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アセンブル・ロジック ~高専祭殺人事件~  作者: 森鷹志
《第1章》 混沌の日常
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 すれ違う人の視線が、金髪の少女を捉える。釘付けというわけでもないが、多方向からやってくる瞳の圧力に、彼女の顔は火照っていた。氷など簡単に溶かしてしまうのではないかというほどの温度を、彼女は感じていた。


「なぁ……、めっちゃ恥ずかしいんだけど……」


 彼女――もとい、女子に(ふん)した理玖は、並んで歩く楓馬に声を掛けた。


「でも……可愛いよ、理玖」楓馬は口元を上げる。「まぁ、桜ちゃんには劣るけどね」

「楓馬、目、大丈夫? 視神経が腐ってるんじゃない?」

「ゾンビじゃないから大丈夫、腐ってない。至って普通だよ、俺はさ」


 楓馬の脳内での「普通」の定義域はどうなっているのか、理玖は疑問だった。そもそも、「普通」の定義は、全人類共通で統一されたものなのかどうかも怪しい。つまり、普通というのは主観的なものであり、客観的なものではないのだ。客観的な「普通」など存在しない。


「でも……」楓馬は理玖の躰を見た。「理玖って、顔が中性的だし、細身だし、身長もそんなに高くないから、女装には向いてるのかもねぇ」

「あっそ」理玖は、鼻を鳴らしてそっぽを向く。

「あっ……、ごめん、身長は気にしてたか」楓馬は申し訳なさそうな顔になる。

「別に……気にしてない。気にするだけ無駄」

「身長ならさぁ、厚底の靴……なんだっけ、シークレットシューズ? あれ、いいんじゃないかなぁって思うわけよ」

「ふぅん……」

「あれ? 身長、高く見せたくないの?」

「身長で、人の価値が決まるわけじゃないよ」

「まぁ……、そうかもしれないけどさぁ」


 階段を下りる途中、化学実験室が近づいてくると、楓馬は急に深刻な面持ちになった。宇宙を航行する有人宇宙船に異常事態が発生したときの、NASAの職員のような顔だ。よほど、女装がしたくないと窺える。


「大丈夫?」理玖は、少しほくそ笑んで訊いた。「決壊寸前の堤防みたいな顔みたいだけど」

「そりゃ……嫌なことに突っ込んでいくわけだしさぁ、そんな顔にもなるよ。赤紙を受け取った人だって、きっと心の中じゃこんな顔してたんだ」


 二人は、階段を下りてすぐ右手にある、化学実験室を覗いた。


「あれぇ?」


 だが、見たところ、そこに水本の姿は無かった。休憩中かなぁ、と楓馬は呟くと、彼だけ実験室に進入した。そして、入ってすぐのところにいた白衣にメガネ(といっても、保護メガネだが)の男子学生に声を掛ける。白衣の下に制服を着ているので、三年生以下であることは違いなかった。


「水本、知らない?」

「水本先輩ですか?」学生は楓馬に顔を向ける。「先輩なら、どこかに行きましたよ。休憩で」

「そう……」

「あ……、用があるのなら、伝言しておきますけど」

「いや、別にそんな大事な用があるわけじゃないから」楓馬は顔の前で手を振る。その周期はかなり早かった。「ごめんな、邪魔して」


 ドアの側にいた理玖にも、その話は聞こえていた。


「服を貸してくれる人が不在ってことはさぁ……」実験室を出てくる楓馬は、急に笑顔になる。「しなくてもいいよなぁ、女装。ね、しなくていいよねぇ」

「いや」理玖は首を振った。「何とか探しだして、楓馬にも同じような境遇に陥ってもらう」

「でもさぁ、探してる時間がもったいないじゃん? ほら、時間の無駄遣いはしたくないでしょ? だから、理玖だけってことで……いいんじゃないかなぁ」

「時間の無駄、ね……」理玖はうつむいて黙りこんだ。数秒ほど唸ると、彼は顔を上げる。「……わかった。今日はしなくていい。けど、明日は、必ず、してもらう」

「よっしゃ。明日、文化祭が無くなれば俺の勝ちだねぇ」

「台風でも来ない限り、それはないだろうね。大雨警報が出ても学校はあるし。……まぁ、文化祭自体は無くなるだろうけど」

「台風が無理なら……、あー、学校が爆発しないかなぁ」

「皆、そう言うよね。そんな、自然現象で爆発するはずがないのに」

「爆発するなら、先生の部屋だけでもいいかなぁ。そうすれば、確実に授業が無くなる!」

「あとで補講が入るよ」

「くそっ。もう、学校ごと爆散させるしかないのか……」


 いつの間にか、話題がすり替わっていた。それは、海流に流される船のようである。アンカーを下ろしておかなければ、話題は漂流する。元に戻すことは困難を窮めるだろう。人間は、前に進めるのは得意でも、後退するのが不得意だ。エビとは正反対である。

 理玖は腕時計を見た。現在時刻は、十二時四十五分三十一秒。文化祭は、午後五時まで。つまり、模擬店の販売もあと四時間ほどということになる。


「そろそろ宣伝しよう。今の話こそ、時間の無駄だったんじゃない?」

「あぁ、そうだった……」


 人間の数が増加した一階の廊下を、二人は歩いた。廊下も人で埋まっている。来場者の最大値を取るのは昼過ぎのようだ。

 彼らは、宣伝効果の高いと考えられる、最も人の集まる玄関付近で足を止めた。


「すげぇ、メイドコスしてる先輩がいる」

「……ほんとだ」


 彼らの視線の先には、メイド服を着て「4Eのたこ焼きはいかがですかー」と声を上げている先輩(♂)の姿があった。姿と声のギャップが凄い。時折、ふざけたように高い声を出していた。


「理玖、負けてんな」メイド服の先輩学生と理玖を交互に見て、楓馬が少し笑う。

「そんな勝負なんてしてない」棘のある言い草で言葉を発すると、理玖は看板を胸の辺りに掲げた。「宣伝するんだろ」

「あぁ、そうそう」


 うんうんとうなずくと、楓馬も理玖にならって看板を掲げる。

 そして、


「…………」

「…………」


 そのまま、二人は口をつぐんだまま動かなかった。

 その間にも、時は流れる。

 定義された一秒が、ただ淡々と刻まれていく。


「……なぁ」八十秒経って、楓馬が口を開いた。「黙ってても、意味無くないか?」

「うん……、ま、そうかな」

「あの先輩みたく、呼びかけたりしないとダメかな……」

「でも、広告としてなら機能してるかもしれないよ」そう言って、理玖は視線を落とす。「……さっきから、ちらほらと視線が来てるし」

「ほらぁ、やっぱり可愛いんだよ」


 ふふ、と楓馬は性の悪い笑みを浮かべた。それを見て、理玖は深く吐息をついた。


「……好きに言いなよ。もう、どうでもいい」

「うぅん、そんなこと言われたら言う気失せるなぁ……」

「逆に、するなと言われたことはしたくなるよね」

「えっと、カリ……なんとか効果ってんだっけ、それ」

「カリギュラ効果」

「そうそう、それそれ」

「……人間って、好奇心からは逃れられないんだよ。でも、そういう特性があるからこそ、人類は高度に発達した科学技術を手に入れることができたっていうのはあるのかもしれない」

「うーん、試験は簡単にしとくから勉強しなくていいよ、って先生が言ったらさ、みんな勉強するのかなぁ」

「しないんじゃないかな。逆に、勉強しなくていいや、ってなるだろ?」

「ふっ」楓馬は鼻を鳴らした。「そりゃそうだ」

「勉強に関しては、例外なんだよ」

「まぁ……、勉強が好きな奴なんていないもんなぁ、普通。あ、ちょっと俺、トイレ行ってくるわ。これ頼む」

「……うん」


 理玖に画用紙の看板を手渡した楓馬は、トイレに向かっていった。足早に向かっていったところを見ると、我慢していたのだろうか、理玖は思う。いや、もしかしたら、あえて一人にさせて遠くから観察しようなんて魂胆もあるのかもしれない……。

 そんなことを考えて、彼は一人、ただずんでいた。

 途端に、時間が長くなったようだった。別に亜光速で移動しているわけでもないが、体内時計の針はゆっくりと時を刻んでいる。

 一人のときは、たいていこうなる。何かに没頭しているとき、友人との会話が弾んでいるときは、逆の現象が発生する。よく言われる言葉としては、「楽しい時間は早く過ぎる」、といったところだろう。


(心の相対性理論というやつかな……)


 少しぼうっとしていると、視界の隅に、一人の男がこちらに近づいてくるのを捉えた。全身黒の服装で、帽子を深く被っている。そのせいかどうかは定かでないが、前髪で目元が隠れていた。

 その男は、理玖の目の前で立ち止まった。

 じっ、と見つめられ……、次第に、顔が近くなる。

 自分の顔に何かついているのだろうか、と理玖は思う。たしかに、化粧品という薬品を顔面全体にまぶしてはいるが、特別目立ったものをつけているわけではない。

 なら、この男の目的は何か……。

 と、そんなことを冷静に分析している場合ではない。

 理玖の躰は、あまりに突然のことに硬直を余儀なくされていた。

 女装男子に男が顔を急接近させている状況である。このようなシチュエーションの発生は、地球に巨大な隕石が衝突する確率よりも低いだろう。


「……あ、あの?」


 理玖が声を発すると、男は片方の口元を微かに上げた。すると、躰の方向を変えて、彼は歩きはじめる。そしてそのまま、どこかへ行ってしまった。


(……なんだったんだ?)


 気味悪さと同時に、安堵の感情が全身に広がる。ちょうど、ドリンクバーのジュースをすべて混ぜ合わせたような、とても奇妙な感じだった。

 少しして、理玖のもとへ楓馬が帰ってきた。彼は、手を振って遠心力で付着した水分を飛ばしている。


「いやぁ、悪いなぁ。ちょっと長引いちゃって」

「うん……」理玖の声のトーンはかなり低かった。「それはどうでもいいんだけど」

「ま、たしかに、人の排泄行為に興味津々なほうがおかしいよなぁ。小学生なら『あいつうんこしてる!』って叫ぶんだろうけど」楓馬は、理玖から看板を受け取る。「それより、何かあった? 顔面がちょっと引きつってる気がするんだけど」

「うん……さっき、変な奴が近づいてきてガン見されたんだ」

「えぇっ?」楓馬の目が開かれた。「どんな奴?」

「うん……前髪で目が隠れてて……、そうだな、上と下、両方とも黒っぽい服だったかな」

「へぇ……、理玖に一目惚れして、告白でもしようとしたんじゃないの?」

「そうそう、思ったんだけど」理玖は、楓馬の言葉を意図的に(かわ)した。「校内を回ったほうがよさそうじゃないかな? 同じ場所でいるんなら、看板だけを立てておくのとそう変わらないと思う」

「そうだなぁ、俺もそう思う」楓馬は相槌を打つ。が、すぐに腕を組んだ。「うーん……、でも、ここにいたら、桜ちゃんに会えるかもしれないんだよなぁ……どうしよう」

「さぁ、どうだろう? 来ないんじゃないかな」

「え。どうしてさ?」

「うーん、なんて言えばいいのか……」理玖は次の言葉を考える。本当の理由は避けるべきである。「そう……雨だし、わざわざ遠くから来るとは思えないかな」

「天候なんて、関係ある?」

「余計なエネルギーを使うのは、賢明な判断とは言えないよ」

「またまたぁ……」楓馬はうんざりしたように顔をしかめた。「たまには余計なエネルギーを使ってみるのもいいんじゃあないの。そうじゃないと、どんどんつまらない人間になっちゃうよ」

「たしかに、詰まった人間にはならないかもしれないね。空っぽなのも、もったいないし」

「……あれ? 俺たち、何の話してたっけ?」

「校内を回るか回らないか、だよ」理玖は即答した。

「あ、そうそう、それそれ。んじゃ、テキトーにぶらぶらーっと回りますかぁ」


 面倒そうに楓馬が歩みを始めたので、さきほどのような変人に出くわさないことを願って、理玖は彼に続いた。






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