」
◇
今回、わたしは食糧をたっぷり持っていった。途中で遭難しても食いつなげるくらい持っていた。何があるかわからないし。やっぱりひもじい思いはしたくないし。
そう計算していたわりに、行程は順調だった。最初は節約して軽めの食事にしていたけど、このまま順調に行くなら、クエスト完遂のあかつきにはみんなに「ご褒美」って言えるくらいのご馳走を振る舞えるだろう。
「なんだ。やはりこの間の食事は嘘じゃないか」
「嘘じゃありませんよ。あれが普通です。これが異常なんです」
相変わらず不平を漏らす従者さんに答えたのはわたしではなく、ギリアテだった。
「クエスト中にこんな豪華な食事にありつけるなんて夢みたいですよ。いやあほんと、いいパーティに当たったなあ」
今日もスープがメインだけど、うまいこと手に入った根菜を煮込んである。ほくほくの根菜は甘味が出て美味しい。
そのスープを、ギリアテは本当に嬉しそうに食べていた。彼は少しは冒険者経験があるらしい。
「携行食をわびしいと思ったことはないけど、こんないいもん食っちまうともう戻れないよ」
「お上手よねえ、ギリアテは。今回のクエストは頼りにしてるわよ」
「おう! こんな美味いものが食えるなら元気百倍だぜ!」
「なあ、おれは?」
脇からウルリクがちょっと不満そうに訊いてくる。
「あんたは盾役、前衛の中の前衛だからね。頑張って」
「おう!」
「あ、あの……あたしは?」
「ミラはわたしと一緒に後方。怪我した人や体力が落ちた人を回復するのが役目よ。他に前衛の能力を強化したり、状況に応じていろいろ支援することになるわ」
「はい、わかりました」
「待て。何を勝手に決めている? そういうことは坊ちゃまが……」
「あ、大丈夫。御曹司は中央で指揮する大事な役目よ。大将はどっしりと構えていてもらわなきゃね。はい、スープ」
「あ、ああ」
「なに、戦闘が始まれば御曹司の指示が戦いの趨勢を決めるからね。動かず、情勢を見極めて、しっかり指示を出して。頼んだわよ、アルベルフトさま!」
「う、うむ。わかった。任せておくがよい」
機嫌よく具をほおばる御曹司に、わたしは胸をなでおろした。要は御曹司が下手に動く前に決着をつけてしまおうってこと。このパーティのリーダーは御曹司だけど、戦闘中のリーダーはギリアテになるかな。
途中、スライムやわずかなはぐれゴブリンなどに遭遇したが、難なく仕留めて進む。
ギリアテやウルリクの腕は、F級にしてはなかなかのものだった。これは心強いわ。見かけによらずアルベルフト、なかなかいいメンバーを選んだようだ。
一方、初めて血を見ることになって御曹司やミラは蒼白になっていたが、まあ最初はこんなものだろう。慣れていってもらうしかない。
何度目かの野営で、みんなだいぶ慣れてきたようだ。外で食事をかきこむ様子がさまになってきている。でもクエストはこれからが本番。
「それにしても御曹司、いいもの持ってるわね」
アルベルフトが拡げていた武具やアイテムの数々。回復ポーションはどれも高そうだ。中にはハイ・ポーションとおぼしきものまである。
そのうえ、これも高そうな呪符の数々。あなた魔術師じゃないでしょ? 戦士でしょ?
「なんか、使わなそうなものもずいぶんありますねえ」
無駄に荷物を増やすな、と言ってやろうと思ったが、ミラが代わりにそれっぽいことを言ってくれた。
「ふふん、すごいだろう? どんな事態にも対処できるのが勇者のたしなみだ」
誰が勇者よ。
まあ名乗るのは自由だけど、あとで恥をかかないようにね。
これ以上つっこんで不興を被っても益はないので、もうこの件は忘れることにした。
◇
翌日、ついに本命のゴブリンの群れと遭遇した。
数は十五くらい。地の利は悪くない。見通しがよくて、戦いやすそうだ。
予想に違わず、ギリアテもウルリクもいい働きをしてくれた。ふたりでほとんどを、あぶなげなく片づけていく。
二、三匹討ち漏らしてアルベルフトの所まで来てしまい、一瞬ひやりとしたが、アルベルフトは落ち着いて処理してくれた。
こうして小一時間ほどで、ゴブリンの掃討は終わった。順当な戦果だろう。もしや不測の事態があるかも、と用心していたが、その心配もなかったようだ。
ゴブリンを討った証拠の魔石を回収し、さすがに戦いの現場で食事はしたくなかったので、少し無理をして移動した。
疲れた。けれどそれに見合った成果はあったし、大目的を果たして目先の敵ももういない。
みんな安心してくつろいでいた。久しぶりの穏やかな時間を、みんなが楽しんでいた。
向こうでみんなが楽しそうに談笑している。今日の戦果自慢のようだ。戦果はギリアテとウルリクが半々くらい、アルベルフトが二匹。それが悔しいらしい。本気で悔しがる御曹司を、ミラが微笑ましそうに眺めている。
ほっこりするような光景を横目に眺めながら、わたしは食事の準備をしていた。ああ、団らんよねえ。もう完全にお母さん目線だわ。はいはいみんな、ごはんよお。手を洗っていらっしゃい……。
しかしみんな、大事な事を忘れていた。
家に帰るまでがクエストだってことを。
◇
最初はかすかな気配だった。
それに気づいたのはどうやらわたしだけ。まだ誰も気づいていない。
(どうする?)
鍋をかき混ぜながら、わたしは忙しく考えた。
こちらに害がないなら、このまま息を潜めてやり過ごす。無理に戦う必要はない。
そう思って感覚を広げ、気配を探る。だめだ。これは明確な敵意だ。こっちに向かっている。
仲間たちを振り返った。やっぱりみんな、気付いてもいない。そこは多少なりとも場数を踏んだわたしに一日の長があった。
このまま、敵に襲われるまで気づかないふりをしていようか。
みんな驚くだろうが、冒険者たるもの、一歩外に出たら常に四方に注意を払っていないとだめだ。それが生死を分かつ場合すらある。身をもってそうと思い知るいい機会かも知れない。
だが。
わたしは立ち上がった。
「みんな。油断し切っているようだけど、ここは敵地だってこと忘れないでね。いつどこで襲われるか、わからないわよ」
一瞬、何を言われているのか誰も理解してくれなかった。わたしは焦った。思わず、声が尖ってしまう。
「武器を取って! 魔物がすぐ近くにいるわ!」
みんな弾かれたように動き出した。
わたしが察した気配は「気づかなかったよ、あははは」で済むようなものじゃなかった。もっと剣呑な、生命の危険があるものがすぐそばに迫っている。
ほどなく、森を透かして、「それ」は現れた。
「うわ……」
「でか……」
それは巨大な、猪の魔物だった。
「……『山くじら』だ」
わたしは呆然と呟いた。




