魔法使いになります!
「わたし、魔法使いになります!」
「はあ!?」
突然のわたしの宣言に、ノーラは盛大に驚いてくれた。けど。
「なに言ってるかわかんないんだけど?」
「だから、魔法使いになりたいの。ううん、魔法使いになるの」
「なにそれ? まさか……冒険者にでもなるつもりなの?」
「うん」
「今さら?」
「うん、今さら」
「あんた、なに血迷ってんの!? 少しはトシを考えなさいよ。今さら冒険者なんてできると思ってるの!?」
うん。ここまでは予想通りだわ。
だからギルドの酒場じゃなくて、顔見知りの少なそうな店までノーラを誘ったんだけどね。
「だいたいあんたに辞められたら、わたしも困るし。ねえ、なんで? 今の仕事に不満でもあるの?」
「ないよ。不満なんかない。でも……」
「でも?」
「やっぱりあきらめたくない」
思い切って、わたしはノーラを見返した。ため息をついて、ノーラがグラスを置く。
冒険者の数に較べて、ギルドで裏方を務めようという者は少ない。でもわたしはその仕事にやりがいを感じていたし、自分勝手な冒険者たちをうまく捌ける腕と経験はみんなに頼りにされている。それは自慢してもいいと思う。それでも。
「……ずっと、ずっとなりたかった、魔法使いに。忘れたことなんてなかった。今さら何ばかなこと言ってんだって自分でも思うよ。三十女が、寝言は寝て言えってね」
「そこまでは言わないけどさ」
わたしは魔法使いになりたかった。
でもなれなかった。いや、ならなかった。
決断するべき時に踏み出さなかった。それが今の自分。全て自分が悪い。
でもそれでいいの?
わたしはずっと迷っていた。踏み出せないけど、諦めることもできなかった。ぐずぐずしている間に友だちはみんな結婚し、すっかり落ち着いてそれぞれの幸せを掴んでいる。「いつまでひとりでいるつもりなの!」と実家の親にもやいのやいの言われている。目の前のノーラだって、もう子供が二人もいる立派な母親だ。歳はわたしの方が上だけど、人生においてはノーラの方が先輩と言っていい。
それでも、わたしは。
「できると思ってるの?」
「わからない。でもやらなかったら、わたしきっと後悔する。ずっと後悔する。ずっとずっとずっとずっとずっと……」
「ああ、わかったわかった」
涙目になっているわたしに、ノーラがあわてて手を振る。
「あーあ、そんな目で見られたら文句も言えないわ。まったく、お堅いニーナにそんな熱い血が流れていたなんてね。ちょっと意外だわ」
「からかわないでよ。恥ずかしい」
ノーラはいつもの調子に戻って笑いかけてくれたけれど、すぐに真顔になった。
「でもほんと、大変だよ? 遅咲きだよ。ううん、きついこと言うけど、咲けばまだまし、一生咲かずに終わるかも知れないよ?」
「わかってる」
肚は決めたつもりだったけれど、いざ面と向かって言われるとやっぱり不安が頭をもたげる。心にはさざ波どころか、大時化みたいな波風がずっと立っていた。
冒険者なんて日銭稼ぎの不安定な仕事だし、今さらそんなことをしている変な女をもらってくれるもの好きも多分いない。親は泣くだろうな、きっと。
そんな胸の内を見透かされたのか、
「もう少し考えてみても、いいんじゃないかな。わたしも心の準備が必要だわ」
ノーラは肘をついて手を組み、諭すようにわたしを見た。
最後は冗談っぽく言ってくれたけど、ノーラがわたしを心配してくれているのはよくわかった。
「うん、ありがとう」
◇
ずっと魔法使いに憧れていた。
それはいつからだったか。ずっと昔、まだちっちゃな子供の頃だ。ひょんなことから魔法使いの技を見せてもらった。
その時の驚きと感動。今でも忘れられない。
わたしもあんなふうになりたい。
その時初めてそう思った。
それはわたしを捕らえて放さず、思いはどんどん大きくなるばかり。忘れたことなんてなかった。
十六歳のときにこのハルムスタッドの街に出て来て、冒険者ギルドに拾ってもらった。ノーラと知り合い、受付の仕事を一緒に頑張ってきた。経験を積んで少しは使えるようになって、同僚にも冒険者たちにも頼られるようになった。
だけど心の片すみで、わたしはずっと思っていた。
魔法使いになりたい。
そう思いながら、しかしそれは果たせず、今日に至る。それを後悔しなかったことはない。
そうやって後悔と自己嫌悪の海に浸って生きていく。それも悪くない。
悪くないどころか、実はとても居心地がいい。現実と向き合わなくてすむから。
「自分は駄目だったんだ」と、自分に言い訳ができるから。
そのうちノーラが結婚して引退し、同僚も次々結婚していって、ノーラが子供を産んでまた帰ってきて……その間もわたしはずっとギルドのカウンター内にいて、胸の奥の想いをくすぶらせていた。
ある時、魔法を詠唱してみた。
魔法使いになりたくて練習していた、いくつもの魔法のひとつ。ごくごく初歩的なものだ。
「……できたっ!」
実は魔術は、使おうと思えば誰でもある程度はできる。個人によって持てる魔力量の違いはあるけれど、訓練によってできるようにはなるのだ。だけどそれを使いこなすとなると、また別の話。
それが魔法使い並みにさらっとできたことに、わたしはひそかな満足を覚えた。
同時に、言いようのない衝動に襲われた。
この程度で魔法使いになれるなんて、おこがましい。ましてや大成できるかどうかなど、神さまでさえさじを投げ出しそうな案件だ。一度でもさじを拾ってくれる神さまがいればだけど。
それでもわたしは思ってしまった。感じてしまった。
「……わたしやっぱり、魔法使いになりたい」
出遅れだろうと、才能がなかろうと、いい歳して夢みてんじゃねえよと言われようと。
わたしは、なりたい。何もしないうちに投げ出したくない。
だから、踏み出す。そう決意はできた。でも勇気が足りない、歩き出す勇気が。
それは魔法じゃつくれない。
「……師匠。勇気がほしいよ、師匠」
中天の綺麗な月を見上げながら、わたしは呟いた。
「わたし、師匠みたいになりたいよ……」
◇
「でさ、あんた魔法はつかえるの?」
ゆうべの事を、ノーラはちゃんと憶えていて、茶化すこともしないでくれた。
「練習はしてたよ」
「冒険者登録の手続きもできるしね」
冒険者登録なんて、ギルド職員には普通の事務作業だ。
ほかにも、クエストの斡旋、成果物の査定と買い取り、冒険者たちに宿を紹介したりアイテムを販売したり、要請を受けてはクエストを発注して……と、次々押し寄せる雑務をこなしていく。
今まで当たり前だった仕事。当たり前だった日常。
流れるようにそれをさばきながら、ある感慨がわいてくる。
当たり前だった日常を、わたしは捨てようとしている。
それはわたしの勇気なのかな……。
「……なあに?」
ひと息ついてふと横を見ると、ノーラがちらちらとわたしを見ている。
「なんかさ、羨ましいなと思って。わたしはもう普通に生きていくしかできないけど、そんな生き方ができるあんたは、すごいと思うよ」
「そんなもんかな」
自分ではよくわからない。わたしが魔法使いをすごいと思うのと同じみたいに、ノーラにもわたしがそう見えているのかも知れない。
わたしからしたら、ちゃんと妻も母親もやって仕事もこなすノーラの方がよほどすごいと思うけど。
「……人生はままならないものよね」
そんな、のんびりとした時間が流れる昼下がり、騒ぎは起こった。
「きゃあっ!」
「うわっ!」
「つかまえろ! 跳び鬼だ!」
叫び声と、ばたばたとした物音がしてロビーがざわついている。
伸び上がって見ると、
「ああ、ほんとだ。跳び鬼」
魔物の一種だ。跳ねまわる小鬼、だから跳び鬼。
魔物としてはスライム以上ゴブリン未満程度、特に強いとか凶暴とかいうわけでもない。ただ、やたらと跳ねまわる。それだけだ。
けど、それがこんな狭い所に入り込むと……。
「そっち行ったぞ!」
「きゃっ! 蹴られたあ」
「いやあこないでこないで、きゃん!」
こんな騒ぎになるわよねえ。
それほど害はないんだけど、うざい。
「困ったわねえ。お客さま! お客さまの中に魔術師はいらっしゃいませんか!?」
ノーラが声を張り上げる。
あれを捕まえるのは難しくない。捕獲または拘束の初級魔術、それでこと足りる。
「ようし、おれに任せろ。『地獄の業火よ、我が手にきたりて敵を滅ぼせ「あほかあっ!!」
上級魔術の詠唱を始めた魔術師に、ノーラが靴を思い切り投げつけた。
「こんな狭い所でそんなすごい技を使うばかがいるかあっ!! なんで冒険者って脳筋ばっかりなのよ!?」
その間にも跳び鬼はあちこち飛び跳ねては、書類やらコップやらを蹴散らしている。うーん、さすがにちょっと邪魔。
ちょっと考えて、わたしは手をぎゅっと握り込んでからぱっと開いた。
「【ビットスパンク】」
その間も跳び鬼はちょこまかと跳びはねている。ギルドの女子事務員が振り回すほうきをかわして、大きく天井に跳び上がった。そのとき。
いくつか小さな破裂音がして、跳び鬼がくるくると回りながら上から落ちてきた。床の上でじたばたしている。
「今よ、捕まえて!」
何人かが飛びついて抑え込む。
「これでよし、っと」
「何? 魔法?」
ノーラが不思議そうに訊いてくる。
「うん。簡単な魔法でね。触れると弾ける小さな魔法の玉を飛ばしといたの。まあ、当たっても子供の平手打ちくらいの威力しかないけど、うまく目を回してくれたみたいね」
大した魔法じゃない。文字通り子供だましみたいなもの。
それでも思い通りの効果があったことに、わたしは密かに満足していた。
その間に、跳び鬼を捕まえた人たちがこっちに歩いてきた。
「今のはニーナが?」
「う、うん」
「すごいんだな。助かったよ、ありがとう」
◇
「どうしたのニーナ。ぼうっとして?」
「うん」
わたしはぼんやりと、自分の手を見つめていた。
ありがとう、か……。
そう言えば、誰にも魔法を見せたことなんてなかった。だからそれで誰かに感謝されるなんて、初めてだった。
だけど、思い出した。
魔法使いになりたかった理由。
助けてもらったのが嬉しくて、お礼を言ったとき、彼女は言ったんだ。
「嬉しいわね。でもわたしにお礼を言ってくれるなら、今度はきみが誰かを助けてあげて。それがきみのわたしへの恩返しよ」
何度も頷きながら、そのときわたしは彼女に誓った。
ちゃんとした魔法使いになって、ひとの役に立てるようになろうって。
なんで忘れていたんだろう。
もちろん、魔法使いにならなくたって、今わたしはみんなの役に立っている。感謝されている。
それはやりがいのあることだけれど。
「ねえノーラ」
「なあに?」
「わたしやっぱり、魔法使いになりたい」
ノーラは黙って、しばらくわたしを見つめてから、
「うん。がんばれ」
にっこりと笑いかけてくれた。