さよならピーターパン
なんて女だ。最低だ、最悪だ。俺の自尊心を傷つける。
中学生から高校生にかけての男っていうのは特別だ。長い人生の中で特別な時期なんだ。俺はまだ高校生のガキでこれからの未来についてなんて何一つ分かっちゃいないし人生設計も甘いけど、これだけは確実に言えることなんだ。
思春期の男っていうのは、いわゆる中二病というやつを患っていて、非常に面倒くさく、格好をつけなければならず、特別でなければいけないのだ。そんな大事な時期なんだ。人生で唯一勘違いが許される、大切な時期を俺は過ごしているんだ。
自分は他とは違う。普段はあの埃っぽい教室で同じように机を並べていても、心のどこかで、クラスの奴らとも、部活の奴らともバイトの奴らとも、俺は何かが違うんだと認識してた。特別なんだって。
だけどこの女ときたら――この女っていうのは俺の彼女のことだが――俺の自尊心を傷つける。
「あ、待って……待って、ゆっくり……」
ベッドシーツの海の上、溺れたように乱れた格好の彼女は、覆いかぶさった俺の胸板を弱弱しく押し返しながら懇願した。
心を通わせ、今まさに身体も繋がろうとしているところなのに、この女はこの場面になって怖いだの痛いだのと零し、しまいには目にうっすらと涙まで光らせる。
何がゆっくりだ。もう俺はとうに限界を超えているんだ。早く俺の想いをこいつの中に全て収めてしまいたいし、好き勝手に動きたい。
それはそれで獣のようで、他のヤりたい盛りの男と同じに成り下がったようで萎えるけど。
何より不愉快なのは、彼女をこんなにも気づかう俺だ。
「息吸えって……大きく。な、大丈夫だから」
汗をかいて湿った彼女の髪を撫でてやりながら、鼻の頭をすり合わせる。お互いに衣服を引っかけただけの状態で、吐き気がするほど甘ったるい空間だった。
だけど彼女は、俺が気づかう素振りを見せると犬のように「くぅん」と鳴いて嬉しそうにはにかむ。
それがたまらなく可愛らしくて嫌になる。ほだされていき、俺は彼女に『ただの男』に作りかえられていくんだと実感する。
クラスメイトが初体験を終えたと自慢する度、動物の性交を思い出してどこかで馬鹿にしている俺がいた。まぐわうことしか頭にない、馬鹿な奴らだと思った。
自分に限ってはそんなことはないと高を括っていたんだ。
でも、今の俺はどうだ? 彼女といる時の俺は、気持ちの悪いことにこの女を甘やかしてやりたいだとか、泣くまでめちゃくちゃに犯してみたいだとか、そんな物騒なことを考える低俗な男になってしまった。
「苦しい……? 動いて、いいよ……?」
黙りこんで眉根を寄せた俺が、動きたいのを我慢していると思ったんだろう。彼女は俺の頬に手を伸ばし、柔らかく微笑んだ。
何が「動いていい」だ。余裕ぶりやがって。本当は俺のを全部収めて、異物感で下半身が悲鳴をあげてるくせに。痛いからもうやめてほしいって思ってるくせに。
いじらしい彼女が好きで嫌になる。愛しくて嫌になる。こんな感情は知らなかった。俺は静かに腰を少し引くと、もう一度彼女の中へ押しこんだ。
思っていたより、神聖な行為じゃない。
少女漫画の知識で得たロマンチックな行為じゃないと、彼女も思っているだろう。俺は俺で、馬鹿にしていたより、浅ましい行為じゃないと思った。
「……好きだ」
絞り出すような声で言うと、彼女は目の端に引っかけていた涙の粒をとうとう零した。それが妙に尊く見えて、気が付いたら俺は彼女に口付けていた。
思えば「好き」と告白をしてきたのは彼女で、俺はかっこつけて頷いただけだった。いつまでも格好をつけていたかった。
「どうしたもんかな……」
まだ高校生だ。特別でいたいのに、特別じゃなくなっていく。
ただの男になっていく。
こいつが悪い、と俺は俺の下で必死に指を噛み、初めての痛みに耐えている健気な彼女を見下ろした。こいつが可愛いから欲情するし、どろどろに甘やかしたくなるし、好きだから触れたくなる。
もっと出家した人間のように、俗物的なものに興味を示さず常に余裕のある俺でいたいのに、こいつがそうはさせてくれない。
周りとは違う、一匹狼の俺を、孤高の俺を、特別な俺を、ただの男へと成り下がらせるけしからん女。
だけどそんな彼女が好きで、甘やかしたくて、甘えたくて、大切にしたい。そんなただの男になっていく。
なんていうことだ。俺は特別なはずなのに。もしかしたら世界で最も影響力のある人物に選ばれるかもしれないし、どこかの大統領の命を救うヒーローになれる存在かもしれないのに。
「ねえ、手、握って……?」
「…………いいよ」
ねだる彼女の汗ばんだ手をギュッと握ると、絡んだ指の先から変わっていってしまう気がした。
ああ、願わくばもっと長い間、高尚な存在でいたい。もっと特別な俺でいたいけど、彼女を好きでもいたいから、そろそろ俺は特別じゃない、普通の男になるんだろう。
凡庸な男。平凡な男。ありふれた男。ああ、怖い。俺は特別な時を失ってしまう。人生の輝かしい時を喪失してしまうのだ。
だけどやがて、彼女にとって特別な男になる。
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