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アセンブル・ロジック ~高専祭殺人事件~  作者: 森鷹志
《第1章》 混沌の日常
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 午前九時になった。

 だからと言ってファンファーレが鳴るわけでもなく、高専祭「蒼華祭」は幕を開けた。

 校舎内では、有志による模擬店や、文化部の展示・発表がなされ、体育館では何か催し物が開催されているはずだ。

 それから数十分が過ぎるが、理玖たちのいる場所には人が来なかった。


「マジでやることなくなりそう……」そう言う楓馬は、スマートフォンを(いじ)っている。


 何かやっているじゃないか、と声を掛けたくなるが、言うほどのことでもないので理玖は黙っておいた。「沈黙は金」である。意味は違うだろう。


「なぁ……何か、面白いアプリとか知らない?」楓馬は、机の上にスマートフォンを置く。「最近、何やっても面白くないんだよねぇ」

「俺は、スマホでゲームとかしない質だからな」

「えー、なんでさ、それ、すっごい損してるんじゃない?」

「楓馬みたいにどうせ飽きるのなら、最初から入れないほうがマシだよ。アプリなんか入れたって、動作が重くなるだけ」

「あとで消せばいいだけじゃん」

「その手間が面倒くさい。無駄なエネルギーを食う」

「じゃ、暇なとき、どうすんのさぁ」

「考え事かな。といっても、妄想に近いか」

「なんだ? 幼女を襲う妄想かぁ?」

「そんな妄想をして何になるんだよ」理玖は言葉を尖らせた。

「『先生! 授業中に理玖君の理玖君が禍々しい仰角で機首を上げています!』ってなるかなぁ?」楓馬は笑う。


 理玖は鼻息を洩らした。どうも、高専生は下ネタが大好きなようだ。……理玖も例外ではないのだが。事実、高専生の会話に下ネタが入り混じるのは日常茶飯事である。


「……それはそうと」理玖は話題の転換を図った。「アプリじゃないけど、すごく面白いものなら知ってるよ」

「おっ、それ聞きたいなぁ。何なに?」

「『学問』だよ」

「は? ガクモン? なんだそれ、ポ●モン?」

「終わりの見えない……、いや、終わりの無い冒険で、新しいことに触れ、新たな発見があり、謎解きがあり、苦悩があり……面白いと思うよ」

「……ん、もしかして、それって学問? 勉強するやつ?」

「それ以外に無いんじゃないかな?」

「あぁ……冗談としては面白いと思うぜ! 寒いけどな!」楓馬はグッと親指を立てる。

「それ、褒め言葉として預かるよ」


 こういうことを言ってしまうあたり、自分も変人の(たぐい)なのだ、と理玖は強く感じた。

 少しして、楓馬はスマートフォンをポケットに戻した。本当に何もすることがなくなったようだ。


「ひまぁ」そう呟くと、楓馬は椅子の背もたれに躰を預け、天井を仰ぎ見た。「寮でマンガ読んでるほうがよかったかな……」

「こういうとき、寮はいいよね。普段は時間に縛られた生活なのに」


 学生寮があるのも、高専の特徴の一つだ。高専には、県下のみならず、全国の中学生なら誰でもどこの高専へでも入学できるため、学生寮が設置されている。学寮では、寮生たちが勉学や寝食を共にし、楽しく(?)過ごしている。

 理玖も一、二年生のあいだは寮生だったが、今年から通生(通学生)になった。楓馬は、現在でも寮生だ。


「でもまぁ……向こうにいるとさ、こっちに来たくなっちゃうわけだし、どっちもどっちなんだよねぇ」楓馬は大きな欠伸をした。

「外は雨だし、無理に動くよりは、ここを動かないほうがいいかもしれないね」

「でも……、暇なんだよねぇ」

「誰も来ないんなら、ここにいる必要性は無いかな」

「そうそう。切り株に突っ込んでくるウサギもいないわけだし、別にいいよなぁ、ここにいなくても」楓馬は躰を捻って、彼のクラスメイトの方へ向いた。「なぁ、俺、帰ってもいい?」

「駄目」その中の、一人の女学生が言う。「まだ半時間も経ってないし、座ってるだけまだマシじゃん。文句垂れてる暇があったら宣伝でもしてきてよ」

「うへぇ、怒られた」楓馬は向き直ると、唇の隙間から舌をちょろっと覗かせた。「はぁ、まったく……これ以上どうしろっていうんだよぉ」

「有り余る時間を有意義に使う方法を考えればいいよ」理玖は、目の前の机に肘をついた。「思考することができるのは、人間に与えられた特権だし、使わない手は無いんじゃないかな」

「あぁ……」楓馬は呆けたような顔をする。考えることなど()うの昔にやめたというような顔だ。


 これ以上話すこともないので、理玖は息を吐いて、頬杖をついた。そのとき、


「おはよう」


 通るような声がして、3C(建設工学科三年の略称)に割り当てられた教室の入り口から、男子学生が入ってきた。整った顔立ちで、この高専の中での顔面偏差値は高い(比べる対象の数値が低いだけなのかもしれないが、そうではないと信じたい)。

 女子の挨拶を潜り抜け、その男子学生は楓馬に近づく。


「おはよう、鎗戸、勝占」

「あぁ、(しち)(じょう)か」楓馬は横目で彼を見る。

「……よっ」理玖は軽く手を上げた。

「今年も雨だな……参っちゃうよ」七條は持っていた紙袋を足元に置いた。そして、楓馬の隣の椅子に座る。「雨の日は髪が湿ってなかなか纏まらないしね」

「ふーん……」楓馬はぼうっとしている。

「なぁ勝占。一体どうしたんだ、鎗戸」七條は、わずかに眉を寄せた。

「暇してるからね」

「ふうん……」七條は、楓馬の顔を覗き見る。彼の眼は、死んだ魚のようだった。「……なら、僕はここにいるから、君は校内をふらついてきたらいいよ」

「……ふぁ?」楓馬はだらしなく口を開けた。

「昼くらいまでなら、ゆっくりしてきてもいいよ」七條は微笑む。「ここは任せて」

「い、いいのか? じゃ、遠慮なくそうさせてもらおっかなぁ」楓馬は急に笑顔になる。そして、理玖に顔を向けた。「理玖も一緒に行かない? 一人で回っても寂しいだけだしさぁ」

「そうだね」理玖は頷いてから、緋香里のいる方を窺った。彼女は、ホットプレートの前で生地とにらめっこをしている。「緋香里さん、俺も席を外していいかな?」

「ん?」彼女は顔を上げた。「あー……、別にいいんじゃないかな?」


 そう言って緋香里は、隣にいる男子学生と女子学生を見る。


「うん、ここは三人で大丈夫そうだよー」

「それじゃ、要らない子認定ってことで、受け取っておこう」

「あ。でも、昼くらいには戻ってきてねー」

「……了解」理玖は楓馬の方を見る。「と、いうことだよ」

「うーしっ」


 二人は椅子から立ち上がると、教室から廊下へ出た。


「あっ」廊下に出てすぐ、楓馬は顔だけ振り返る。「傘、要らないよな」

「校内を回るだけなら、要らない。それに、多少濡れたって溶けるわけじゃない」

「溶けたら、それはそれで困るな」楓馬は歯を見せて笑った。「俺たちアイスクリームかよ、ってな」

「うん……どちらかというと、トイレットペーパーじゃないかな?」

「……まぁ、なんでもいいんじゃないの」


 意味のない会話を交わして、二人は廊下を歩く。やはり、人通りは少なく(いるのは学生くらい)、廊下は四人くらいが並んで通れるほどの幅なので、とても広く感じられた。百本ピンのボウリングができそうなくらいだ。


「七條ってさ……」下りの階段に差し掛かった辺りで、楓馬が口をきいた。「成績良いし、顔もいいし、運動もできていいよなぁ。存在自体が嫌味みたいだねぇ」

「うん、文武両道だね。おまけに、彼女もいる」

「どれか一つくらい、俺にくれたっていいのにさぁ」

「うーん……、天は二物を与えずって言うけど、与えられなかった一つは他の誰かに行ってるってことかな。天は人の上に人を作っているわけだ。そうなれば、必然的に人の下に人はできる」

「はぁ……神様って不公平だねぇ。ま、俺は桜ちゃんがいてくれるだけでいいんだけどっ」

「うん……、でも、本当は二物を与えられていて、自分がその能力や才能を理解、認識できていないだけに過ぎないんだと、俺は思う。もしかしたら、天は三物以上を俺たちに与えているのかもしれない。皆、それに気付いていないだけなんだ」

 楓馬は、目を少し丸くさせて理玖を見た。「理玖って……ポジティブだよなぁ」

「いや、俺はどちらかといえばネガティブだと思うんだけど。でも、楓馬にそう指摘されるってことは、自分のことを全く理解できていない、あるいは自分を自分だと認識できていないということになるね。これが自我の崩壊っていうのかな」

「……そこまでいくと、俺にはよく分からん。理玖にはついていけない」

「別に、ついて来させようとはしていないし、ついてくる必要はないと思うよ。これは無駄な議論だし、する必要はなかった。でも、暇潰しにはなったんじゃないかな。楽しい会話って、時間を忘れさせてくれるから」

「うん……、まぁ、楽しくないことはないかなぁ」


 いつの間にか、二人は一階の床を踏んでいた。

 一階の廊下には、高専生の友人である大人や高校生、中学生(と思わしき生徒)、子連れの母親などの姿が見えた。雨だというのに、ある程度の人数が訪れていて驚きだった。

 高専祭では、模擬店以外にも、各学科による専門の展示や文化部による展示があり、その中には、子どもが興味を引きそうなものも多々ある。例えば、情報工学科のゲーム展示などがそうだろう。ほかにも、文化部、とくに工業高専ならではの部「ロボット研究部」には中学生は興味津々だろう。その「ロボ研」が作成したロボットは、「高専ロボコン(ロボットコンテスト)」で活躍を見せてくれる。そのほか、「落語研究会」――通称「(おち)(けん)」や「レゴ研究会」など、高専には多様で希少な文化部が揃っている。


「さて、どこから回る?」楓馬が問う。

「まずはパンフレットを貰いにいこうか。ただうろつくよりは、計画的に回ったほうがエネルギー・ロス……いや、時間のロスが少ないよ」

「うーん、じゃ、理玖の言う通りにするか」


 高専祭の概要などを記したパンフレットを配布しているのは、北側の校舎、学生用の玄関だ。現在位置から、南北に通じる廊下を北に進めば、そこに行き当たる。

 二人が進もうとしたそのとき、


「お、鎗戸じゃん」


 背後から、楓馬の苗字を呼ぶ野太い声がした。

 振り返ると、体格のいい男が片手を上げて二人に近付いてくる。背の高い男も一緒だった。


「あれ?」楓馬の目が開かれる。「()(うら)()()じゃんか」


 体格のいいほうが美浦(たく)()、背の高いほうが三瀬(たか)(ひろ)だ。美浦は柔道部、三瀬は陸上部でやり投げの選手であると、理玖は記憶している。そして二人とも、建設工学科三年の学生、すなわち楓馬のクラスメイトである。


「二人とも、来ないんじゃなかったの?」楓馬が訊いた。

「誰がそんなことを言ったんだ?」低い声で美浦が答える。「模擬店の手伝いはしねぇとは言ったけど、高専祭にこねぇとは一言も言ってねぇよ」

「……じゃあ、何のために? わざわざ雨の中、来なくたっていいんじゃないの?」

「そんなの、可愛い子を探すために決まってるだろ。他校の女子と触れ合える機会なんて、滅多に無いんだぜぇ? この機会をみすみす逃してられっかよ」


 たしかに、高専における女子の数は少ない(しかし、完全に男子だけという環境ではない。ここが、多くの工業高校と一線を引く部分である。だが、一般の高校と比べれば、女子の絶対数は明らかに少ない)。ゆえに、飢える男子も多いのだろう。「高専病」というのは、そういった環境から発生する。高専病というのは、高専という特殊な環境に(さら)された男子が、どんな女子でも可愛く見えてしまうという怪奇現象である。ちなみに、重度の患者である場合、男子も可愛く見えてくるという……。


「……でも、同期は皆、大学受験前で忙しいだろうしさぁ、こんな文化祭、来ないんじゃないの?」楓馬は少し眉をひそめる。

「ばぁか」美浦は口を大きく開けた。「誰も同期だけとは言ってねぇんだよ。年下とかいるだろ? そいつらを狙うんだ」

「あぁ……そうか」楓馬は小刻みに頷く。「で、三瀬もそうなの?」

「まぁ……、オレもそんなとこかな」三瀬は淡々と答える。


 そんなに女が見たいなら、男の多い高専じゃなくて普通科の高校にでも進学していればよかったんじゃないか、と理玖は考える。そして、高専にいるほとんどの学生が、何の目的もなく、ただ就職率が良いというだけの理由でここに入学してきているんだろうな……、と彼は同時に思った。


「で、楓馬たちはこんなところで何を?」三瀬が訊いてくる。

「いやぁ、さっきまで模擬店にいたんだけど……誰も来る気配がなかったから、適当に校内を散策しようと思ってさぁ」

「おう? なら、俺らと一緒にいねぇか?」美浦はにやつく。「俺らとなら、可愛い子、ゲットできるぜ?」

「俺は遠慮しとくよ。なぁ、理玖もだろ?」

「うん」理玖は相槌を打つ。無駄に動きたくはないという意思の表れである。

「なんだ? お前ら、女に興味ねぇのか?」美浦が眉に(しわ)を寄せる。怒ったような顔の美浦は怖い。子どもが見たら、鬼と間違えて泣き出してしまうのではないだろうかというくらいだ。

「まさか、お前ら付き合ってるのか?」三瀬は片方の眉を吊り上げる。

「おいおい、お前らゲイだったのかよ……」美浦は少し面食らったような表情になる。「そりゃ失礼したなぁ。でも、俺らと一緒に回ればもっとイイ男が見つかるかもしれねぇぜ?」

「はぁっ!? そりゃない!」


 楓馬が物凄い剣幕で反論する。


「俺が愛するのは妹だけだ!」


 彼がそう叫んだ瞬間、場の空気が凍りついた。それは、まるで時が止まったかのようであった。だが、実際に止まったのは「時間」ではなく「動き」である。

 周りにあった複数の視線が、彼らを捉える。俗に言う、「痛い視線」で見つめられている。


「あぁ……そういや、そうだったか」美浦の声が一段と低くなった。「そりゃ……すまん、その……まぁ、頑張れ」

「お幸せに」三瀬がそう言い残して、美浦と三瀬は、申し訳なさそうにその場を立ち去った。

「ったくぅ……」今度は、楓馬が眉間に皺を寄せている。美浦たちの発言が、彼の逆鱗に触れたのだろう。もっとも、人間に鱗は生えていない。

「高専の中心で妹への愛を叫ぶ、クリスマスに公開決定」理玖がぼそっと呟いた。

「何か言った?」

「いや、別に」

「そう……」

「でも、高専生にその気がある奴が多いのは事実だから、そう思われるのも仕方なさそうだね」

「……もうその話題はいいから、早く行こうぜ」


 楓馬が歩き出したので、理玖も彼を追った。




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