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レイの想い

 陽は既に落ちていて、焦げたような残照が、周囲の木々や山稜をくっきりと黒い影にしていた。馬は息を上げ続けていて、目に見えて速度が落ちている。


「お願い、頑張って。もう少し暗くなるまで」


 励ましながらもシルヴィアは手綱を緩めなかった。いつもなら美しいと感嘆する夕映えを、これほどじれったいと感じるとは思いもしなかった。


「レイ、大丈夫!? 返事をして」


 シルヴィアの背中に身を預けたレイの体は、さっきから徐々に重くなっている。このままでは落馬してしまう。シルヴィアは内心気が気ではなかった。


「レイ!」

「……ああ、大丈夫」


 まったく大丈夫ではない声が耳元で絶え絶えに聞こえた。


 スペンサー邸から十分に離れたところで、一度馬を下りてレイの傷を見ていた。レイはできるだけ身をかわしたのだろう。傷は見た目ほどひどくはなく、骨や内臓には達していなかった。レイのマントを割いて上半身をきつく締めると、赤い布はほとんど黒に色を濃くしていった。


「もうすぐハルヴィットに入るわ」

「……国境の近くに、リセルの家がある」

「ええ、分かってる。それまで頑張って」


 先のクーデターで主を失ったというリセル家の邸宅は、無人のまま今も残されている。手入れはされておらず、周囲も含めてすっかり荒れ果てているが、いざという時に使えるように、中には色々と使えるものが備蓄されていると聞いていた。


 再び無言になったレイに声を掛けながら、シルヴィアは国境を越えた。周囲が完全に暗闇に覆われてしまう直前に、なんとかリセル邸にたどりつくことができた。


「レイ、もう少しよ」

「…………」


 朦朧としながらも何とか足を動かすレイを支え、シルヴィアは邸内へ向かう。固く閉ざされた玄関扉に着くと、レイが左腕を押さえる。シルヴィアはそこにあるフラップポケットのボタンを外すと、中から鍵を取りだした。


 入ってすぐに脇にあったキャビネットの上のランプに火をいれ、室内を進む。ほとんどの調度品には大きな布が被せられてあったが、その上から埃や蜘蛛の巣が堆積していた。


 寝室の一つに入って、ひとまずレイから離れ、ベッドに被せられてあった布を払い落とす。舞い上がる粉塵に何度かせき込んでから、ぐったりと壁に寄りかかっていたレイをそこに移動させた。

 それから急いで屋敷中を走り回り、使えるものを集めてきた。水、アルコール、裁縫道具、乾燥薬草、解毒剤や軟膏などの薬品、包帯、タオル、衣類。


 ベッドまで戻ってきて、短く息を繰り返すレイの耳元でシルヴィアはささやいた。


「レイ、薬があったわ。飲んで。眠っている間に傷を縫うから」

「……分かった」

「夜明け前にはまた出発しなくちゃいけないわ。だから十分な量はあげられない。多分痛みで、すぐに目が覚めると思う」

「いいよ」


 薬を飲ませて、汗の張り付いた額をタオルでぬぐってから、シルヴィアはベッドの横に膝をついた。


「……怖くない?」

「君が? まさか。誰よりも信用してる」


 顔面蒼白で、それでもレイはいつものようにほほえんだ。それから、苦しそうに目を閉じて言った。


「君は、怖い?」

「……怖くないと言えば嘘になるわ。傷の縫合は初めてだし、白状すると、もともと裁縫は得意じゃないの」


 そう答えると、レイは目を閉じたまま小さく笑った。


「大丈夫。閉じれば何でもいい」

「……でも本当に怖いのは、レイが死んでしまうことよ」


 シルヴィアはレイの右手を取って、両手で強く握った。目を開けたレイが、顔を動かしてこちらを見る。


「私のせいで、こんな目にあわせてしまってごめんなさい。あの時、私を助けてくれたから……」


 涙を見せないように唇をかむと、レイは困ったような表情をした。


「もとはと言えば、俺が失敗したせいだ」

「仕方のないことよ。タイスも馬鹿じゃなかった」

「ああ、少なくともクラナッハよりはね」


 冗談めかしてそう言った後、レイは一度大きく息をついた。


「シルヴィア、俺は死なない。やるべきことが残ってるから」

「……ええ、そうね」


 シルヴィアの手を握りかえしていたレイの右手から力が抜けた。眉根を寄せて、レイは何度も瞬きを繰り返す。


「薬が効いてきたのね。眠って」

「……シルヴィア」

「何?」

「痛みと薬で、たぶん今俺は正気じゃない」

「何を言うの。大丈夫だからそんなこと言わないで」

「死ぬつもりは微塵もないけど、今は結構きつい。……だから君に言って欲しいんだ、シルヴィア」

「私に? 何を言えばいいの?」

「俺が好きだって」


 シルヴィアは目を見開いた。苦しそうなレイの深い群青色の瞳に、訴えるような悲哀の色が濃く光る。


「俺じゃない誰かを想いながらでもいいよ」


 シルヴィアは握っていたレイの右手をベッドに下ろした。その上に自分の両手をもう一度重ねる。脳裏に言葉が浮かんだ。


『レイがあなたをとても大事そうに連れ帰ってきたって』


 これまでの、数々のレイの言動を思い出す。シルヴィアは片手を動かして、耳の上の髪飾りを確かめた。そして茫然としたまま口を開く。


「……レイ。私のことを、好きなの?」


 そうするとレイははかなげにほほえんだ。今までのどのレイよりも美しく、そして心が裂けてしまいそうに切なかった。


 そのままレイは、何も言わずに目を閉じる。


「レイ?」


 呼びかけても、もうレイは反応しなかった。急いで傷の縫合に取り掛からなければいけないのに、シルヴィアは一瞬動けなかった。

 すぐにはっとして立ちあがると、その拍子に自分でも驚く程ぼろぼろと涙がこぼれ落ちていった。思わず両手で頬を押さえる。

 涙ではっきりしない視界のまま、シルヴィアはもう届かない言葉を口にした。


「あなたが傷つくのは、こんなにも苦しいわ……」

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