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タイスへ

 雲一つない、高く広々とした澄んだ空が広がり、少し冷たくなった清涼な風が頬を撫でる日、リーゼロッテはタイスへ出発した。


 正式に妻となるまでは、リーゼロッテの立場はハルヴィットの王女だ。侍女と護衛は、ハルヴィットから付き添うことになっている。

 シルヴィアとレイは、他の侍女や近衛兵たちと一緒に、リーゼロッテに付いてタイスに入ることになった。


「良く眠っているね」


 馬車の中で、シルヴィアの目の前にいるフランツが物柔らかにほほえんだ。

 シルヴィアの肩には、すやすやと可愛らしく小さな寝息を立てているリーゼロッテの顔がある。


「……申し訳ありません。起こしてしまっては、おかわいそうで。昨晩は、緊張して良く眠れなかったとおっしゃっていたので」

「いいんだ。このまま寝かせてあげたい」


 リーゼロッテは馬車に乗る前、狭い空間でフランツと二人きりになるのはまだ緊張するからと言って、どうしてもと請うてシルヴィアを同乗させた。

 その結果がこれで、逆にシルヴィアが緊張することになってしまった。


 シルヴィアは、先日のリーゼロッテの言葉を思い出していた。


『レイが恋人といるところなんて見たくない』


 その言葉の意味を今、シルヴィアはとても良く理解していた。


 優しくリーゼロッテを見守るフランツを、こうして間近で見るのは、思った以上に心に負担だった。

 しかし、馬車の中ではどこにも視線を逃がす先がなく、無言のままいるのも気が引けたので、シルヴィアは何とか話題を探す。


「フランツ様、リーゼロッテ様は先日の髪飾りをとても喜んでいらっしゃいました」

「きみのおかげだ。ありがとう」

「いえ、そんな……」

「しかし私はどうしても、二人きりになると王女を緊張させてしまうみたいだね」

「……いつも私がご一緒することになってしまい、申し訳ありません」

「いいや、彼女がいいならそれでいいんだ。でも、少し気になってね」


 心配する様子のフランツに、シルヴィアは迷いながら言葉を選んだ。


「フランツ様が、というわけではないと思います。……リーゼロッテ様は、フランツ様と近い年齢の男性とお話をする際には、どうしても緊張されてしまうようです」


 そうするとフランツは、片方の手をあごにあてて少し考え込んで、それから何かを思いついたような表情をした。


「もしかして、家族関係が影響しているのか?」

「…………」


 言い当てられて、シルヴィアは返答に困った。

 しかしその態度で、フランツは理解してしまったようだった。


「そうか。クラナッハ家の人々は皆、王女にずいぶん無関心だなと思ってはいたんだ」


 フランツの澄んだ瞳に、鋭い光が宿った。


「……無関心なだけではなかった?」


 シルヴィアは小さく眉を寄せて、伏し目がちに小さな声で答えた。


「言葉の暴力が」

「……そうか」


 フランツは深いため息をついて視線を窓の外に向ける。

 しかし相手が相手だ。この場所ならば誰に聞かれる心配もないのだろうが、フランツは口に出して批判することを避けたようだ。

 ただしその表情は、明らかに強く憤っていた。


「……リーゼロッテ様を、よろしくお願いいたします」


 来るべき時が来て、今とは何もかもが変わってしまっても。

 口には出せない思いを込めてシルヴィアが言うと、フランツは視線を戻してほほえんだ。


「ああ、分かっているよ」


 それからしばらくすると、ロッシュフォード領内に入ったことをフランツが教えてくれた。


 タイスの南に広がる海を望む、アッシュグレーの建物が並ぶ美しい領地を進んでいく。

 やがて、丘の上にある一際目を引く立派な邸宅の前で馬車が停車した。


「フランツ様、到着いたしました」


 馭者の声がして、シルヴィアはリーゼロッテに声をかけて目覚めを促すと、シルヴィアの肩に押し付けられて少しだけ乱れていたリーゼロッテの髪を、手早く直した。

 そうしていると覚醒したリーゼロッテははっとして、しまったという顔をしてフランツの方を見た。


「ご、ごめんなさい。私……」

「いいんだ。昨晩あまり眠れなかったんだろう?」

「……はい。それにしても、私ったら」


 リーゼロッテが顔を赤くして身を縮めた時、ちょうど馬車の扉が開き、主の帰りを待っていた使用人たちがずらりと出迎えてくれた。

 フランツは気にすることはないという様子で緩く笑って、リーゼロッテに手を差し出した。


「おいで。行こう」


 ひとり馬車の中に残ったシルヴィアは、エスコートされて馬車を降りていくリーゼロッテの後ろ姿をじっと見つめていた。

 何度目かの鈍い痛みが、胸を襲う。


(……私ったら、何なの。さっきは、よろしくお願いしますなんて言ったくせに)


 リーゼロッテを守って欲しいという気持ちは嘘じゃないのに、こうして目の前で手を取りあう二人を見ると、自分だけが薄暗い闇の中に取り残されてしまった気分になった。


「シルヴィア」


 呼ばれて、はっとする。

 馬に乗って、馬車と並走してきたレイが、扉の向こうに姿をあらわしていた。シルヴィアは慌てて腰を上げた。


「ごめんなさい、すぐに出るわ」


 馬車から降りて、そのままレイの側を通り過ぎようとした時、レイがシルヴィアの二の腕をつかんだ。

 驚いて、シルヴィアはレイの方を振り仰ぐ。


「……大丈夫か?」


 レイの瞳に、いつかと同じような心配の色が混じっていた。


「レイ……」


 大丈夫よ。そう言葉にする前に、視線を感じてシルヴィアは反射的にそちらを向いた。

 レイもそれを感じ取ったのだろう。持っていたシルヴィアの二の腕を離して同じ方向を見ていた。


 タイスの軍服に身を包んだ、フランツよりはいくつか年上だろうと思われる人物がそこにいた。

 彼はシルヴィアとレイの二人に、値踏みするようなまなざしを隠そうともせず向けてきた。


 その刺すような視線に、頬にぞくりと緊張が走った。

 油断のならない人物だ。直感でそう感じた。

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