髪飾り
レイがリーゼロッテの専属兵になってから、既に一カ月が経過していた。
婚約披露が終わって、フランツが一度自国へ戻っている間も、リーゼロッテはレイのことばかりを考えているようだった。
レイの方は、契約を交わした守るべき主として義務的にリーゼロッテに接していたのだが、そのことが余計にリーゼロッテの恋心をかき立てているようだった。
唯一の救いは、リーゼロッテがレイ本人に気持ちを打ち明けていないことだった。傍から見ていれば明らかであっても、さすがに口に出すことはしなかった。
結局状況は何も変わらないまま、フランツが再びハルヴィットを訪れる日がやってきた。
今回の訪問は、フランツがリーゼロッテを迎えにきた形である。リーゼロッテはフランツと一緒にタイスに行き、本格的に彼の婚約者としてロッシュフォード領を見聞する予定となっていた。
そしてリーゼロッテが十七歳の誕生日を迎えた時、結婚式が執り行われる予定となっている。時間はもう、あと半年もない。
二週間後に控えたリーゼロッテの出立を前に、城では大掛かりな舞踏会が開かれる予定となっていた。
その時リーゼロッテが着る新しいドレスのデザインを、仕立屋と一緒にシルヴィアが確認している時だった。
「シルヴィア様、フランツ様がお越しになっています。シルヴィア様をお待ちです」
使用人に言われて、シルヴィアは動きをとめた。
「……今、リーゼロッテ様は王妃様のお茶会に出かけていらっしゃるのよ」
「いえ、シルヴィア様に用があるとおっしゃっていて……」
「ええ?」
仕立屋を帰してから、シルヴィアは急いでフランツが待つ応接室へと向かう。
(どうして、私に? 一体何の用なの?)
頭の中は疑問符でいっぱいになった。足早に進んでいると、胸の鼓動がだんだんと大きくなってくる。
フランツとは何度も会話をしている。けれどそれはいつもリーゼロッテの付添としてだ。こんな風に、シルヴィアひとりに用件があるなんて、はじめてのことだった。
(……ちょっと、落ち着いて)
自分自身に言い聞かせて、シルヴィアは応接室の前までくる。
ひとつ深呼吸をして、ノックをした。
「フランツ様、お待たせいたしました」
扉を開き、軽く膝を折って挨拶をする。
「やあ、急に悪かったね。座って」
フランツは爽やかにほほえんだ。失礼します、と断ってシルヴィアは部屋に入り、フランツの側のソファに腰をかけた。
「あの、フランツ様。どうされたのですか?」
「君に頼みがあるんだ。見てくれるかな?」
促されて、テーブルの上に視線を送る。そこには何枚もの紙が広がっていた。
「……これは、髪飾り、ですか?」
「そうなんだ。今度の舞踏会用に、王女に贈りたい。彼女が気に入りそうなデザインを選んでくれないか? まだ好みが分からなくて」
(……ああ、何だ。そういうこと)
そう思ってしまって、シルヴィアははっとした。今、確かに自分は落胆していた。その事実に、シルヴィアは動揺する。
「どうした?」
「い、いえ。何でもありません」
慌ててそう取り繕ってから、シルヴィアはテーブルにあったデザイン画を手に取った。
そのひとつひとつを丁寧に見ながらも、シルヴィアは自分の横顔に視線を感じて、内心でうろたえていた。逃げ出したい。だけどここを離れたくない。そんな思いがぐるぐると回る。
しばらく考えて、それから一つを選んだ。たくさんのダイヤモンドが散りばめられた、リボンと蝶をモチーフにしたものだ。
「こちらがよろしいのではないでしょうか。可愛らしくてリーゼロッテ様がお好きだと思います。これから作るドレスにも良く合います」
手渡すと、フランツはそれを確認し、うなずいた。
「ではこれにしよう。ありがとう」
フランツが見せた優しい笑みに、シルヴィアの胸がちりちりと痛んだ。
それには気づかないふりをして、シルヴィアも笑顔をつくる。
「お役に立てて、光栄です」
しかし続いたフランツの言葉に、シルヴィアの表情が固まる。
「これで少しでも、私の方を向いてくれれば良いのだけどね」
「……え?」
思わず間の抜けた声を出してしまう。フランツは小さく苦笑していた。
「王女はこのところ、君の従兄にご執心のようだ」
「そ――」
頭の中が真っ白になって、シルヴィアはいつになく取り乱した。
「そんな、誤解です。フランツ様、そのようなことは――」
「シルヴィア、いいよ。私は別に怒っているわけではないのだから」
「それは、でも。あの……」
最後には言うべき言葉を見つけられなくて、シルヴィアは体を小さくした。
「……申し訳ありません」
「どうして君が謝る?」
フランツはくすりと笑った。
「レイを近衛兵にと、リーゼロッテ様にお願いしたのは、私ですから……」
「でもあの様子では、彼が特別関心を引こうとしたわけではないんだろう? だとしたら、仕方がないことだ」
「……フランツ様」
怒った様子も悲しむ様子も見せずに、ただ穏やかに話すフランツを、シルヴィアは信じられない思いで見ていた。
「そもそもこの婚姻は、王女が望んでいたことではないしね」
「それは……」
「まだ若く、恋もこれからという時なのに、国の事情で十も年上の私に嫁ぐことになって、不憫だと思う。他に好きな男ができたとしても、責めることなんてできない。責めるべきは、彼女の心をつかみそこなっている私自身だ」
フランツは、手に持っていた髪飾りのデザイン画に視線を落とす。
「この婚姻は、もう変えることはできない。だから、せめて彼女を幸せにするために、全力を尽くすだけだ。そのために、今日のように君にまた何かを頼むことがあるかもしれない。その時には、助けてもらえるかな?」
再びシルヴィアに戻された穏やかなほほえみに、シルヴィアは膝の上で重ねた両手をぎゅっと握りしめた。
「……もちろんです。その髪飾りも、きっと、とてもお喜びになると思います」
「ありがとう」
内心とは裏腹に、シルヴィアは完璧な笑顔を作っていた。
どうやったって、変わることのないシルヴィアの立場。フランツの隣にいるのはリーゼロッテで、シルヴィアはただの侍女。
分かりきっていた事実に傷つく自分の馬鹿さ加減に、シルヴィアは泣きたくなっていた。