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トゥモローハウス


 朝起きるとまだ少し暗かった。ゆっくりと起き上がり、ゆっくりと腕を上げながら伸びをする。気をつけないとたまに変なところに力が入って筋を痛めることがあるのだ。そうなると半日は痛めた箇所が気になってしまう。


 腕を降ろしたタイミングで目覚まし時計が鳴り始める。AM4:30。よし、いつも通りだ。


 起きた時間はいつも通りでも、今日はビッグイベントがある。このシェアハウスの私の右隣の部屋に学生時代の後輩が引っ越してくるのだ。


 引っ越しは家族や業者がやるだろう。…… いくら元先輩・後輩の中とはいえ、部屋にズカズカ入られて私物をジロジロ見られるのも嫌だろうと思う。


 彼女が部屋の下見に来たときに会って私が住んでることが相手に分かって、それでも彼女はここに引っ越すことを決めた。ってことは、彼女がこのシェアハウスを選んだことの決め手の1つに私が関係あるのかな? それを考えると嬉しくて何かをしてあげたくなるが、上記の理由により荷物運びは遠慮しておこう。


 私は取り合えずパジャマから部屋着に着替えて洗面を済ませた。ここはシェアハウスと言っても部屋にトイレとミニキッチンが付いてるので、身綺麗にしてから共用スペースに行けるし、お茶ぐらいなら部屋を出なくてすむのがありがたい。


 スマホでお気に入りの音楽を流し、コーヒーメーカーをセットする。暫くするとコポコポと楽しげな音とコーヒーの香りが部屋に充満して来た。


 すると、部屋のドアがノックされた。


「はあい」


 ドアを開けると左隣の部屋の梶浦(かじうら)良枝(よしえ)さんが立っている。


「おはようハルちゃん、コーヒー頂戴」


「毎朝グッドタイミングね、良枝さんは」


 彼女は颯爽とした足取りでテーブルに着いて座った。さすが元バレリーナ、歩く姿も座った姿勢も美しい。毎日顔を合わせているのに一々(いちいち)見惚れてしまう。


「今日だっけ?お友達が越して来るの」


「そうよ。私が言うのも何だけど、よろしくね」


 良枝さんは頷くと日本古来から続く占いである、今年度版の暦を取り出した。


「『大安』の『みつ』と。まあ、理想的だね。って良く分かんないけどさ」


 彼女はにやっと笑って、私のいれたコーヒーをすすった。


「何かお昼でも差し入れしようと思ってるの」


「ふうん、大家がそう思うのなら良いんじゃないの?」


「大家って、……私は場所を提供しただけよ、リフォーム代は皆で出し合ってくれたじゃない。それより、手伝ってくれる?」


「やだよ、こんなバーサンに」


 彼女は薄く節くれだった手を顔の前で振った。


「何言ってるのよ、4つしか違わないじゃない」


 私は吹き出してしまった。彼女は最近74歳になったのだが、とても元気でおしゃれな人なのだ。私はこんな歳の取り方を彼女と出会うまで知らなかった。って、出会ったのは40年前なんだけれど……。


「まあ、住人の皆さんの分も含めて、今日のお昼をおにぎりとお味噌汁、それとお漬け物にしようと思うんです」


「幸子1人で5つは食うだろ。全部で幾つ作るつもりなんだい?」


 幸子さんもここの住人で、ふくよかな体型をしていて、見た目通りに良く食べる。


 良枝さんは立ち上がり、ミニキッチンに備え付けの換気扇のスイッチを押した。ポケットをまさぐり、タバコとライターを出してカチッと火を着けると、目を閉じて旨そうに煙を吸い込む。私が彼女専用の灰皿を出して彼女に渡すと、すぼめた唇から細く紫煙を吐き出した。


 全く、何をしても絵になるオバーサンだ。


 彼女とは子供が小学生のときのPTAの役員で知り合った。そのとき既に彼女は有名人だったのだが、それはPTA会長をしていたからだけではない。彼女はバレエ教室の先生をしていたのだ。


 スパルタではなかったらしいのだが、なにしろこの口調である。女性とは噂好きな人が多いもの。変な評判を立てられて嫌気が差したらしく、あまり長くはやって無かった様である。ウチには息子しかいなかったので真相はわからない。私は、というと、むしろ良枝さんの気取らない話し方が好きだし、役員での働きぶりを見て信頼出来る人なのを分かっていたので、今でも親しくさせて頂いている。


「しっかし、ハルちゃんは朝っぱらから『ムーンライト ワルツ』なんて聴いてるのかい? これは夜の歌だろう」


「あら? このくらいのリズムは体に良いんですよ? 私達くらいの年齢になると、頭が起きたからって体はまだ目覚めていないこともあるでしょう? 急に動いたらスミさんみたいに、ちょっとした段差で転んでしまいますからね」


 スミ……澄子さんもこのシェアハウスの住人だ。この間、朝起きて直ぐに散歩に行き、近所のU字溝の蓋に躓いて転び、膝を痛めていたのだ。キズにしても、骨の痛みにしても、歳をとると治りが悪くなる。長い間歩きにくそうにしていたのだ。


「だったら、曲に合わせてストレッチをすれば良いんじゃないか? 座ったままで良いから、爪先だけ上下に動かしたり、逆に爪先を床に着けたまま(かかと)を上げ下げするのさ。それだけで、ふくらはぎの運動になる。ふくらはぎは第2の心臓って言うだろ。動かした方が良いぞ」


「それ、皆でやると良いですね。でも、それだったら朝食後になっちゃうか……」


 後輩の美鈴さんが入居してくれると、このシェアハウスは5人になる。平均年齢も今までの71.5歳から70.6歳と若返る。えっ、そんなに変わらないですって? 変わるわよ、……多分、モチベーションが……。


「あああああああああ~っ」


 ドアの外から歌声が響いて来た。


「あー、始まった始まった」


 良枝さんはタバコを揉み消すと、立ったままコーヒーを飲み干した。


「幸子さんが発声練習を始めたから5時ですね。朝食の準備を始めます」


「ほいよ、カップ洗っておくよ。灰皿もかたしとく」


「はい。お願いします」


 私は軽く会釈をして、キッチンに向かった。



 キッチンに入ると勝手口からスミさんが入って来た。


「スミさん、おはようございます」


「おはよう、ハルちゃん。野菜採ってきたよ」


 スミさんは元々農家だったので、野菜を育てるのが上手い。なので家庭菜園をやってくれている。


 流しの中に取れたての瑞々(みずみず)しい野菜が並ぶ。きゅうりとナスが2本ずつと大きめのトマトが1つ。


「今日の朝御飯は、パンにしようと思います。お昼にお米を炊いて、昼食をおにぎりとお味噌汁とお漬け物にしようと思ってるんですけど」


「じゃあ、ナスときゅうりは1本ずつ漬け物用にしよ。今は冷蔵庫にいれとくね」


 スミさんはいつもニコニコしていて、小さな体でちょこまかと良く動く。同じ元・主婦という立場だけれど小鳥みたいに動き続けているのを見てると、一緒に住んでて申し訳なく思う。彼女はちなみに69歳。私の1つ下だ。(私が年下の彼女に丁寧語を使うのは、私自身の癖だ)


「本当はぬか味噌があれば良いんだけどねー」


「そうですね。でも私達も歳ですからね、いつお迎えが来るかわかりませんから、誰かが、いつかこの家を処分することになったとき、……ぬか味噌は毎日手入れをしないと匂いますからねぇ」


「あはは、そうだよね」


 この年齢になると取って置く物と処分する物をよく選別しておかなければならない。老い支度、という訳だ。近頃ブームのエンディングノートもその1つである。


 二人でおしゃべりしながら手を動かす。トマトは皮だけに切れ目を十字に入れヘタを取り、そこにフォークを刺して湯せんする。こうすると皮が剥きやすくなる。


 皆まだ元気だし歯も丈夫だけれど念のために食べやすく、風味は損なわない様に調理する。転ばぬ先の杖ってことだ。


 スープが出来上がりナスと玉ねぎのオムレツがフライパンの中でキレイな色合いになって来た頃、良枝さんと幸子さんがキッチンに入って来た。「おはよう」の声が飛び交う。


 挨拶は儀式。毎朝繰り返される言葉であっても、皆が今日も元気であるという証拠。


 良枝さんがテーブルを拭いて幸子さんがスプーンとフォークを並べる。スミさんがトースターからこんがり焼けたパンをお皿に乗せると幸子さんがテーブルに運んでくれた。私がオムレツをお皿によそって、良枝さんがトマトを切りながらオムレツの脇に置いてくれる。毎朝、こんな感じで連係作業で準備をしている。飲み物だけはそれぞれ好みがあるので各自でやることになっている。が、


「今日はホットミルクにしようかな、誰か飲む?」


 幸子さんが聞いたら皆「飲む」と答えたので、今日は彼女が全員の飲み物を用意してくれることになった。


 テーブルの上に朝食のメニューが並び終わり、皆席について「いただきます」と食事を開始した。



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