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つぅ、と血が滴る。それは、雨と混ざっていくらか希釈された。
「……!」
刃は、琴葉の首を掻っ切らなかった。
「……勝……占……くん……」
彼女の口から、小さな声が零れる。
「自殺なんて変なことを考えるな。君の命は誰かの命と等価じゃないんだ」
カッターの刃を強く掴んだ理玖の右手は、まるで赤い絵の具に塗れたようになっていた。
「確保しろ!」
その掛け声で、一斉に刑事が動き出す。
琴葉は力なくその場に膝を落とし、刑事に囲まれてあっという間に無力化された。
「――!」
琴葉は、狂ったように泣き声を上げる。その一方で、
「ってぇ……」
右手を押えて、理玖はうずくまった。彼のそばに、カッターナイフがぽとっと落ちる。
「理玖!」
「大丈夫!?」
楓馬と緋香里が彼へ駆け寄った。緋香里は傘を傾けて理玖の上にかざした。
「……ちょっと切っただけだと思う」
「でも、血が……」
「俺のポケットにハンカチが入ってるから、それを出して」
理玖は冷静な顔つきで楓馬に指示を出した。楓馬はハンカチを探り当てると、右手を押さえたままの理玖にそれを渡した。
「なんであんな無茶なことしたん?」緋香里が訊いた。
「知らない。躰が勝手に動いてた」理玖はハンカチで傷を押さえながら言う。「ま……自分勝手な行動で自らの命をも奪おうとするのが許せなかったんだと思う」
「大丈夫か?」勝占警部が理玖に声を掛けた。怒りがわずかに顔から滲んでいた。「危ないことをしやがって……。今回は手だけで済んだが、刺されていたらどうするんだ。弟に合わせる顔がなくなるところだったんだぞ、まったく……」
「すみません、伯父さん」
「……まぁ、いい、無事ならな。いや、勇気ある行動を誉めるべきなのかもしれない。我々はとっさに動けなかったからな」伯父の顔に笑みが現れる。「早く保健室へ行ってこい。あとは我々が処理する。お疲れだった。礼を言う、ありがとう」
理玖は立ち上がると、楓馬と緋香里に連れられるようにして保健室に向かった。同時に、琴葉がやつれたような顔で連行されていった。
*
「いてて……」
保健室で、理玖は頭からタオルを被った状態で手当てを受けていた。
「はーい、OKよ」女性の養護教諭は理玖の腕をぽんと叩いた。そして、心配そうな目で理玖を見つめる。「テストまえなのに……こんな怪我して大丈夫なのかしら?」
彼の右手は包帯でぐるぐる巻きにされている。指がかろうじて動かせる状況だ。
「そうだぜ理玖」濡れた頭をタオルでくしゃくしゃと拭きながら楓馬が言った。「ペンは握れそうか?」
「左手で書けば問題ないよ。字は下手になるけどね」
「でもそれで、いつものパフォーマンス出せんのかぁ?」
「どうかな……。最悪、緋香里と一緒に留年するかも」
「なんで僕が留年するん前提なん!?」
「だって今のままじゃ……ね」
「ふーんだ」緋香里は中指を立てる。「フル単で進級してやんよ!」
「じゃ、頑張って。分からないところも自分でクリアしてくれな」
「あぁ! ちょっと待って! 今のなし! 友達でしょ? 助け合わなきゃ!」
「助けてもらった記憶はないんだけどな……」
「さっき濡れないように傘差してあげてたじゃん!」
「ああ、そうなの? 知らなかった」
「僕は優しいからねー」
「それを自分で言う人は信用ならない」
さっきまでの殺伐とした空気が嘘みたいな雰囲気だ。わさわさと会話する彼らを横目に、「ちょっとうるさいわよ、あなたたち」養護教諭が尖った口調で言った。「仲がいいのはいいけどね。ほら、早く帰ってお勉強しなさい」
すみません、と言って彼らは逃げるように保健室を後にした。
「でも、さっきは迫真の演技だったよ。楓馬」
保健室のある建物から出て傘を開くと同時に、理玖が言った。
「お? そうかぁ?」
「嫌味な奴をよく演じきった」
「照れるなぁ……って照れていいのか? これ」
「事前の打ち合わせもそんなにしなかったのに、上手くいったほうだと思う」
昨日、理玖は平島琴葉に例のメッセージを送ると同時に、楓馬、緋香里、伯父にもメッセージを送信していた。犯人が分かったこと、集合する場所と時間。楓馬については、若干の演技をしてもらうということで打ち合わせをしていた。
「でも、驚くべきは彼女の演技力だね」と理玖。
「あぁ、ホントになぁ……」と楓馬。「ってことは、あれもウソ泣きだったってことか」
「あのときのアレだね」理玖は、楓馬が七條の死を平島に告げたときのことを思い出す。「当然、そうなる。でも、よくよく考えてみると、あの状況ですぐに泣きだすっていうのも違和感があるかな。まるで泣く準備をしてたみたいだった」
「それでもすげぇよ。人を二人も殺しておいて、今までボロを出さずに平然と振る舞ってたんだもんなぁ。あいつ、いい女優になれるぜ……もう無理だろうけど。それと、理玖もすげぇよ。……いろんな意味で」
「その〝いろんな〟が気になるけど、今は訊かないでおこうかな」
「でも、どうして平島さんが犯人だって分かったん?」緋香里が訊いた。
「あぁ」理玖が応じる。「彼女に質問をしに行ったとき、『二人を殺した犯人を突き止めてくれ』って言ってたんだ。その言葉に違和感を覚えたからかな」
「?」
「犯人が一人だってことを知らないと、普通は『二人を殺した犯人』なんて言わないよね。だから、そこで彼女を疑ったんだ。あとはいろいろ考えて、彼女が犯人だっていうことに辿り着いた」
「……あー、なるほど。でも、よく気付いたねー」
「小さな異変に気付くことって大事なことだよ」理玖はまっすぐと前を向いて言う。「でも、それだけじゃダメで、もっと重要なのはそれについて考えること。そして、答えを出すんだ。自分のために」




