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よみがえる記憶

 通りに響いた侍女たちの悲鳴は、道行く人々の視線を集めた。


 体を引きずられながら、シルヴィアは冷静に考えていた。

 羽交い絞めにされてはいるが、振りほどこうと思えば振りほどく方法はあった。しかし、この腕から想像されるそれなりに大きな体格の男を相手に、ドレスを着たシルヴィアが手向かうのは、あまりに目立ちすぎるだろう。

 やるのなら、人気のないところに連れて行かれてからだ。髪留めの中には、神経毒を塗った針も仕込んである。


 やや薄暗い路地に引きずり込まれて、シルヴィアはその場に乱暴に投げ出された。

 無様に転げてから、両手をついて上体を起こすと、男はすぐ真上からシルヴィアを見下ろしていた。


 薄汚い身なりをしているが、体つきは引き締まっていた。顔には無精ひげもなく、頬骨が目立つ。目つきは鋭く、まったくといっていいほど隙がなかった。


 軍人であると、シルヴィアは即座に理解した。一見物取りのような姿をしているが、訓練を受けた人間だとはっきり分かる。

 シルヴィアは、あのアダム・ノールの視線を思い出した。きっと彼の部下だろう。


(……あの時、あの視線に気づいてしまったから)


 それで疑われているのだと考えた。だとしたら、反撃するわけにはいかない。


「お金や宝石なら差し上げます。どうか見逃してください」


 シルヴィアは両手を組んで、懇願した。さっきまでは応戦するつもりでいたから、涙まではすぐに流すことができなかった。


 無表情だった男は、ぴくりと眉を動かし、それからそのまま片手を振り上げると、拳の裏でシルヴィアの頬を殴り飛ばした。


「……っ!」


 シルヴィアは思い切り地面に体を打ち付けた。かっと頬が火をつけられたように熱くなり、さびた鉄の味が口内に広がる。でもそのおかげで、涙があふれ出てきた。


「お願いします。命だけは、どうか……」


 乱れた髪のまま顔を上げて声を震わせると、男は腰に差してあった剣を勢い良く抜きはなった。


「……!!」


 それを見て、シルヴィアは目を見開く。地面に腰を落としたまま後ずさりながら、シルヴィアの心臓は早鐘を打っていた。


(……やらなきゃ、やられる)


 戦うことはできた。ドレスの中、シルヴィアの大腿には革ベルトでとめられた短剣がある。


(でも、もしもただの侍女ではないと知れれば……)


 敵が紛れ込んでいたことが分かれば、結婚式は中止か延期となるだろう。さらには、リーゼロッテにあらぬ嫌疑がかけられ、その身に危険が及ぶ可能性がある。


(何とかして、怪しまれずに逃げるしか――)


 頭の中でそう思った時、男は剣を振り上げた。

 建物と建物の隙間から、どこまでも澄んだ青空が見えた。

 高々と掲げられた剣先に、太陽が反射して白い光を放つ。


「……!!」


 その時シルヴィアの意識は突然、あの時の、あの瞬間に呼び戻されていた。


 シルヴィアが何もかもを失った日。

 人や建物が焼けていく、鼻腔に広がるカルヴァリース落城の匂い。

 後ずさった手が何かに触れる。シルヴィアを庇って死んだ侍女の体。

 涙の筋が頬にはりつき、声がでない。


「い――」


 違う、違う。ここはあの場所じゃない。

 逃げなくては駄目。声を、声を出さないと。


「いや! だれか助けて!」


 涙がこぼれ落ち、叫びがようやく声になった。

 その刹那、剣が振り下ろされる。切っ先は、地面に広がったシルヴィアのドレスの端に突き立てられた。


 呼吸が苦しくなって、シルヴィアがぜいぜいと荒い息を漏らした時、男の背中から叫び声が聞こえた。


「シルヴィア!」


 その声に、シルヴィアは目を見開き、叫んだ。


「レイ!」


 瞬間、男はレイの声が聞こえた方とは反対へ、勢いよく走り去っていく。


 視界を遮るものがなくなり、駆け込んでくるレイの姿が目に入ってきて、シルヴィアは立ちあがろうとする。

 意識とは反してそれができず、それでも剣の刺さったドレスを破って、すくんで動かなくなった足をひきずるようにしてレイの方へ手を伸ばすと、顔を真っ青にしたレイが、シルヴィアの腕を引き寄せて勢い良く抱きしめた。


「シルヴィア!」


 息もできないくらいきつく抱いて、それからレイはシルヴィアを離してその顔を確かめる。

 既に腫れ始めた頬と、血の流れる口元を見て、レイは目を見開いた。


「……殺してやる」


 こめかみに青筋を立てて、レイは逃げ去る男の姿をとらえる。地面に突き刺さっていた剣を手にとって、レイは走りだそうとした。


「レイ!」


 シルヴィアはすがりつくようにして、レイの体を全身でとめた。


「駄目、行かないで!」


 レイが驚いてシルヴィアを見る。シルヴィアは体を震わせて懇願した。


「お願い。私なら大丈夫だから、ここにいて」


 レイもシルヴィアと同じように、怪しまれているはずだ。あの男を深追いしてはいけない。

 そう思う気持ちと同じくらいに、ただシルヴィアはあの日の記憶に打ちのめされていた。

 今はもう、誰かにすがりつかなければ、立つことすらできなかった。


「シルヴィア」


 レイは再び強く抱きしめてくれた。その温もりに包まれて、シルヴィアは自分の命を確かめるように、目を閉じて深く息を吸った。

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