帰還
ライズ辺境伯領には、丸一日をかけてたどり着くことができた。
国の境にある場所に相応しく、ライズは居住区を丸ごとをぐるりと城壁に囲まれた都市だった。町の最北にある高台に建設された、領主であるオスカー・リードの居宅も、要塞そのものだ。全体が石灰色のせいもあってか、ずしりと威圧感があった。
城門をくぐってすぐに、二人はリード家の兵士たちに保護された。
そのままリード家の居城へ向かい、レイとは別れた。何よりもまず医師に体を見せて欲しいというシルヴィアの言葉を、レイは素直に聞いてくれた。
一人になってシルヴィアは、兵士に促されてそのままオスカーと、そして主であるレオンハルトの待つ部屋へと向かった。
「レオンハルト様、オスカー様、ただいま戻りました」
二人の前で、シルヴィアは両手でスカートの裾をつまみ、片足を斜め後ろに引きながら深く腰を下ろすと、頭を深々と下げた。
「シルヴィア、良く戻った。楽にしなさい」
レオンハルトの声に、シルヴィアは立ちあがって背筋を伸ばす。
椅子に座ったレオンハルトの隣には、オスカーが並び立っている。二人とも年齢は五十代半ばに差し掛かった頃だろうか。上品な顔立ちのレオンハルトと、屈強な風貌のオスカーは対照的である。
「タイスから早馬が戻った。状況は既に伝わっている」
「……力が及ばず、当初の計画に変更を生じさせてしまいましたこと、申し訳ありません」
シルヴィアはきつく目を閉じてうつむいた。
「予定は早まったが、問題ないだろう。そうだな、オスカー」
「大勢に影響はないでしょう。クラナッハの軍を二分できればそれで良し」
「ゲオルクの動きは調べさせてある。次の連絡が来るまで、お前も少し休みなさい」
「……はい。ありがとうございます」
シルヴィアが顔を上げて答えると、レオンハルトは両目を細め、しみじみと感じるような声色で言った。
「二年間、ご苦労だった。お前の出仕のおかげで、沢山の情報が手に入った。結果としてジークの娘も安全にタイスへ行ったのだから、お前の働きは無駄ではなかった」
「レオンハルト様……。私などには身にあまるお言葉です」
その時部屋に大きなノックの音が響き渡り、先導の兵士に伴われて、レイが姿をあらわしていた。
「レオンハルト様、オスカー様、ご挨拶が遅くなりまして申し訳ありません」
「レイ、体は大丈夫なのか?」
レオンハルトはわずかに顔を曇らせて、椅子から立ちあがった。
「はい。ご心配をおかけして、申し訳ありません」
レイの無事を確かめるために、オスカーもレイのすぐ側まで近寄っていた。
「顔色は悪くはないが……。医師は何と?」
「感染症の様子もなく、後は自然治癒を待つだけだと。シルヴィアの処置のおかげです」
レイはシルヴィアの方に視線を送り、ふわりとほほえんだ。
シルヴィアもほっとして表情を緩めた。
「……安堵したぞ。今しがたシルヴィアにも言ったが、今はゲオルクの動きを調べているところだ。次の連絡が来るまで、少し掛かるだろう。それまでにしっかり体調を整えておきなさい」
椅子に戻ったレオンハルトにそう言われ、レイはしっかりとうなずいた。
「はい。時が来れば、いつでも動けるようにしておきます」
同じくレオンハルトの隣に戻ったオスカーが、話を続ける。
「カルヴァリースには、予定通りレオンハルト様と、私が出る」
「ではゲオルクの方には十分な兵が集まりそうですか」
レイが聞くと、オスカーは自信ありげにうなずいた。
「わが息子が指揮を執る。いざという時には遊牧の民たちも力を貸してくれる」
「それは心強いですね」
そう答えたレイは、おそらくレオンハルトとオスカーに伴われて、カルヴァリースに向かうのだろう。そのつもりでレオンハルトはレイを帰還させたのだ。
シルヴィアは無礼を承知で口を開いた。
「……レオンハルト様、オスカー様、どうか私も王都へ同行させていただけないでしょうか」
それに一番驚いたのは、レイだった。
「シルヴィア、危険だ」
しかしシルヴィアは、決してひかないつもりで顔を横に振った。
「お願いいたします。邪魔にはなりません」
シルヴィアの強い意志を感じてくれたのだろうか、レオンハルトは少しの間沈黙してから息をついた。
「お前はこれまで長きに渡ってわが国を支えてくれたハーシェル家の娘。その眼、お前の父に良く似ている。止めても無駄だろうな」
「お待ちください、レオンハルト様」
「レイ。シルヴィアも、お前と同じ気持ちだろう。幼き頃からこの国を取り戻すためだけに働いてきたのだ。その瞬間を、見届ける権利がある」
「しかし――」
「それなら、私の側にいればいい。傷一つつけさせんよ」
「オスカー様までそのような……」
そこまで言ってレイは、諦めたようにため息をついた。
「……分かりました。けれどどうか、シルヴィアは私の側に」
今度はシルヴィアが驚く番だった。シルヴィアは慌てて首を振った。
「いいえ、私は守っていただかなくても大丈夫です。ご迷惑はおかけいたしません。レイもオスカー様も、どうかレオンハルト様のお側を離れないでください」
自分のせいでレオンハルトに及ぶ危険を増やすようなことはできない。
シルヴィアは懇願するように言ったが、あごに手をあてて考えるしぐさをしていたレオンハルトは、おもむろに口を開いた。
「よかろう。シルヴィアはレイの側に」
「レオンハルト様。そんな、いけません。そのようなご迷惑をおかけするのなら、私はここで待ちます」
シルヴィアはそう言ったが、レオンハルトはすでに心を決めたように、ゆっくりとほほえんだ。
「遠慮せずとも良い。お前も腕は立つのだろう? 役に立ってくれると信じているぞ。レイに守ってもらおうなどと考えず、レイの力になるように働くのだ」
「レオンハルト様……」
シルヴィアは唇を引き結んで、決心した。
「はい。必ず役に立ちます」
それに満足したようにうなずいて、レオンハルトは最後に言った。
「とにかく二人とも、ご苦労であった。しばらくは休むが良い」
レオンハルトのその言葉に、今度こそ二人は従った。




