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揺れる心

 舞踏会へ向かう身支度を終えて、リーゼロッテは鏡の前で浮かない顔をしていた。

 明らかに普段より元気のないリーゼロッテに、シルヴィアは小首をかしげた。


「リーゼロッテ様、一体どうされたのです?」


 鏡越しにリーゼロッテは、シルヴィアの方を見る。


「似合ってる?」

「ええ、とても。ドレスも髪飾りも、良くお似合いです」

「……ありがとう」


 と言いながらも、まるでうれしそうには見えない様子で、リーゼロッテは首を少し回して耳の上にある髪飾りを鏡に映した。


「この髪飾り、シルヴィアが選んでくれたんですってね」

「はい。フランツ様に、リーゼロッテ様がお好きなデザインを聞かれたので……」


 答えながらシルヴィアは、はっとする。


「……もしかして、お気に召しませんでしたか? 申し訳――」

「やだ、違うわ」


 神妙な顔つきで謝ろうとしたシルヴィアを、リーゼロッテは振り返って止めた。


「違うのよ。とっても気に入ったわ。さすがシルヴィアね、私の好みを分かっているわ」

「……それは、良かったです。ですが、それなら一体どうされたのですか?」


 あらためて尋ねると、リーゼロッテは視線を落として小さく息をついた。


「わざわざ私の好みを調べて、こんなにすてきなものを贈ってくださるなんて、フランツ様は本当にお優しいわ。それなのに私ったら、レイのことばかり気にしていて」

「リーゼロッテ様……」


 つまりリーゼロッテは、自己嫌悪の最中なのだ。落ち込むくらいには、フランツのことを想っていることが分かって、シルヴィアは内心で安堵した。


「もっとフランツ様と、お二人でお話をされたらいかがですか?」


 そうすればきっと、次第にリーゼロッテはフランツを愛するようになるだろう。今はレイの美しい容貌に気持ちが揺れてしまっていても、フランツの誠実さに心が動かされないわけがない。


 誠実。それは決してレイには期待できないものだ。もちろんそれはシルヴィアも同じだ。素性を偽ってこうして側にいる。どうやっても誠実とは言えない。


「フランツ様は、年上だから緊張するの」

「レイもリーゼロッテ様とは五歳も離れています」

「それはそうだけど。……そうじゃなくて、フランツ様はもっと大人でしょう?」


 リーゼロッテは必死に言葉を選んでいるようだった。

 普段は見せることのない、おびえるようなその様子に、シルヴィアはようやく理解した。


「……フランツ様は、ゲオルク様と同じご年齢ですね」


 その名前を出すと、リーゼロッテはびくりと顔を強張らせた。


 ゲオルク・クラナッハ。クラナッハ家の長男で、リーゼロッテの腹違いの兄。あのジーク・クラナッハの後継者だ。猛々しいところは、父親に実に良く似ている。

 そしてゲオルクは、十年前の戦いでも華々しい戦果をあげた。クラナッハ家にとって。つまり父親と一緒になって、たくさんの貴族を殺したのだ。当時、弱冠十六歳にして。


 腹違いのリーゼロッテを、ゲオルクは妹として愛してなどいなかった。むしろ天真爛漫なリーゼロッテを、目障りだと感じているようだった。


 一度、シルヴィアはリーゼロッテとともにゲオルクと城ですれ違ったことがあった。

 これまでの経験ゆえだろう、動揺して立ちすくみ、結果的に道をふさいでしまったリーゼロッテを、ゲオルクは罵った。


『邪魔だ。妾の娘が、我が物顔で城を歩くな』

『も、申し訳ございません。お兄様……』

『兄と呼ぶなと何度言った!』


 びくりと体を揺らしてその場に固まってしまったリーゼロッテを、シルヴィアはさっと肩を抱いて廊下の端へと移動させた。それから膝を折って姿勢を低くして、丁寧に頭を下げた。


『ゲオルク様、どうかお許しください。私が横におりましたゆえ、リーゼロッテ様の邪魔をしてしまいました』


 侍女ふぜいとは会話することすら嫌だったのだろうか、チッと大きく舌打ちをしてゲオルクは去った。

 足音の響く廊下の白い大理石を見つめながら、シルヴィアの腹の中は煮えるようだった。

 今すぐにでも殺してやりたい。こみ上げる憎悪を、必死でおさえていた。


 リーゼロッテは普段、父やその正妻、そして二人の子であるゲオルクとほとんど顔をあわせることはない。愛されていないことを理解しているからだ。血のつながっている父にすら、使える駒としか見られていない。

 ただし、先日の茶会もそうだが、舞踏会など大勢の人間がいる前では、無視はされても暴言を吐かれることはなかったので、リーゼロッテも安心して出かけていった。


 シルヴィアは、そういう扱いをされても、対峙した時以外はあまり気にせずに明るく過ごしているリーゼロッテに感心していた。

 元来のリーゼロッテの性格なのだろうが、だからこそ、そういうリーゼロッテを利用している自分が時々たまらなく嫌になった。相手がゲオルクであれば、こんな風に感じることはなかっただろう。


「リーゼロッテ様。フランツ様とゲオルク様は、まったくといっていいほど違いますよ」


 シルヴィアがそう言うと、リーゼロッテは眉尻を下げて情けない声を出した。


「……そんなこと、わかっているわ。もしもお兄様と同じなら、お顔を見るのも怖くて無理よ。でもやっぱり年上の方だから、緊張してしまうの」

「レイだと緊張しませんか?」

「ええ、そうね。フランツ様より年が近いし。それに、レイが私の近衛兵だからというのもあるわ。身分の違いを遠慮しなくていいもの」


 リーゼロッテがさらりとこぼした本音に、シルヴィアは驚いた。


「リーゼロッテ様とフランツ様では、リーゼロッテ様の方がご身分は上です」

「それは、ここでの話でしょう? タイスではそうは思われないわ。私の母は、タイスの下級貴族よ。スペンサー家のような大貴族とは、本来なら知り合いになることさえできないわ」


 意外と言えば失礼になるが、リーゼロッテは自分の置かれている立場を良く理解していた。

 今のリーゼロッテには、タイスが後押ししたクーデターで成り上がったクラナッハ家の王女としての地位がある。タイスはこの婚姻を利用して、ハルヴィットでの発言力を増すつもりなのだろう。


 その地位が崩壊した時、リーゼロッテはどうなるだろうか。

 そういう懸念が一瞬頭によぎったが、シルヴィアは考えるのをやめた。それを考えてしまっては、シルヴィアはもう動けなくなる。

 ただあのフランツならば、どんなことになってもリーゼロッテを守ってくれるのではないだろうか。そういう思いもシルヴィアにはあった。


「フランツ様は夫として、妻になるリーゼロッテ様に敬意を払ってくださると思います。それはタイスに行っても変わらないでしょう」


 だからそう言ったのは、嘘じゃない。

 そしてシルヴィアは、そういう風に扱ってもらえるリーゼロッテを、うらやましいと思ってしまっていた。


「……そうね。シルヴィアの言う通りね。もっと、フランツ様とお話してみるわ」

「それがよろしいと思います」


 小さくほほえんで、それからシルヴィアはふと思い出した。

 レイは、リーゼロッテが諦めるように、レイはシルヴィアと恋人同士であるといえば良いだろうと言っていた。


「あの、リーゼロッテ様」

「なあに?」

「もしも、ですが。もしもレイに恋人がいたら、どう思われますか?」

「えっ」


 リーゼロッテは表情を一変させた。


「レイに恋人がいるの?」


 必至の形相で、リーゼロッテはシルヴィアの両腕をつかんだ。


「誰!?」

「いえ、あの。もしも、です。……今は、いないと思います」


 リーゼロッテに圧倒されて、シルヴィアはついそう答えてしまった。


「そうなのね。良かった……」


 ほっとしているリーゼロッテに、シルヴィアは恐る恐る尋ねる。


「嫌、ですか?」


 そうするとリーゼロッテは、恥じるような表情をしながらも、正直に打ち明けたのだ。


「……嫌。レイが私のものにならないことくらい分かっているし、そんなこと望んではいけないことも知っているわ。でも、それならせめて、レイが恋人といるところなんて見たくない。恋人をつくるなら、私の知らないところにして欲しいの。私の勝手な我侭だけど」

「そう、なのですね……」

「だからもしもレイに恋人ができても、絶対に私には言わないで」

「……わかりました」


 答えながらシルヴィアは、内心で冷や汗をかいていた。


(……余計なこと言わなくて、良かった)


 やはり時間が解決してくれるのを待つしかなさそうだった。

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