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再会、それから

 ハルヴィットの南端、ライズ辺境伯は、国境の向こうに暮らす遊牧の民の侵入に備え、この国の歴史が始まった早い段階から設置された。

 現在の領主オスカー・リードは、オルデンベルグ家に忠誠を誓っていた。元来社交界嫌いの性格で、シーズン中も王都に向かうことはなかったから、クーデターの知らせは領地で受けることになった。王のために進軍しようとした頃には、既に政権はクラナッハ家に変わってしまっていた。


 以降、ライズ辺境伯は、表向きはクラナッハ家に忠誠を誓うことになった。

 ジーク・クラナッハは多くの貴族を殺したが、国を維持するために、いくらかの貴族は残しておく必要があったのだ。リード家もその一つだ。

 遊牧の民との関係はこの百年程良好で、それは代々のリード家の功績によるものだった。リード家を滅ぼし、遊牧の民を刺激するのは得策ではないと踏んだのだ。


 ライズ辺境領に身を寄せて、シルヴィアは淑女レディとしての教育を受けなおした。

 シルヴィアが習得したのは、それだけではない。人を麻痺、睡眠、あるいは死に至らしめる毒の扱いや、護身用の剣の扱いも学んだ。誰に言われたからではなく、シルヴィアはそれを進んでやった。


 そしてシルヴィアはリード家の遠縁であるエイムズ伯令嬢という身分を与えられ、十八歳になる時にリーゼロッテに出仕した。

 既にクーデターから八年が経過したせいもあってか、シルヴィアは疑われることなくやすやすと宮廷に入り込んだ。


 計画は順調だった。

 シルヴィアと同じく、タイスの宮廷内にもオルデンベルグ派の人間が潜んでいる。実際にどれくらいの人間が自分と同じように動いているのかを、シルヴィアは知らなかった。駒となって動く自分が、知る必要もないと思っていた。

 シルヴィアはシルヴィアの与えられた仕事をまっとうするだけだった。リーゼロッテの信頼を得て、彼女にとって姉のような存在になること。それをシルヴィアは完璧に演じていた。

 一番の目的は、リーゼロッテの婚姻を誘導することだった。計画通りタイス側から婚姻が打診された際に、まだ結婚なんて、と渋るリーゼロッテを説得した。


 リーゼロッテは、ジーク・クラナッハがタイスで妾とした下級貴族を母に持つ娘だった。

 クーデター後には王女の身分を与えられ、現在では生家を離れてハルヴィットで暮らしているが、父の正妻からははっきりと疎まれている。

 あのジーク・クラナッハと似ても似つかない天真爛漫なリーゼロッテをだますことに、胸が痛まないではなかった。だからといって、シルヴィアにできることなどない。

 ただ、王女としての利用価値を見込まれてハルヴィットに呼び寄せられたリーゼロッテは、結婚して実母の暮らすタイスに戻った方がよほど幸せになれるのではないかと、シルヴィアは考えた。

 だからリーゼロッテに、本心から婚姻を勧めることができたのだ。


 結婚式に際して、クラナッハ家はタイスに出向くはずだ。その機を狙って城を掌握する算段だ。

 シルヴィアにとっての誤算は、タイスから来たリーゼロッテの婚約者が、知った人間であったことだった。


 婚約者としてあらわれたフランツに、シルヴィアは身動きが取れないくらいの衝撃を受けた。


 あのころと変わらない、澄んだ空のような瞳。

 会うことなど叶わないと思った人を目の前にして、シルヴィアはいつになく動揺した。

 血の気の引いた顔を見られまいと、シルヴィアは慌てて膝を折って頭を垂れる。


 もう十年がたっている。フランツはかつての面影を残したまま精悍な青年に成長しているけれど、あの時使用人の姿をしていた少女と今のシルヴィアでは、何もかもが異なっているはずだ。気付かれるはずはない。

 そう思うのだが、シルヴィアは気が気ではなかった。素性を疑われたらおしまいだ。


 結局その心配は、杞憂に終わった。

 フランツは優しいほほえみを見せて、よろしく、とその一言だけだった。


 やはり、戦場で一瞬邂逅しただけのちっぽけな少女のことなど、覚えているはずもなかったのだ。

 安堵と、それからどうしようもないむなしさが胸を襲った。

 シルヴィアはひとりになったとき、わけもわからず涙を流した。自分でもなぜこんなに苦しいのか、分からなかった。


 そしてその気持ちを、今、レイに気づかれてしまった。


「君はあの男に、命を救われた?」


 眉を寄せるレイに、シルヴィアは視線を落としたままうなずいた。


「そう。あの人があそこに来てくれなかったら、私は今ここにはいないわ」

「…………」

「助けられて、生きろといわれたの。レイ、あなたが見つけてくれるまでの三年間、それが私の心の拠り所になっていたの」


 それで忘れられないだけなのだ。だからこれは恋じゃない。そんな甘やかな感情であるはずがない。


 シルヴィアは、菫色の仮面をはずした。金の糸で繊細な刺繍が施されているそれをじっと見つめて、ぽつりとつぶやいた。


「この仮面ひとつで、子供たちにパンがいくつ買えるかしら」


 シルヴィアの身に着けているものはすべて、国庫から支出されたものだ。王女の侍女には、それなりの格好が求められる。体裁のために。


「後から調べて分かったのだけれど、あの人は秘密裏にカルヴァリースの孤児院を援助していたわ。もしそれがなかったら、私は飢え死にしていたかもしれない」


 シルヴィアは顔を上げ、レイの瞳をまっすぐに見た。


「あの人はタイスの人間だけど、少なくとも奪うためにやってきたのではないと思う」

「…………」

「でも、もしも――」


 シルヴィアはわずかにためらう。しかし、すぐに唇を少しかんで、自分を律した。


「もしも計画の邪魔になるのなら、その時には、あなたの手を煩わせることはないわ」


 自分で手を下す覚悟はできている。シルヴィアのその意志に、しかしレイは首を横に振った。


「させないよ。そんなことをすれば君は、二度とあの男を忘れられなくなる」

「レイ……」

「聞かなければ良かったな。君の命を救った男なら、殺すことができない」


 忌々しそうに、レイは小さく舌打ちをした。

 その時、風に乗ってこちらに向かう足音が聞こえた。少女の歩く、軽やかな音だ。


「シルヴィア? どこにいるの?」


 シルヴィアは即座に姿勢を正して、それに応えた。


「リーゼロッテ様。私はここにいます」


 声の方へ向かってシルヴィアが進み出ると、姿をあらわしたリーゼロッテがぱっと顔をほころばせた。


「やっと見つけた。あら? 一人なの? 誰かと話をしていたと思ったけれど……」

「いいえ。一人で少し夜風にあたっていただけです」

「急にいなくなるのだもの。心細かったのよ」

「申し訳ありません。リーゼロッテ様、ここは冷えます。戻りましょう」


 シルヴィアは蝶の仮面とともに、穏やかで優しい完璧な淑女の仮面を被った。

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