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心のある場所

 レイが眠っている間に、シルヴィアは手早く処置を終えた。

 縫合の痛みに、レイは途中何度か目を覚ました。しかし薬が効いたのと、傷の痛みが勝っていたせいなのだろう、すぐに気を失うように眠ってしまった。

 消毒をして包帯を巻き終えた頃には、レイの呼吸は少し楽になったようだった。


 それからシルヴィアは、自分がひどい格好になっているのに気がついた。

 再び屋敷内を探してまわり、使用人の服を見つけてそれに着替えた。それに合うように髪も後ろで一つにまとめあげ、大切な髪飾りは服の内ポケットにしまった。


 保存が難しいためか、屋敷内にはまともな食べ物はなかったが、シルヴィアは厨房で見つけた赤ワインを煮詰め、それに鎮痛効果のある乾燥薬草を適量と、蜂蜜をたっぷり注いだ。レイが起きる頃には、冷えて飲めるようになるだろう。


 レイのところに戻って来ると、彼が規則正しく息をしているのを確認して、安堵してシルヴィアはベッドサイドに腰を落とした。

 日の出まではまだ時間がある。両腕を枕にしてベッドに顔を伏せると、途端に激しい睡魔に襲われ、まもなくシルヴィアは深い眠りに落ちてしまった。


 それからどれくらいの時間がたったのだろうか。衣擦れの音がして、シルヴィアははっとして顔を上げた。

 目の前にあるはずの、レイの姿がない。頭からつま先まで一気に血の気が引く気がして、シルヴィアは立ちあがった。


「シルヴィア、俺ならここにいる」


 後ろから聞こえてきた声に、シルヴィアは慌てて振り返った。

 心臓がどくどくと脈打っていたが、レイの姿を確かめて、シルヴィアは思わず目を閉じて大きく息をついた。


「レイ、良かった……」

「よく眠っていたから、起こさなかったんだ」


 レイはシルヴィアが用意していた服に着替えていた。サイドテーブルにあったグラスも空っぽになっている。

 シルヴィアは窓際に寄って、重いカーテンを少し開いた。月も星も見えるが、闇は薄くなっている。まもなく夜明けだ。


「レイ、痛みは?」


 シルヴィアは様子を確かめようと、レイの側に行った。近づけば、レイの顔色はまだ血色が十分でないことが分かる。


「大丈夫。色々迷惑かけて、ごめん」

「迷惑なんて」

「助かったよ。ありがとう」


 それに小さく顔を横に振って、シルヴィアはレイが眠る前のことを思い出した。


「……レイ、眠る前に言ったことを覚えてる?」


 恐る恐るそう尋ねると、レイは小さく首をかしげた。


「俺が? 何か言った?」


 あの時のレイは、本当に意識が朦朧としていたのだろう。

 シルヴィアはレイが覚えていないことに、少しだけほっとした。レイの気持ちが本当なら、何かしらの答えをきちんと出したいと思った。けれど今はまだ、混乱していて何と答えればいいのか分からなかった。


「……いいえ、何でもないわ。落ち着いたら、また話すわ。今はすぐにでもここを出ないと」

「ああ、そうだね」

「痛みはしばらく続くと思うわ。ちゃんと医師に見せるまでは、くれぐれも無理しないで」


 それだけは念を押して、白んだ空の下、二人は再び出発した。


「レイ、無理しないで。体重をかけてもいいから」

「大丈夫。きつくなったらそうする」


 昨日よりは声の調子が格段に良い。それにシルヴィアは心底ほっとしていた。


 馬の手綱を引きながらしばらく進んで、シルヴィアは眉間に皺を入れて、レイに話しかけた。


「……結婚式は、なくなったでしょうね」

「ああ、でも矛先はゲオルクに向いた」

「予備の計画があったのね。他にも何か?」

「昨日のことは、すぐにタイス王宮に知れ渡ったはずだ。王宮の中にいる人間が、もう動いていると思う。ゲオルクの策略であるという証拠が、次々と出てくるはずだ」

「それでゲオルクがどうでるかね。冷静に潔白を証明するか、疑われたことに怒りをぶつけるか」

「どちらにしても、タイスに向かう必要があるだろう。軍を国境に動かすさ」


 つまり、日程が早まったこと以外は、おおむね計画に支障はないということだ。シルヴィアは安堵したように深くため息をついた後、ぽつりとこぼした。


「……王女は無事でいるかしら」

「出てきた証拠に、リーゼロッテとの関連は見つけられないはずだ。後はフランツがどうでるかだ」

「そうね……」


 フランツならばきっと。シルヴィアにできるのはもう信じることだけだった。


 南の草原地帯を駆け抜けながら、ライズ辺境伯領を目指す。

 肌を刺すように冷たくなった風に、シルヴィアは目を細めた。数カ月前には一面力強い緑色だった景色は、薄い黄金に色を変えてしまっていた。

 果てのないように見える広大な草原では、遊牧の民が暮らしている。伝聞するところでは、ハルヴィットやタイスとは随分異なった生活様式であるということだ。


 自らの知る世界とは違う暮らしを思い浮かべながら、シルヴィアはふと口にした。


「レイ。前に、すべてが終わったら、一緒に逃げるかって私に聞いたのを覚えてる?」

「……覚えてるよ」

「あの時は私、見当もつかなくて何も答えられなかったの。ごめんなさい」


 シルヴィアは言葉に後悔をにじませた。

 レイは落ち着いた声で答える。


「今なら答えられる?」


 そう聞かれて、シルヴィアは反対に質問した。


「……レイは、この国から逃げたいと思う?」


 レイは少しの間沈黙して、それからゆっくりと答えた。


「行けたら、どんなにいいだろうね。君と、例えばこの草原のはるか向こうまで」


 レイの言葉が胸の中で繰り返された。そうはできないことを、誰よりも自分が分かっている言い方だった。シルヴィアはわずかに目を伏せた。


「だけど、行けないのね」

「……そうだね。あんな目にあって、父や母、姉、叔母と従兄弟たち。みんな死んでしまったけれど、それでもここから離れられない」


 シルヴィアは視線を戻した。まっすぐに前を見据えて、逸らさなかった。


「そうね。私もそう。きっと、心がここにあるから。絶望もしたけど、忘れられない大切な思い出が残っているもの。逃げても必ず、戻りたくなると思う。私はそれでも、この国を愛しているから」

「…………」

「……レイは、そうじゃない?」


 馬鞍の革ベルトを持って体を支えていたレイが、不意にシルヴィアの体越しに手を伸ばした。手綱を持っていたシルヴィアの手に、その手が重なる。レイの吐息がすぐ間近にあった。


 体重をかけてもいいと言ったのは自分だし、昨日だってずっと密着していた。でも今は、明らかに状況が異なる。仕方がなく体を預けているのではなく、抱きしめられるような形になって、シルヴィアは全身がかっと熱くなった。


「レイ……」

「ごめん。少しだけ」


 すがるような声色に、シルヴィアは動揺する心を落ち着かせる。ただ静かに前を向いて、レイの存在を感じようとした。

 レイもシルヴィアと同じ気持ちなのだと、何故だか強く信じることができた。

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