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アセンブル・ロジック ~高専祭殺人事件~  作者: 森鷹志
《第1章》 混沌の日常
11/36

 午後五時になった。

『蛍の光』が校舎内に流れるでもなく、「蒼華祭」の一日目は幕を閉じた。

 来校者のほとんどは帰路についており、校内に残っているのは、ほとんどが学生だった。ほかにいるとすれば、各々の部屋に籠っている教職員くらいである。

 既に閉店となった3Mの模擬店には、模擬店担当のメンバーが集まっていた。教室でクレープ生地を焼くのを担当していた落雷緋香里、滝愛梨、()()(りゅう)()、販売と宣伝を行った勝占理玖、そして、調理用の教室で生地の下準備をしていた(あさ)()()()()(しげ)()(まさる)が加わった、計六人である。

 バイトや自動車免許の教習に向かう学生、部活動の模擬店のほうに出る学生もいるので、3Mの模擬店を担当できる学生はかなり少なくなっていた。しかし、これといった問題も起こらなかったので、少人数でも大丈夫だということが証明された。人通りの多い場所に模擬店があったなら、もう少し人員を投入する必要があっただろう。


「みんな、おつかれーっす!」緋香里は、明るい声を上げた。

「お疲れさま」「お疲れー」「お疲れっす」


 彼女の周りに集う学生たちが、(いたわ)りの言葉を次々と口にする。


「そうだ愛梨、今日の売り上げは? いくつ売れた?」緋香里が訊いた。

「うん、ちょっと待ってね……」愛梨は、メモ帳に書かれた「正」の字を数え始める。販売数をカウントしたものだ。「……えっと、五掛ける十一と、三を足して……。五十八!」

「おー、五十八個かぁ。もうちょっといくかなーと思ったけど……、んー、ま、そんなもんなんかな」

「明日は日曜だから、もっと売れるんじゃないかなっ?」メガネ女子の淺野真奈美が言った。

「そうかも……」緋香里は腕を組んだ。「じゃ、それを見越して、材料は多めに買っとく?」

「足りなそうだったら、買い出しにいけばいいんじゃないかな?」と愛梨。

「でも、明日も雨っぽくね? 買い出しは面倒だぜ」茂野勝が口を出す。

「んー、なら、少なめにしておいて、売り切る方向でいこうかな。材料だけ残っても、もったいないしさ」


 緋香里の言葉に、皆が頷いて同意する。それを確認すると、彼女は組んだ腕をほどいた。


「じゃ、片付けに移ろっか。蒼華祭執行委員の目は厳しいから、みんな、決して手は抜かないようにね」


 各々が軽く返事をして、片付けに取り掛かる。ゴミの分別、調理器具の洗浄、机の拭き掃除、床の掃き掃除など、皆が分担して取り組むようになっていた。


「理玖も、おつかれだねー」緋香里は、未だに女装を解いていない理玖の肩を叩いた。

「ほんとに……、ね」理玖は、長い溜め息を洩らす。

「女子中学生の群れを連れてきたのには、ビックリしたよ」


 時は、二時間ほどまえに遡る。

 理玖と楓馬が校内を巡回していると、運悪くというべきか、運良くというべきか、四人の女子中学生のグループとすれ違ったのだ。

 そのとき、理玖は声を掛けられた。そして、「女装ですか?」と尋ねられたので、彼が「はい」と答えると、中学生たちは興奮したような声を上げた。

 どうやら、彼女らは腐女子のグループだったらしく、女装男子×男子でいろいろな妄想をしているようだった。その凄まじさたるや、筆舌に尽くしがたいというべきか……、とにかく、腐女子のパワーは核融合を利用した兵器のようだった。

 しかし、これをものにするため、理玖と楓馬はそれに応戦し、模擬店まで誘導する作戦を決行した。そして、


「もしかして二人、付き合ってるんですか?」

「どっちがタチかな、ネコかな……むふふ」


 などという質問攻めや会話を展開されながらも、二人は、やっとのことで軍団を模擬店まで引き連れたのであった……。


「あれは……もう、疲れたって領域の話じゃないと思うんだ。楓馬だって、顔が引きつってたし」言いながら理玖は、金髪を外す。蒸れた頭髪の気持ち悪さが、いくらか緩和された。「……女装なんて、もうやりたくないな」

「えー、そんなこと言わずにさ、明日も頑張ってよ!」

「なら、来ないでおこうかな……」

「お?」緋香里の眉がピクリと動く。「来なかったら、竹刀(しない)でしばき倒すよ?」

「傷害事件だぞ?」

「木刀じゃないだけさ、ありがたいでしょ? 僕、やっさしぃなぁ」


 ダメだ、何を言っても通じそうにない。理玖は反論を諦めた。不毛な言い争いは好ましくない。そして、(ま……、明日は楓馬もするんだし、別にいいや)と、適当な理由をつけて、嫌がる自分を抑えこんだ。


「そんなことよりも、ズボン、返してくれませんか?」

「えー?」緋香里は、ぽかんと口を開けた。「そのままでいいと思うけど? 僕なら、このままでも大丈夫だし、心配ご無用だよ」

「……俺が嫌なんだよ。嫌がらせで学生主事に訴えてもいいのかな?」


 高専の教員の中では最も厳しい学生主事に呼ばれるのだけは面倒なので、これが必殺の言葉となる。


「……んー、なら仕方ないなぁ」


 渋々といった表情で、緋香里はベルトを外し、ズボンを下ろす。躊躇(ためら)いもなく一連の動作を行う様を見ると、彼女には恥じらいという感情が無いのか? と理玖は疑問に思う。仮にも十代後半の女子であり、その(なまめ)かしい生足は、(さか)る男の視線を釘付けにしてしまうというのに……。


「なーに見てるの?」脱いだものを突きだして、緋香里は理玖の目を見る。少し棘のある視線だ。

「何でもない」


 理玖は、受け取ったズボンを穿くと、借りたスカートを外して彼女に返した。


「どうせならさー、女装したまま帰ったらよかったのに……」スカートを着けながら、緋香里は言う。

「断固拒否する」

「えー……、絶対おもしろくなるのに……」


 何がおもしろくなるんだよ、という言葉が喉まで出かかって、理玖はそれを呑み込む。さらなる会話の発展は、阻止されなければならない。


「おもしろいといえばさー、今の状況がいちばんおもしろいよ?」

「え、何が?」

「いやー……、顔だけが女の子になってるから」


 その言葉に、理玖はハッとする。そういえば、顔には化粧をされたままなのだ。


「あ。落としてこないと」

「逆に、そのままでもおもしろいと思うんだけど?」

「……はぁー」


 小さな溜め息を吐いて、理玖は教室を出て行こうと身を(ひるがえ)す。


「行くんなら、早く落としてきてよねー。みんな、掃除してるんだから」

「わかってる」

「あ、俺もご一緒していいかな」

「ん?」


 突然の言葉に、理玖が目を丸くして振り向くと、そこに楓馬がいた。神出鬼没の楓馬である。


「あれ? 片付けはいいの?」

「うん、手に油とかついちゃったからさ、洗いに行こうと思って。ついでに、理玖の劇的ビフォーアフターも見とこうと思ってねぇ」言うと、楓馬は無邪気な子どものような笑顔を作った。

「あぁ、そう。勝手にしたらいいよ」


 二人は廊下に出て、同じ階にある男子トイレへと足を運ぶ。


「しっかしまぁ、顔だけ化粧してても、割と可愛いもんだなぁ、男装女子みたい」楓馬は、メイクアップされた理玖の顔を舐め回すように見た。「これからは、女装して登校してきたらどう? 人気者になれるんじゃない?」

「どうして皆、そういうことばかり言うのかな……?」

「似合ってるからに決まってんじゃん」

「はぁ……」理玖は、少し速力を上げた。早く、すべてを水に流してしまいたいのだ。

「ちょ、理玖、そう怒るなって」


 楓馬が理玖の肩に手を掛けようとしたとき、


「あ、鎗戸君」通りすがりの、茶がかったセミロングの女子が、楓馬に声をかけた。

「あれ、平島?」


 話しかけてきたのは、平島琴葉だった。七條の彼女でもある。さっきまで外にいたのか、手には傘を持っていた。


「ん、どしたの?」

「……駿(しゅん)、見てない?」

「七條?」

「うん……」緩くカールした髪をいじりながら、平島は答える。少し元気が無さそうだった。

「俺、さきに行ってるからな」理玖は言うと、トイレの方へ向かった。

「あ、あぁ」理玖の言葉に応じてから楓馬は、平島の方を向く。「ん……あれ? 七條に会ってないの?」

「うん。昼に待ち合わせしてたのに、来なかったんだ」

「……そういえば、七條、昼にどっか行ってたな。てっきり、平島に会いに行ったもんだと思ってたんだけど……。違ったのか?」

「うん、会ってないよ」

「へぇ……。でもまぁ、なんか用事でもあったんじゃないの?」

「それじゃ、なんで連絡を寄越さないの?」少しいらついた声遣いで平島は言う。

「え、連絡もないの?」

「うん……。だから、何か知らないかな、って……」

「んー、詳しいことは俺にはわからないな」

「そっか……。ごめん、ありがとね」


 軽く手を挙げると、平島は3Cの模擬店の方へ歩いていった。

 そのあと、楓馬は男子トイレに入った。 トイレに併設された洗面台で、理玖が顔を洗っている。楓馬は、理玖の隣の洗面台に立って、手を洗い始めた。


「何の話をしてたの?」理玖は、洗顔を一旦止めて顔を上げると、鏡越しに楓馬を一瞥する。

「いや、七條を捜してたらしいんだ。待ち合わせしてたとかなんとか……」

「……七條か。そういえば、見てないね。また帰ってくるとか言ってたのに」

「え、そんなこと言ってたっけ?」

「言ってたよ。ちらっと聞いただけだけど」

「へぇ……よく憶えてるなぁ。じゃあ、帰ったのかなぁ?」

「それは、まだわからないよ」

「まぁ……そうか。帰るんなら、連絡してくるよな……」

「彼の性格ならそうだろうね」


 化粧がまだ完全に落ちていなかったので、理玖は再び顔を洗い始めた。楓馬は既に手を洗い終えていて、洗面台の向かいの壁にもたれかかっていた。

 二十秒ほどして、理玖はもう一度顔を上げた。そして、小さな溜め息をついて、彼は呟く。「元のままがいいな、やっぱり」


「あーあ……。りーちゃんから理玖に戻ったわけかぁ……」楓馬が残念そうに言う。

「りーちゃん?」

「うん、理玖が女装したときの名前」

「……勝手に変な名前をつけないでほしいな」

「なんでさ、別にいいじゃん。ただの(げん)()()だよ、源氏名」


 俺は風俗嬢じゃない、と思いながら理玖はハンカチで顔を拭くと、鏡を見た。


「なら……明日は、『ふうちゃん』が誕生するわけだね」

「うん? まだ、そうだと決まったわけじゃないさぁ」鏡の中の楓馬は、大きく両腕を広げると、わずかに微笑んだ。どうやら、女装する気はさらさらないらしい。


 理玖は、軽く舌打ちする。迎撃したはずが、カウンターを食らうという始末である。彼は大きく息を吐いて、吸った。


「明日は――」


 振り向きざまに「明日は女装してもらうからな」と言いかけて、理玖は言葉を切った。


「明日は……? 何?」楓馬が()(げん)そうに目を細める。

「いや……」理玖は鼻をひくつかせる。彼の嗅覚は割と鋭いほうだ。「うん……、何か(にお)わない?」

「え? そりゃあ、トイレなんだから臭うでしょ?」楓馬は、頭の後ろで手を組んだ。

「いや、そういう臭いじゃなくて……なんか、(ちゅう)(てつ)を削ったあとみたいな臭いがするんだよ」

「は? ちゅうてつ? なにそれ」

「鋳造用の鉄だよ」

「ふーん」楓馬は、鼻をヒクヒクさせた。「うん……? たしかに、なーんか臭うなぁ……。なんだろ、えーと……、鉄棒を触ったあとの手の臭いに似てるかなぁ?」

「そう、そんな臭い」

「で? なんでこんな臭いがするんだ?」

「さぁ?」理玖は首を傾げた。

「なんか、あるな……?」


 気になったのか、楓馬は、壁で仕切られた向こうへ去っていく。ハンカチで手の水分を拭うと、理玖もトイレの方へ向かった。

 男子トイレの片方の壁には、男性用の小便器が六つ並んでいる。楓馬はそちらを眺めていたが、何かが詰まっているといったような異常は認められなかった。


「個室の方からかなぁ?」


 小便器の並んだ壁の反対側には、個室が三つ設置されている。実はもう一つあるが、それは清掃用具を入れるための小さな個室なので、カウントしていない。

 そして、三つ並んだドアの、中央のドアだけに鍵が掛かっていた。そのドアと床のあいだ、数センチの隙間には、影が落としこまれている。その脇から、少量の液体がタイルの上を流れていた。


「うん? 何これ……」楓馬は目を細める。

「故障……かな。排水が逆流でもしてるんじゃない」理玖が楓馬の背後から言う。

「ひぇぇ、きったね」

「まだ、そうと決まったわけじゃないよ」

「いやいや、トイレから流れてくるものなんてさぁ、だいたい決まってるでしょ……」


 言いながら楓馬は、ドアをノックしてみる。だが、反応は無かった。


「誰もいないのか……、うん、ちょっと覗いてみるか」楓馬は、開いている隣の個室に入った。「あー、でも、おっさんが大量のクソでも垂れ流してるだけだったら、気分悪いけどなぁ」

「それはそれでレアだね。なかなか見えるものじゃないと思うよ」

「はっ、何がレアだよ……。そんなもの見ちゃったら、俺、ショックで自殺するかも……」


 冗談を飛ばして彼は、洋式便器のふたを下ろしてその上に乗った。


「さてさて、何があるのかねぇ……」


 そして、中央の個室側の壁に手を掛けると、壁から顔を乗り出すようにして個室を覗く。


「――」


 突然、楓馬の動きが止まった。三秒は動かなかった。

 どうした、と理玖が声を掛けようとしたとき、


「わああっ!?」


 楓馬は大きく仰け反って、反対側の壁に衝突した。その音に、理玖はびくっとする。


「おい、楓馬……どうした?」


 ゆっくりと理玖の方を向く楓馬は、目を大きく開いて、小刻みに震えていた。


「し……、し、死体……だ……」






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