皆かつてはお嬢ちゃん、誰もがいつかはお婆ちゃん
「ところで、美鈴さんを引き止める為にここに来たのですか?」
昼食後に麗香さんに聞いてみた。
「あっ、違うの。本当はちゃんと小婆ちゃんのこと応援してるの。今までのお礼を言いに来たのに、まさか引っ越しの日に留守だと思わなくて、……一時間以上待ってたんだもの、拗ねてたんだよ、私。で、シェアハウスに住むってこと知らなかったから、さっきはびっくりしたんだよ」
麗香さんはそう言って一瞬だけ口を尖らせ、直ぐに照れ臭そうに笑った。
「看板付けようかねぇ? 『スモール トゥモローハウス』って。」
良枝さんがニヤリと笑って言う。
「もうっ! あれは言葉の綾って言うか誤りなの! ついカッとなっちゃって……」
「分かってるよ、そんな事。……綾で合ってるよ。巧い言い回しだと思ったのさ」
次に何を言い出すのかと、皆の視線が良枝さんに集まる(幸子さんとスミさんはワクワクした表情なので、ちょっと固まってしまった)。
「老い先短いってことは誰に言われなくても自分達が一番分かってる。だけどさ、それがどうしたって思うんだよ。先が短いからって小さく纏まってやろうなんて気持ちなんざ、これっぽちも思わないね」
良枝さんは片手を握って親指と人指し指は立てて、その二本の指を少しだけ隙間を開けて近づけて見せた。
「ババアで何が悪いのさって思うよ。ああ、べつに麗香さんに言ってる訳じゃ無いよ。……誰もがいつかはジジイとババアなんだ」
良枝さんは立ち上がって窓とカーテンを開けた。庭の若葉が風に揺れ太陽の光を反射させてきらめくと、初夏の匂いがする様な気がした。
「誰だってこれくらいの歳になる頃まで生きてりゃ、それぞれ何かしら辛かったことを乗り越えて来てるもんさね。その結果が、ジジイとババアなだけなのさ。明日が小さいならその分密度を濃~くしてやれば良い、スモールさを楽しんで生きてやろうと思うんだよ。あの小さな葉っぱが光ってるみたいにさ……」
「そっかぁ、……。酷いこと言っちゃったけど、なんかお婆ちゃん達カッコいいね」
麗香さんは顔を真っ赤にして呟くと、照れ隠しに麦茶を飲んだ。幸子さんがおずおずと切り出す。
「……それじゃあ、どうしてハウス(ここ)に来たの?」
麗香さんは「あっ!」と小さく叫び良枝さんの方に歩きながら説明し始めた。
「小婆ちゃんの荷物持ってきたのよ。お爺ちゃんとお父さんが庭の前に置いてったの。『玄関の外に箱が幾つもあると見映えが悪いだろうから』って。そうだ、小婆ちゃんの探してた箱あったんだよ! 小婆ちゃんがこの間出かけてたときにお兄ちゃんが小婆ちゃんの家を下見して、それで捨てる物と勘違いして、いらない物ならネットで売ろうと思ったんだって!」
その言葉に美鈴さんが「ええっ!!」と短く叫んで立ち上がる。
「で、自分の部屋に運んでそのままアパートに帰っちゃってて、お母さんが電話して『荷物を知らない?』って聞いたらそれが分かって、今お爺ちゃんとお父さんがお説教する為にお兄ちゃんに会いに行ってるの。『そんなコソドロみたいなことをするなら同じ敷地に住めないぞ!』って」
麗香さんが美鈴さんに説明している間に、私達でそれらしき箱を窓から部屋へ入れた。
「ちょっと、美鈴さん! お茶箱があるよ!」
良枝さんが騒ぐ。私は内心『良枝さん、お茶箱にツボってるんだ』と思い、そんな良枝さんがツボに入って笑いをこらえた。
「まあ! ありがとうございます。皆さんすみません。重いのに。……ああ良かった。本当に!」
そう早口に言いながら美鈴さんは中身を確かめようとお茶箱の蓋を開けた。ネットで売る、なんて言われては心配なのだろう。
その中身が目に入ると皆口々に驚愕の声をあげた。
「良かった!! ちゃんと入ってる!」と美鈴さん。
「ええっ。大切な物って、こういうこと!!」と幸子さん。
「これは重い訳ね」とスミさん。
「良い趣味してるじゃないか」と良枝さん。
「あら? 昔貸して頂いた覚えがあるわ」これが私の感想だ。
お茶箱の中で風化せずに入っていたのは、1950年代以降に発売された少女向けの雑誌の数々や映画のチラシ、古いレコード等だった。
「子供の頃体が弱くてよく伏せっていたんです。昔は親戚の数が多かったでしょう? 親の世代によっては十人兄弟とかで。で、そんな親戚筋からよく頂いたんですよ。」
幸子さんが遠慮がちに「ちょっと見てもいい?」と訊ねると美鈴が笑顔で頷いたので、皆それぞれ手を伸ばした。
「懐かしいわね、松房宝司よ! 少女画家第一人者の。こっちは『乙女のゆめ』の初版本じゃない!スゴいっ!!」
「こっちは戸坂武のアニメ化された作品の原作が載ってる! しかも初回よ! ……これは売ろうと思う訳だわ。いくらの値打ちがあるか……。」
当の美鈴さんと麗香さんがキョトンとしている。幸子さんが説明し始めたので、私も1冊お借りしてパラパラとページをめくった。
「あのね、本が量産された時代と違って、この時代の発行部数はまだ少ないと思うのよ。ある程度の年齢になったら処分しちゃった人の方が多いでしょうし、こんなキレイな状態で残っているのは珍しいと思うの。そうねぇ、マニアが収集してるだろうから、普通に売ったら安く買い叩かれるだろうけど、ネットオークションなら凄い金額になるかもしれないの」
「私は一度は無くなってしまったと思ったから、今の皆さんの反応を見て『もう一度読みたい』って思う人がいるのなら、幾らでも見て頂きたいんですけれど……」
美鈴さんが気持ちを話してくれる。
「ハルちゃん、アレだ。その内に倉を改造して近所の年寄りの寄合所みたいな、カフェみたいな物にしたいって言ってたろ? 美鈴さんが良かったらそこに置いて貰えば良いんじゃないか?」
「そんな計画があるんですか? 喜んで読んで頂けるなら私も嬉しいです。ぜひ、そうして下さい!」
「……私そのお店でアルバイトしたい。もっとお婆ちゃんやお爺ちゃんの話を聞いてみたいな」
麗香さんが頬を赤らめ、遠慮がちに呟いた。本当は素直で優しい子なのだということがその姿から伝わって来た。皆も麗香さんを微笑んだ眼差しで見る。が、雑誌に見入っていた人が一人……。
「あっ!」
突然、良枝さんが大声を出した。
「……ウチのバレエ教室が潰れた原因が載ってる。」
何々? と皆の視線が良枝さんの手元の雑誌に集まる。その雑誌の特集のページが開かれていた。
「星雫歌劇団?」
「ああ、大昔に人気だった男装の子がいたろ? 歌劇団に。ウチの教室に来てた子の母親達がアタシと似てるって騒ぎ出してさ、……何を考えているのやら、ラブレターを渡されたりしたんだよ」
良枝さんは苦笑いをしながら話を続ける。
「そうすると面白く思わないのは夫達だ。アタシの顔を一目見てやろうとなった訳だ。家の前に常に人影があってね。ときには人ん家の前だってのに夫婦喧嘩だよ。ウチの娘に声をかける輩もいてさ、このままじゃ教室どころか、自分の娘に何かされるんじゃないかと気が気じゃ無くなったんだ。それで辞めたのさ」
絶句である。バレエ教室を辞めたのがそんな理由だなんて思いもしなかった。
「……ああ、なんか分かるかも。良枝お婆ちゃん、カッコいいもの。」
麗香さんがさらりと言って場が和み、皆笑い話として受け止めた。
私は風がふわりとカーテンを揺らしているのを見ながら、『スモール トゥモローハウス』の看板もきっと皆で作ることになるんだろうけど、どんなデザインにしようかな?と思った。
完