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アセンブル・ロジック ~高専祭殺人事件~  作者: 森鷹志
《第1章》 混沌の日常
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 サンプルの提出を終えて、理玖が教室に戻ってきたとき、クレープ生地の焼ける良い香りが漂ってきていた。果たして、こんな朝早くから甘ったるいものを食べるという人間がいるのかどうか(はなは)だ疑問ではあったが、それは脳の中に仕舞っておいて、理玖は口には出さないことにする。「口は災いの元」だ。


「サンプル、出してきたよ」


 理玖は、生地焼き作業をしている緋香里の背中から声をかける。


「あぁ、お疲れーっす」


 緋香里は振り向きもせずに軽い返事をする。彼女は今、ただ淡々とクレープの生地を焼き上げているところだ。


「……で、俺はこれから何をすればいいわけ?」

「そだねー、理玖は接客かな。注文とって、代金を受け取って、出来上がったクレープを渡してくれればそんでOK」

「あー……、うん、了解した」


 そう言って理玖は、窓際に設置された椅子に腰を下ろした。窓枠からは窓ガラスが取り外されていて、ここで商品や代金の受け渡しをするようになっている。

 理玖が、目の前にある机に肘をつこうと思ったとき、


「おっ、理玖も店番か」


 聞き慣れた声が、隣から伝わってきた。その方向に視線を向けると、そこには、細い目をさらに細くして、にやついた顔を理玖に向ける(やり)()(ふう)()がいた。彼は、建設工学科の三年生である。


 建設工学科三年の模擬店は、機械工学科三年の模擬店のすぐ隣にある。一つの教室を二つに分けて使用していて、とくに仕切りも無いので、二つの模擬店の行き来は自由だ。


「〝も〟ってことは……、楓馬も店番?」

「うん。いちばん楽そうな仕事だし」

「まぁ……、この場所なら、そうだろうね」

「んで、この雨じゃあ客足は望めないだろうしぃ」楓馬は、頭の後ろで手を組んだ。

「天候を制御できる技術が確立されればいいんだ」理玖は唐突に言う。「そうすれば、晴れさせたい日に晴れさせることができるし、雨を降らせたいときに降らせることだってできる。それに、干ばつの地域に雨を降らせることだってできるし、最近多くなってきた洪水被害を防ぐこともできる。これって、神の所業とも呼べる技術じゃないか?」

「まぁ、そりゃそうだろうけどさぁ……」楓馬は少し苦い顔をする。「でも、そうなると問題だってたくさん出てくるんじゃない? 水の取り合いとか……ほかにも、いろいろと」

「たしかにそうだね」理玖は顎に指を当てた。「……でも、そういう問題の大半は、『人間』が作り出しているのであって、『技術』が作り出しているものじゃないんだよね。原子力が良い例だよ。現代文明の基盤になっている電気エネルギーを生み出すことができる反面、使いようによっては大量殺人兵器になる。だから、科学技術がどれだけ発達しようとも、人間の精神が未発達だから、問題が起こる。人間の愚かさって致命的だね」

「あぁ、うん、たしかに……人間は賢いけど、それを凌駕(りょうが)するほど愚かだねぇ」

「人類が滅べば、地球は喜ぶだろうな……」理玖は少しだけ口元を上げた。「楓馬、地球のために死んでみないか?」

「な、何をいきなり……。俺は、まだまだ死にたくないよ」

「ふっ」理玖は鼻を鳴らす。「まぁ、普通ならそう言うだろうね」

「なんだよぉ。理玖は死にたいの?」

「誰もそんなこと言ってない。それに、俺たち二人が死んだところで、地球が救われるとは思えないし、歴史に影響を与えることなんて、まず無いから」

「そうだよなぁ、俺たちちっぽけな存在だもんなぁ。考えたら、人間も小さい生物だよ。いつかは必ず滅びるんだろうなぁ……」

「人間は、種として存続するために、地球を脱出しようと試み、宇宙を目指す。これは、予めプログラムされていることだ……っていうのを誰かが言ってた気がする」

「宇宙、ねぇ……」楓馬は鼻息を洩らした。「でも、宇宙に自由に行けるような時代なんてまだまだ先のことだし、俺は地上に這いつくばって生きるアメーバみたいな存在のままでいいよ」

「俺は行ってみたいかな、宇宙。未知に溢れる空間……」


 理玖の脳内に、未来予想図が映る。

 空港では、宇宙行きの航空機が離着陸を繰り返し、人類の活動領域は地球を、太陽系を飛び出し、遥か宇宙の彼方へ……。

 SF小説や映画で見るような、そんな世界が広がっているのではないだろうか。

 数十年で、そこまでいくとは到底思えない。しかし、今日の科学技術の発展には、目を見張るものがある。昨日まで無かったものが生み出され、今日できなかったことが、明日にはできるようになる。

 まさに、日進月歩。

 その速度は凄まじく、また変化が激しい。

 人は、止まることを知らない。

 ならば、人はどこまで行くのか。

 探究心の続く先には何があり、人は何を見るのか。

 人類の最終目標は、一体何なのか……?


「理玖?」


 その声が、思考を遮った。


「どした?」楓馬が訊いてくる。

「いや……、何でもないよ」

「理玖ワールドに入ってたのか?」

「んー……まぁ、そんなところかな」


 理玖が答えると、楓馬は「そうか」とだけ言った。


 こういうことを考え始めると、切りがない。一貫性の無いものもあるが、別に、人に説明しているわけでもないし、その点を考えれば、思考というのは自由である。ただ、それを言葉や文章にすれば、弊害が現れる。自分自身という狭い領域から広い世界へ飛び出すことで、他人に干渉するためだ。過干渉は、あらぬ結果を生む。「触らぬ神に祟りなし」とはよく言ったものだ。というより、先ほどの些細な会話からなぜこのような話になるのか。

 理玖は、左腕に()めた腕時計を見る。デジタル表示された数字は、八時五十六分二十四秒を示していた。電波時計の指し示すこの時刻に、狂いはほぼ無いだろう。また、模擬店で販売が行えるのは、九時からになっていた。販売開始まで、あと三分半ほどだ。


「でも……こんなに朝早くから来る人なんて、いるのかねぇ」楓馬が言った。

「ま、そこそこの人数は来るんじゃないかな。高専の雰囲気を知りたい中学生とかが来るだろう」

「中学生……かぁ」

「まぁ、俺たちは高専を強くお勧めしないけど。英語で言えば、You mustn’t enter this National Institute of Technology. ……いや、You had better not enter this school.のほうがいいかな?」

「やめろよ、英語なんて聞きたくない」楓馬は耳を塞ぐフリをする。

「変人の巣窟(そうくつ)だから、一般人は来ないほうがいい、っていう忠告を言いたいわけだよ」

「……あれ? 俺も変人なの?」

「もちろん」理玖は即答する。

「どこが変なんだよ? 俺は普通の高専生だぜ」楓馬は、ブレザーの制服のポケットからスマートフォンを取り出すと、電源を入れて画面を表示させた。そして、溜め息をつく。「……連絡、来てないかぁ」

「連絡?」

「そそ、(さくら)ちゃんから♡」楓馬は片目を瞑った。


 桜とは、楓馬の彼女ではない。断じてない。ありえない。光より速く移動する物質が発見されるくらい、ありえない。

 高専生に恋人がいることなどまずありえないと言っていいだろう(しかし、ほとんどの現象に対して例外というものが存在するように、付き合っている者は少なからず存在する)。そんな、ライトノベルのような()()色の青春など、高専生には無縁、皆無である(しかし、例外が少なからず存在することを忘れてはならない)。


「それでさ、桜ちゃんに連絡したんだけど、返事が来ないんだよなぁ。既読はついてるんだけど」

「既読無視ね。……ちなみに、何て送ったの?」

「えぇと……。『桜ちゃんへ。高専の文化祭に来てくれたら嬉しいな♡』」

「あれ、割と普通の文面……。でも、ハートは要らないと思う」

「んで、俺の自撮り写メも送って、『桜ちゃん、愛してるよ』ってつけ足しといたんだけど」

「そりゃ無視るわ! 俺なら、即座にブロックキめてるね」

「な、なんでだよ!? 昔は、『お兄ちゃん大好き』って言ってくれていた愛しの妹、桜ちゃんだぞ!? 兄貴からの精一杯の愛情に、どうして応じてくれない!? まさか、男か!? 男ができたのかぁ!?」

「あほ! 年頃の女子ならそういう反応するだろ普通!」

「え……。そ、そうなの?」


 楓馬は、とぼけた顔をする。これが演技などではなく、素の反応であるということは理玖が一番よく知っている(と彼が思っているだけだが)。

 しかし、(楓馬のシスコンぶりは前々から重々承知していたけど、まさか、これまでとは……)と、さすがの理玖も呆れざるを得なかった。


「あぁ、桜ちゃん……、あの頃の可愛かった……いや、今でも十分に可愛い桜ちゃんは、一体どこに行ってしまったの……?」

「楓馬……、落ち着けよ」半ば投げやりな口調で言う。こうなるとどうしようもないことは、知っている。

「落ち着いていられるか! 桜ちゃんがどこぞの変態に(なぶ)られているかと思うと、いてもたってもいられないんだよ!」


 クラスメイトのいる前でこのような会話を展開していれば、好奇の目で見られるのは間違いないだろう。しかし、ここは、高専なのだ。世間一般とは、「変」の定義が異なる。おそらく、普通校なら「変人」だと思われるような人物が「常人」扱いされやすい。それほど変人揃いな学校なのである(しかし、変人であっても変人扱いされることは必ずある。現に、楓馬のクラスメイトから変な視線が飛んできているのだが、そのことに彼らは気付いていない)。


「どこぞの変態って……、それは、楓馬自身のことかな?」

「違う! 俺は、ただ純粋に女子中学生(JC)である妹を愛しているに過ぎないんだ!」


 まったくどこが純粋なのか。理玖には理解できない。しかし、七十億の人間がいれば、楓馬のような人間は存在するはずなのだ。巡り会う確率もゼロではない。ただ、高専だと、それは天文学的確率でなくなるらしい。


「桜ちゃんに会えることだけが唯一の楽しみなのに!」なおも楓馬の興奮は、収束の兆しを見せない。

「……そんなんで、家族会議になったりしないの?」

「なりかけたことはある!」

「……そうか」表面上は平静を装っていても、心の中では「あるのかよ!」突っ込んでいる理玖である。

「まぁ、気をつけろよ」

「うん……さすがに、『一緒にお風呂入ろう』はマズかったのかもしれないなぁ。今度からは、着替えを覗き見るだけに止まっておくよ」


 今日は、何かと新事実が発覚する日である。見つかったのが新しい天体ならば、自分の名前がつけられるのにな……、など思考のベクトルを真逆に転換し、理玖は、突っ込みを声に出したくなる自分を抑えた。






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