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その日の放課後、建設棟二階にある建設工学科三年の教室に、理玖と緋香里はいた。
楓馬はブレザーの制服を脱いだ姿で、教室の中ほどで友人たちと会話をしていた。かなり盛り上がっている様子だ。二人はそこまで近づくと、楓馬に声をかけた。彼は振り返ると、少し驚いたような顔になった。
「お、どしたの? 仲良しカップルでお目見えてさ」
「カップル?」理玖は訊き返す。
「え、違うの?」
「……断じて違う」
理玖は呆れたように言葉を返した。緋香里はとくに顔色一つ変えていない様子だ。
少しのあいだだけ楓馬はにやつくと、「で、俺に何の用?」と訊く。
「ちょっと話があるから、廊下まで来てくれないかな」
楓馬は黙ったまま、友人たちの方をわずかに見た。「ここじゃダメなのか?」
「プライベートな内容だから」と理玖は嘘をつく。
「ん?……おい、俺にそんな趣味はないぞ!」
「いや、そういうんじゃない」真顔で言う。
「あ、はい」
本気の口調にただならぬ気配を感じて、楓馬は椅子から腰を上げると、理玖と緋香里についていった。
廊下まで楓馬を連れ出すと、理玖は、今朝の緋香里との会話の内容を楓馬に手短に伝えた。理玖が伯父に情報収集を頼まれたこと、犯人がこの学校の学生である可能性が高いこと。そして最後に、建設工学科三年の人間について、とくに文化祭に来ていた人物の情報を集めてほしいと伝えた。
「え? なんで?」楓馬は眉をひそめて訊いた。
「このクラスの中に犯人がいるって断定してるわけじゃないけど」理玖は声を小さくする。「被害者の関係性を考えると、3Cが最も怪しいからだよ」
「うん? 言われてみれば、そうだな……」
七條は3Cの学生だったし、殺された教員、利根田もこのクラスの授業を受け持っていた(さらには副担任だった)。これは、関係性がないわけがない。
「じゃ、お願いできる?」
「それは別にいいけどさ、まさか、タダでとは言わないよなぁ?」
楓馬は悪い笑みを見せつける。だが、理玖は表情を変えることなく、「そのまさかだよ」と言った。
「……ちぇ。なんだよ、タダ働きかよ」
「そんなにケチケチしなくてもいいんじゃないの?」緋香里が口を出す。
「ジュースの二、三本くらいはおごるよ」
「もっとおごってくれたっていいんだぜ? なんなら焼肉でも……」楓馬は口角を吊り上げたが、理玖が目立った反応を示さないので、元の表情に戻した。「……ま、協力するよ。俺だって、いつ殺されるのかと肝を冷やしてるからなぁ」
「楓馬は心配ないはずだよ。じゃ、頼んだ。報告は来週にでも聞くから。……くれぐれも、怪しまれないように」
「任せとけ」
指をパチンと鳴らすと、楓馬は足早に教室に戻っていった。そして、会話の輪の中へ再び溶け込む。とくに情報を引き出そうとしている気配はない。それもそうだ。いきなり会話の内容を変えれば怪しまれるに違いない。その辺を彼はわきまえているようだ。
「よし。あとは楓馬に任せておけば大丈夫そうだ」
3Mの教室へ戻るべく、理玖は元来た道を辿り始めた。緋香里がその隣についていく。
「でもなんか、パシリみたい」
「そうかもしれないけど、俺が情報を集めようとしても無駄だよ。学科が違うと知らない奴が多いし、何か聞いたところで得られるものは少ない」
「あー、そゆことね。なら納得ぅ」
クラス替えが無い高専では、部活動をしていたり学生寮に入ったりしていなければ、同じ学年でも大半の学生と接点を持つことなく卒業を迎えることになる。ただ、顔ぶれが変わらず学年が上がるので、同じ学科の学生とはとても仲良くなれる(逆を言えば、仲違いしてしまった場合、とてもつらい時間を過ごすことになる)。
「……あとは、事件の内容について伯父さんから情報を集めるだけだな」
「それって、どんな情報?」
「現場の状況、被害者の死因、使われた凶器……とかかな。あと、証拠品とか」
「ふんふん。なんか本格的だね~」
「どうせなら徹底的に、だよ。中途半端な情報じゃ中途半端な解しか得られないからね」
「でさ、僕は何かすることあんの?」緋香里は胸の前で手を組む。
「情報収集かな。とくに先生からの」
「せんせー?」
「いろんな先生と仲いいだろ? レポートの期限を極限まで粘りに行ったりしてるし」
「え。まぁ、そうだけど……」
「だから、適役だと思うよ」
「……ん。じゃ、やってみる」緋香里は納得しない表情を浮かべながらも、わずかにうなずいた。「だから、僕にも何かおごってね」
「そうだね。力学の問題集でも買ってあげるよ」
「うぇぇ……」
「そんな、ゴキブリを噛み潰したような顔しなくてもいいんじゃない」
「げぇぇ……」
「でも、ゴキブリってエビの尻尾と同じ味がするらしいから、そんな顔にはならないか」
「……なんでそんなん知ってるん? ドン引きなんだけど」
意味もなく駄弁りながら、二人は教室に帰ってきた。教室に学生はほとんどいない。大半が部活動に行ったか、それ以外で寮生なら寮に帰ってベッドに寝転びながらスマホゲームをしているか、通生なら売店や図書館に行っているかだ。放課後に教室に残っている学生といえば、提出期限の近いレポートを仕上げている者がたいていだ。
「じゃ、僕は剣道あるから」緋香里は机の横に提げてあったリュックを持って、教室から出ていく。「じゃあね~」
「うん。じゃ」
理玖は鞄を持つと、教室を出て、校門の方へ向かい、駅まで歩いた。
いつも、このルーティンの繰り返し。しかし、同じように見える風景の中にも微小な変化はある。
ほとんどの人間は……、それに気付くことがない。




