美鈴さんの荷物
朝食をとりながら、「音楽をかけて簡単なストレッチをしてみませんか?」と話をした。その途端皆、思い思いの曲名を言い出す。
『お江戸キッド』、『上を向こう』、『いつでも明日の夢を』、『都ラプソディー』。あれやこれやと懐かしい曲名が口々から上がる。
テレビ等で流れる最近の曲を否定はしない。歌というものは時代を写す鏡だし、世の中を如実に表す物だと思う。だから最近の歌だって『今』を上手く切り取っているのだ。
ただあの頃のゆったりした広がりのあるリズムは、子供時代の思い出と直結しており、当時の町の景色までも思い起こさせてくれる。だから、どうしても特別感があるのだと思う。
耳馴染みのよい曲調と、温かみのある希望に満ちた歌詞…。
ふと皆の顔を見ると上気した笑顔の中に少女の様なあどけなさが見える様な気がした。
「じゃあ、元合唱サークルに参加されていた幸子さんに曲の長さやテンポ等をチェックして頂いて、良枝さんに曲に合わせた体操を考えて頂いてもよろしいですか?」
二人とも笑顔で頷いてくれた。その後の朝食の話題は、そのまま昔流行った歌やファッションの話になった。
食事が済むと片付けや掃除をする。自分の部屋の掃除は自分ですることになっているので、この時間は共同スペースのみだ。皆で手分けをしてパパッとすませる。最近は持ち手の長いコロコロや使い捨てシートのモップ等、私達世代にありがたい掃除用具が増えた。時代の進歩って素晴らしいことだなあとつくづく感じる。
共同スペースを掃除したついでに美鈴さんに入って貰う部屋の窓とクローゼット、ドアを開けておく。二日前に一通り掃除をしてあるので、空気の入れ換えをしておけば大丈夫だろう。
そうして掃除が一通りが済んだ頃、来客を告げるチャイムが鳴った。
「ハルちゃん、来たんじゃないか?」
良枝さんが私の方を向いて言った。するとスミさんが「お湯を沸かしとくね」と言い、幸子さんも「お茶菓子用意しとくから、ハルちゃんはお出迎えしてあげて」と言ってくれた。ありかたく玄関に向かわせて貰う。
「はあい」
そう言いながら玄関のスライドドアを開けると、後輩の山崎美鈴さんが立っていた。
「いらっしゃーい」
明るく声をかけて彼女の後ろに目をやる。ご家族の方や引越業者の方はいない様だ。後から来るのだろうか?
「さ、上がってちょうだい」
私は取り合えず美鈴さんの分のスリッパを出して玄関の上がり口に置いた。
「先にお部屋に荷物を置きに行かれます?それとも皆さんを紹介しましょうか?」
私が先導して歩き出そうとすると、美鈴さんの顔がくしゃりと歪んだ。
「晴子さぁんっ」
私の名前を小さく叫んでしくしくと泣き出す。
「どうしたの!? 美鈴さん!」
つい私の声も大きくなる。私の声にシェアハウスの皆がガヤガヤと駆け付ける。
「とにかくリビングに行きましょう。荷物はこれだけ?」
美鈴さんは大きめの旅行カバン1つしか持っていなかった……。
リビングには二人掛けのソファーが2つと1人掛けのソファーが2つある。皆の持ち寄りだが、お揃いのカバーをかけてあるので違和感は無い。これも皆で手分けをして作った物だ。
私が美鈴さんにソファーに座ることを勧めていると、幸子さんとスミさんがお給仕して下さった。
さりげなくオレンジバームの葉がちょこんと乗った紅茶と、ジンジャークッキーをテーブルに置いてくれた。柑橘系の甘い香りは気分をほぐしてくれるし、生姜の香りは逆にしゃきんとさせてくれる。二人の気遣いが嬉しかった。
「美鈴さん、何があったんですか?」
「……晴子さん、ごめんなさい取り乱して。晴子さんの顔を見たらホッとしたんです。泣くつもりなんて無かったんですけど……」
美鈴さんはソファーに腰を下ろしたら少しは落ち着いたのか、ポツリと話し出した。皆はキッチンからそっと見守ってくれている。
美鈴さんは1度結婚したのだが早くに旦那さんを亡くされ、子供がまだいなかったので実家に戻っていたらしい。敷地内に離れを建てて貰って仕事をしながら悠々自適な毎日を過ごしていたそうだ。
しかし数年後、お父様が亡くなられたことでご実家がお兄さんの代になり、それから暫くしてお母様も亡くなったそうだ。親が生きている間は本宅と行き来があったのだが、そうなると出かけるときに鉢合わせでもしない限り、お兄さんの家族の誰とも話をしない生活だったらしい。
そうして年月はあっという間に過ぎて行った。自分1人きりの老後の為、がむしゃらに働いたらしい(この辺りは私や幸子さんも一緒だ)。
それがある日、お兄さんが突然美鈴さんのところにやって来て、「この家を譲ってくれないか。勿論お金は払うから……」と言ったらしい。お兄さんの息子さんの長男(美鈴さんの甥の息子)の転勤が決まって地元に戻って来ることになり、(その子が)それを機に結婚をすることになったらしい。それで「ここに住まわせたいのだ」と言われたのだそうだ。
お兄さんの家族がそれで幸せならと、このシェアハウスに移ることを決め引っ越しの準備を始めた。大切な物と処分する物を分かりやすくきっちり整理しておいたそうだ。
ところが、今朝起きたらとっておく物を入れた箱が無かった。慌てて本宅に行き、お兄さんの家族に聞くも誰も分からないと言う……。
何度も考え直しながらこれだけは絶対に引っ越し先に持って行こう、と決断した荷物が綺麗サッパリ消えてしまったらしかった。
「自分にとって本当に大切な物を詰め込んだお茶箱が、探しても探しても無いんです」
そう言うと、美鈴さんはまたもや涙目になってしまった。
「お茶箱!! あんたお茶箱使ってるのかい! ……懐かしいねぇ。」
良枝さんが素っ頓狂な声を出した。
「あれは良い! 本来はお茶の葉を保存する為の物だが、保湿と防虫に優れてるから昔は服をしまっとくのにみぃーんなが使ってたもんだ。……そうか、お茶箱か」
良枝さんの発言を皮切りに、皆がおずおずとリビングに入って来たのでソファーに座って貰った。
「紹介しますね。今お話して下さったのが年長者で74歳の梶浦良枝さん。その隣の小柄な方が北嶋澄子さん、……スミさんは69歳です。そのお隣の方は志村幸子さん、幸子さんは73歳。……私は結婚して今の名字は諏訪で70歳です。えー、皆さん今日から一緒に暮らして下さる山崎美鈴さんです。彼女は67歳です。よろしくお願いしますね」
全員がペコペコとお辞儀をし合う。時代が時代で親戚同士だったり、畳のお部屋だったりしたら床にかしこまって座って手を付いて頭を下げ合うところだろう。だけどここは皆で気ままに暮らすシェアハウスだ。そんな堅苦しい挨拶はしない。
「で? 大切だった物が無くなって悲しいのは分かったけど、そのバッグ以外に荷物が無いなら、……部屋を見て貰って必要そうな物の買い出しに出た方が良くないか?」
良枝さんの意見に皆が頷く。
「そうですね。ここは買い物をするのに向こうの通りからバスに乗らないと町まで行けませんから、時間がかかりますからね……。じゃあ、紅茶を頂いたら動き始めましょうか。」
少しぬるくなった紅茶は、とても優しい味がした。