あるべきところへ
ライズに早馬が駆けこんできたのは、翌日の正午を過ぎた頃だった。レイとシルヴィアの帰還に合わせ、続々とライズ入りしていたオルデンベルク派の貴族と兵士たちに、夕刻を待って大広間に集まるように伝達がされた。
シルヴィアはそれを受けてすぐに、衣服を着替えて身なりを整えた。髪を簡単にひとつにまとめてドレスを脱ぐと、男性とほとんど変わらぬ格好をした。膝が隠れる長さのローブの下には、胸部を守る鋼鉄板を着けてある。ローブの上から巻いた腰のベルトには剣を、ロングブーツの中にも小さめの短剣がひとつ隠されている。
ふわふわとしたドレスよりも、機能的で動きやすかった。できれば毎日この姿の方が、どんなに機敏に動けるだろうと考えてシルヴィアは、すっかり自分が淑女から遠ざかってしまったことを自覚してひとり苦笑した。
時間になり、大広間には入りきれない程の人間が集まっていた。シルヴィアは部屋の片隅でレイを探すが、体格の良い男たちの中に埋もれてしまい、十分に周囲を見渡すこともできなかった。
その時オスカーの声が響いた。
「静かに。レオンハルト様がお見えだ」
右手の扉が開き、白銀の鎧に身を包んだレオンハルトが、大広間の中央にある大階段に進んだ。その場所を数段昇ってから、全員の表情を見渡しながら力強くうなずいた。
それを確認した後、オスカーが再び口を開いた。
「王都カルヴァリースでは逆臣ジーク・クラナッハが厚顔にも玉座についている。その息子ゲオルク・クラナッハは我々の策にはまり、タイスからの追及に愚かにも交戦するつもりで軍を国境へ動かした。クラナッハの軍は二分した。今が好機だ。我々の力で、我々の真の王のもとへ、ハルヴィットを奪還する!」
高らかに宣言したオスカーの声に、室内に喚声が湧き上がった。
皆の興奮を押さえるように、レオンハルトがすっと片手を上げた。皆が静まり返った後、レオンハルトは威厳のある声で言った。
「出陣の前に、私は皆に話すべきことがある」
あらためて何事だろうと、わずかに困惑した空気が広がる。しかし皆、口を開かずにレオンハルトの言葉を待った。
「これまで私は、今は亡き兄ヘンドリックに代わって、このオルデンベルグ家の当主を務めてきた。しかしそれも今日この時まで。皆が真に仕えるべき相手は、私ではない」
オスカーが動く。レオンハルトがあらわれた扉まで進むと、それを開いた。
皆の視線が集まる。オスカーに先導されて入ってきた、レオンハルトと同じ鎧をまとう美しいプラチナブロンドの青年。
人々の肩越しにその姿を確かめて、シルヴィアはこれ以上ないくらい目を見開いていた。
(……レイ?)
胸の中でつぶやいた言葉は、声にならなかった。
レイが大階段にたどりつくと、レオンハルトが中央を譲った。空気が緊張をはらむ。何を言われずとも、一同が姿勢を正した。
レオンハルトの声が、澄んだ空気の中に響いた。
「ヘンドリック前国王の嫡男であり、第一王位継承者セシル・オルデンベルグだ」
動揺と歓喜が入り混じったざわめきが、広間に広がった。
シルヴィアは無音の落雷に撃たれたような衝撃を受けていた。体をよろけさせ、背後の壁にぶつかる。
大階段の踊り場には、ハルヴィットの正しき国旗が掲げられている。紺碧に白い翼を広げた大鷲。その前で、やはり目の覚めるような紺碧のマントに身を包んでレイが、いやセシルが立っていた。
セシルがすっと見渡すと、皆は言葉を待って息を呑んだ。
「……身分を隠していたこと、すまなく思っている。私は幼く、叔父上とオスカーの庇護がなければ生きてはいけなかった」
シルヴィアの知っているレイ・リセルは、前国王とは腹違いであったレオンハルトの母方の遠縁にあたり、クーデターで家族を失った後にオスカーに保護され、レオンハルトに仕えるようになったと聞いていた。シルヴィアはそれを信じて疑わなかった。
あの美しいプラチナブロンドを、一度だけ見たことがあった。月明かりの下で、淡く美しく輝く姿を。どうして何も気が付かなかったのか。隣に並ぶレオンハルトと、同じ色をしているのに。
そしてセシルは皆に聞かせた。あのクーデターの日、城に遊びに来ていたレオンハルトの妻と息子たちも犠牲となってしまったことを。偶然に、予定より遅れてひとり城に到着したレオンハルトは惨劇を回避し、かろうじて息のあったセシルだけを連れて城を脱出してくれたことを。その途中で、レオンハルトと衣服を取り換えた、彼に長く仕えていた従者もまた命を落としたことを。
「ジークは、私の息は既に絶えたと思ってその場を離れていたし、後から来た兵士たちも、年の近い従兄弟たちの遺体があったせいか、私が生きて逃げたとは思わなかったのだろう。追手はかからなかった。それでも万が一に備えて、私は名前を変えて身分を偽った」
セシルは自らの心臓の上に手をあて、そこを強く抑えると、皆を見渡して力強く言った。
「皆には感謝している。この青い旗の下に集まってくれたことを。これから先、私は私の全人生を、皆のために、そしてハルヴィットのために捧げることを今ここで誓う」
それに一同は、歓声をあげた。思わずひざまずいて頭を垂れるもの、涙を流すものもいた。
シルヴィアの目にも涙が浮かんでいた。ハルヴィットのために戦った父や兄に思いを馳せると、胸が熱くなった。
それからシルヴィアは思い出した。すべてが終わったら、この国から逃げてシルヴィアと一緒に行けたらと、そう言ったレイのことを。彼は冗談だとも言ったし、もちろん本心からそうしたいと思っているわけではなかった。
それでも今、自らの全てを国と民に捧げると宣誓した覚悟の裏で、ほんの一瞬、違う生き方を想像していたセシルを、誰が責められるというのだろう。その気持ちを思うと、涙がこぼれた。これから先もう二度と、彼はそんな弱音を口にしないだろうと思った。
強いまなざしを前に向け、セシルが一歩足を踏み出せば、皆が彼のために道を開く。
「行こう。ハルヴィットを取り戻すために」