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アセンブル・ロジック ~高専祭殺人事件~  作者: 森鷹志
《第1章》 混沌の日常
9/36

 理玖と楓馬が模擬店に戻ってきたのは、十一時三十分ちょうどだった。


「おっ、おかえり」二人に気付いた七條が、右手を挙げる。

「ごめんよぉ」楓馬は謝りながら、教室に足を踏み入れた。「暇だっただろ?」

「どちらかと言われれば、暇という部類に入ってたんじゃないかな」七條は微笑んだ。

「そういえば、チュロスは売れた?」

「そうだね……、いくつぐらい売れたかな」七條は、手元のメモを見た。「正」の字が、三つほど並んでいる。「十七個、かな」

「ほうほう。まずまずと言ったところですかなぁ」

「うん。これから、本格的に売れ始めるんじゃないかな。百はいきたいところだね」

「そうだなぁ……。場所の割には案外売れてるようだし、目標は高く、ってとこかなぁ」


 楓馬と七條の会話を聞いて、理玖も自身のクラスの売り上げがどのようになっているのか気になったので、緋香里に訊いてみることにした。


「緋香里さん、どれくらい売れた?」

「うーん……。(あい)()、どれくらいだったっけ?」


 緋香里の隣にいる、セミロングでメガネを掛けた女子学生、(たき)愛梨は顎に人差し指を当てた。当然のことながら、彼女も3Mの所属である。「十五くらいだった……かな? うん、確か、十五だよ」


「だってさー、理玖」

「ふぅん……。売れてることには、売れてるんだね」

「売れなきゃ困るよ。昼からは、もっと売れるんじゃないかな?」

「だといいね。赤字だけは避けたいところ」

「んー。でも、雨でも案外来るんだね。僕、もっと少ないのかと思ってたのに」

「高専に興味を持ってる人が多いのかな。そうだ、客層はどんな感じだった?」

「客層? ん……、今んとこ、うちの学生くらいしか来なかったかな?」

「なら、暇潰しでやって来た学生しかいなかった、ってことになるか……」

「かなぁ」


 まだ正午前である。そして、今日は土曜日。午後に来校する者のほうが多いだろう。生憎の雨ではあるが、何かに駆り立てられた人々は、ここに集う。狩人は、それを狙わなければならない。獲物を誘き寄せるには、餌が必要だ。その餌が上質なものであればあるほど、獲物は食いついてくる。さて、その餌を何にすべきだろう……。


(何を考えてるんだろう、俺は……)


 理玖は、机に頬杖をついた。

 そのあとは、とくに動きという動きもなく、ただ時間だけが過ぎていった。

 十二時を少し過ぎた頃、正確には十二時五分、七條のポケットで音楽が鳴った。彼はポケットからスマートフォンを取り出して、画面に触ると、再びスマホをポケットに戻し、足元の紙袋を持って椅子から立ち上がった。


「僕、そろそろ抜けるよ」

「おう?」


 楓馬が七條を見ると、彼は、顔の前で手刀を切るような仕草をした。


「あとは、頼むよ」

「あぁ、うん、大丈夫。元々、俺の仕事だし」

「さんきゅ。じゃ、よろしくな。用が終わったら、帰ってくるから」


 まるで一陣の風が吹き抜けるように、七條は教室から去っていく。


(うーん、歩き方も綺麗だなぁ)楓馬は七條を見てそう思った。


「あれ、七條、どこに行ったの?」椅子に座ったまま、理玖は楓馬に訊いた。

「いや、どこに行ったかは知らないなぁ。彼女のところにでも行ったんじゃあないの?」

「そう……」


 七條は、彼と同じクラスの(ひら)(しま)(こと)()と付き合っている。理玖の頭の中には、それくらいの情報しか格納されていなかった。平島の顔を知らないわけでもないが、かといって面識があるわけでもない。正直、それらは憶えていてもどうにもならない情報である。理玖は、無駄なことで脳のキャパシティを圧迫されるのは嫌だった。しかし、どうでもいいことほど記憶してしまっている。脳が、自然と不要な情報を排斥してくれればいいな、とも考えるが、人間の脳は忘れることが得意だから、放っておけばいつかは水が蒸発するように情報も分散するのである。つまり、無関心でいれば、いつかは忘れるのだ。

 理玖は、教室の廊下側に置かれた椅子に座って、腕を組んだ。廊下が賑わっているということはなく、閑散としている。孤島を通り越して、別次元に転送されてしまったみたいだった。これでは、商品は売れないだろう。


「なんかさー」暇なのか、緋香里は理玖の方へ近づいてくる。「理玖たちが帰ってきた途端に、誰も来なくなった気がするんだよね」

「それ、俺たちが貧乏神ってこと?」

「そうなのかもね」緋香里は口元を少し吊り上げた。「でも、このまま売れなかったら、材料も勿体ないし……、どうにかして売り切らないと」

「やっぱり、宣伝しないと駄目かな」

「んー、そだね。何か、いい方法ないかな?」

「あ、そうそう」理玖は人差し指を立てる。「化学部の子が、女装するのがいいかもしれない、って言ってた」

「女装かー……。なるほど、女子が少ないから、自ら女の子になりきって、やってきた男たちを騙そうってことだね?」

「女装してくれそうな奴、いないかな……?」

機械()にはいないかなぁー。コスプレが大好きな子は知ってるけど、その子、一応女子だし……女装とは言えないかなぁ?」緋香里は、愛梨を一瞥(いちべつ)する。しかし彼女は、とくに反応しなかった。

「ふぅん。それじゃ、いないね」

「んー……。いや、一人いる!」

「誰?」

「誰って、そりゃ……」


 緋香里は、理玖をじっと見つめる。


「んー、ま、そういうこと?」

「ちょっと待った。俺には、どういうことだか理解できないんだけど」

「えー? 何言ってんの、ホントは解ってるんでしょ?」そう言って、緋香里は満面の笑みを浮かべた。「理玖が女装するってこと!」

「嫌だ!」理玖は思わず椅子から立ち上がった。椅子の足が床を擦る音が妙に響く。「それは断固拒否する! それなら、溶鉱炉に落ちて死んだほうがマシだ!」

「えー、なんでさ、いいじゃん女装! 似合いそうだし、僕の制服だって貸したげるよ?」

「似合うだなんて、そんな根拠のない理由が通るか!」

「……なんでそんなに嫌がるのー?……あ、もしかして、理玖ってホントは女装癖があって、『女の子の服、着こなせちゃった、てへっ』みたいになるのが怖いだけなんじゃないのー?」

「そんなこと、絶対、ありえない。永久機関で無限のエネルギーを作り出せるくらいありえない!」

「まーまー、そんな難しいこと言わないでさ。要は試しだよ? やってみなきゃ分かんないことだってあるんだしー?」


 二人の騒ぎを聞いていたのか(というよりも、聞こえる位置にいるので仕方ないが)、楓馬がにやにやしながら寄ってきた。


「おっ、理玖、女装するのぉ?」

「違う! やらないに決まってる……、全部、こいつが勝手に言い出した妄言に過ぎない!」

「理玖、見苦しいよ。さっさと女装しちゃいなよぉ」

「断る」

「……なぁ、さっき理玖、言ってたよなぁ……?」楓馬が、急に真剣な顔つきになる。

「え?」

「『無ければ、創ればいい。それが高専生だ』と……」

「……そ、それは言ったけど?」

「と、いうことは……、女装する男子がいなければ、創り出せばいいだけ……そうじゃないかぁ?」


 一瞬で、理玖の表情から血の気が失せた。まさか、自分の発言がここで自らを窮地に追い込むとは、思いもしなかった。彼の脳裏に、「口は災いの元」という言葉が浮かぶ。


「理玖ぅ、そんなこと言ってたんだね……」緋香里が微笑む。今の理玖には、それが悪魔の微笑みのように見えた。もっとも、悪魔を見たことはないので、それは比喩である。「それじゃ、決まりだねー」


 だが、理玖にも反撃の余地はあった。


「……そ、そうだ! 3Cにも、女装する奴はいないんだろ?」理玖は楓馬に視線を向ける。「ならいっそ、楓馬も道連れに……」

「うっ」楓馬は、しまった、という顔になる。「い、いや、でも、俺はさぁ、似合わないと思うんだ、女装なんて。ほら、俺っち男らしいからぁ」

「逃げるなんて、男じゃない」

「に、逃げてないし!」

「高専生なら、創りだすことは得意だろう……?」もう、どうでもなれと思っているのが理玖には分かった。「さぁ、共に創ろう。女装男子という名の……新たな自分を!」

「くっ……」その言葉に、楓馬は少し揺らぎを見せる。「……〝共に〟ということは、理玖もやるんだなぁ?」

「……不本意だけど、そうするしかない」

「仕方ない……」楓馬は大きく息を吐いた。「桜ちゃん、ごめん……。兄貴は、変態になっちゃうみたいだよ」

「もう十分、変態だよ。今さら気にすることなんてない」

「よーし、決まりだね」緋香里は、手を叩いた。「んー、制服は、下だけ交換でいいかな。上はとくに変わらないし」

「……うん」理玖は、力なく頷いた。

「それじゃー、ちょっと待ってね」緋香里は、スカートのホックに手を掛ける。

「え?」理玖の目が開かれた。「今着てるのを渡すの? ここで?」

「うんー。それしかないんじゃない? 別に僕は、着替えなんて見られたって恥ずかしくないしさ。それに、剣道やってるときは、袴の下には何も穿いてないし。穿いてないのには慣れてるよ!」

「そうか……ってちょっと待った。今は、その、下は穿いてるんだな?」

「え? 穿いてるよ? ん? 何か期待したん?」

「……ただの確認だよ」

「ふぅん。ホントにそれだけかなぁ?」

「……何でもいいから、交換するだけしよう。……俺の気が変わらないうちに」

「はいはーい」


 緋香里は迷いのない動作でスカートを脱ぐ。彼女は黒のボクサーパンツを穿いていた。いかにも、緋香里らしい下着であると窺える。


「はい、これ」


 彼女はスカートを理玖に手渡した。理玖は、ベルトを緩めてズボンを少しだけ下げると、ズボンの上からスカートを履く。ホックを掛けるのに少し手間取ったが、それは緋香里が手伝ってくれた。


「……ズボン、脱ぎたくないなぁ……」理玖は()()る。

「交換なんだから、脱がなきゃダメっしょ?」

「……うん」


 理玖は、深く呼吸をすると、ズボンを下ろした。そして、脱いだばかりのものを緋香里に渡す。そのあと彼は、その場で足踏みをした。


「うわ……。股下が、すごくスースーする……。女子って、冬とか寒くないの……?」女性には冷え症が多いのに、露出が多い衣装を着るというのは矛盾している、と理玖は考える。しかし、夏は良さそうである。あまり蒸れなさそうだ。

「慣れだよ、慣れ」緋香里は、理玖のズボンを穿きながら言う。「何でも、慣れれば大丈夫なんだよ。でも、寒いときは寒いかな」

「おぉ、よく似合ってる」楓馬は茶化すように言った。

「……そういうの、冗談でもやめてくれ」

「写真撮っていい?」

「ばか、やめろ」

「んー、でもさ」緋香里は片目を細めた。「スカート穿いただけじゃ、なんか味気ないよね。ただの変態っぽい」

「あ、それなら……」愛梨は、教室の隅に置かれていたサイケデリックな色彩の紙袋を持ってきた。そこから、金色に染まった髪の束を取り出す。「ウィッグ、あるよ」

「おー!」緋香里は、愛梨からウィッグを受け取った。「……でも、なんで持ってるの?」

「もしかしたら、使うかな……なんて思って」

「さては……、そのつもりだったの?」

「まぁ……、最終手段として、みたいな?」

「そっか。でも、助かったよ。これで、もっと女装らしくなるね」緋香里は理玖の背後に回ると、ウィッグを頭に被せた。「よーし、これでおっけー」

「うわ。なんか、チクチクする……」理玖は金髪を弄る。

「リップもあるけど……塗っとこうか」愛梨は、紙袋から銀色の筒をちらつかせた。

「ならさー、この際、メイクしちゃう?」

「ちょっと待て! 俺はそこまでするとは言ってな――」

「まーいいじゃん!」緋香里は、理玖の言葉を遮る。「今日と明日だけだよ!」

「まったくよくない! って、明日もするのか!?」

「んー、ま、完成度にもよるかなー?」


 理玖は深い溜め息をついた。このような事態に陥ることを、数分まえの自分は予測できただろうか。いや、きっとできなかっただろう。未来を知ることは不可能である。時間は、過去に向かって流れない。


「理玖、そこまでやったんなら、行くとこまで行っちゃいなぁ」楓馬はまるで他人事のように言う。理玖は楓馬を睨みつけたが、それは躱されてしまった。

「じゃ、メイクは愛梨に任せるよ。綺麗にお化粧したげてね」

「任せて」愛梨は微笑んだ。「それじゃ勝占君、こっちでメイクするから」愛梨は、教室の隅へ歩きながら言う。理玖は、渋々と、彼女の後についた。


 窓際に置かれた椅子に、理玖は座った。


「ウィッグ、外しとくよ。邪魔になるし」愛梨の言葉のあと、頭部の重量が幾分か減った。


 愛梨は、ポーチを手にすると、中から化粧品をいろいろと取り出した。理玖の見たことがないものがたくさんあった。化粧など、未知の領域である。

 それから彼女は、理玖の顔に何かをし始めた。メーキャップをしているのは明確だが、一体何をしているのか、理玖には理解できなかった。同時に、不安にも襲われる。理髪店で散髪したあと、自分の髪型が変なものになっていないか、というようなものだ。理髪店は鏡があるだけマシではあるが、今はそれが無い。客観的に自分を分析してみることは可能だが、外見だけは、鏡や写真でも使わない限り、自分で見ることはできない。

 どれくらいの時が過ぎたのかは分からなかったが、急に愛梨の動きが止まった。そして、頭に何かが被さる。


「はい、もういいよ! これで確認してね」


 理玖はおそるおそる目を開けて、手渡された手鏡を見る。


 そこに映っていたのは、自分ではない、何か。髪型はカールした金髪に、肌は色白に、睫毛は長くなり(目は若干大きくなっている気がした)、唇は潤いを増している。だが、それは紛れもなく理玖自身であり、ほかの誰でもないはずだった。

 理玖は少しのあいだ、言葉を失っていた。記憶喪失ではない。


「案外女の子らしくなって、あたしもびっくりしてる」愛梨は化粧品をポーチに仕舞いながら言う。「なんだか、そういう素質ありそうだね」

「……そんな素質は要らなかったかな」理玖は、頬に指を滑らせて言う。愛梨のメーキャップ技術が高いせいだろう。理玖はそう思いたかった。

「おー、終わったー?」緋香里が寄ってくる。楓馬も一緒だった。

「……とりあえず」


 理玖は振り返る。同時に、「おぉ」という声が二人の口から洩れた。


「すごーい。本当に女の子みたーい! ミスコンにも出れそう!」緋香里は、わざとらしく口に手を当てる。少し小馬鹿にされているみたいで、理玖は不快だった。

「ほんとにねぇ」楓馬は、制服のポケットに手を突っ込んでいる。「なぁ、今度こそ、写真撮っていいよな? 別人みたいだし、誰も理玖だって分かりっこないよ」


 理玖は、もう一度、手鏡の中の自分を見た。たしかに、最初見ただけでは、誰であるのかというのを判別するのは難しいだろう。注意深く観察すれば、勘付くものもいるはずだが、観察させなければ、その可能性は十分に低いと言えた。


「いいけど……悪用だけはするなよ」それが理玖の答えだった。

「分かってるってぇ」楓馬はスマートフォンを取り出して、カメラのレンズを理玖に向ける。撮影音が鳴ったあと、楓馬は親指を立てた。「っしゃ、おっけぃ。ばっちり」

「じゃ、これ持って」椅子から立ち上がった理玖に、緋香里は四つ切の画用紙を渡した。画用紙には、カラフルな文字で「クレープ」と描かれ、種類と値段まで載っている。「んじゃ、いってらっしゃーい」

「はいはい……」


 浮かない返事をすると、軽くスカートを翻して、理玖は教室を出ていこうとする。楓馬も後についていくが、ドアに差し掛かったとき、「あ、理玖、ちょっと待って」と呼び止めた。


「何?」

「看板、貰ってくる」


 楓馬はクラスメイトの元へ駆けると、宣伝用に作られた看板を手渡されて戻ってきた。


「ごめんごめん、これでおっけぃ」

「……あとは、水本さんのところに制服を借りにいくだけだね」

「あぁ……」楓馬は口を少し曲げる。「俺も、やんなきゃいけないんだよなぁ」

「楓馬も、屈辱を味わうといいよ」そう吐き捨てて、理玖は教室から出る。


 楓馬は軽い溜め息をつくと、彼に続いた。






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