サイアスの千日物語 百四十三日目 その四十三
中央城砦の在る高台の東。すなわち大湿原の
西端より飛来した、元来は「野良」に属すと
目される羽牙総数60体。
今は大いなる魔が一柱「奸智公爵」の。
更にはその使徒たる上位眷属「四枚羽」の
支配下に在ると推測される、矢張り大いなる
魔が一柱「百頭伯爵」の落とし仔と目される
これら異形の2個飛行大隊。
これらは針路上となる高台直前が中央城砦の
放つ「火竜」の射程である事を嫌い、一時的に
飛行高度を上げていた。
凡そ生物が自らの翼を用いて主体的に成す
飛行とは、飛翔と滑空の断続である。そして
その性質上、飛行において高度と速度は
反比例の関係にあると言える。
元来の飛行高度が地表より3から4オッピ。
城砦外郭防壁をギリギリ超え得る程度で飛ぶ
羽牙であったが、此度は火竜着弾時の入射角を
鑑み6割り増しの5から6オッピで飛んでいた。
これはつまり恐ろしく乱暴に言ってしまえば
元来の飛行速度より6割ほど失速していると
言えなくもない。少なくとも確実にその飛行
速度は落ちていた。
ゆえに針路正面となる西方の高台からの
長弓部隊による一斉射で実に27体を撃破
されるところとなったものだが、被害状況は
なお深刻化していた。
高台で1オッピ、その上の防壁で1オッピ。
計2オッピの壁のお陰で十分な射角が取れて
いなかった、南東に面した鉄城門真下を守る
ランド操るセントール改。
この大型機動兵器にとって羽牙大隊の挙動とは
わざわざ直接照準の範囲内に飛び出してくれる
ようなものだったからだ。
ランドはこの好機を逃す事はなかった。
ランドはセントール改の背部に搭載された
2基の砲を用いて人の拳大の鉄球を数射した。
これら鉄球の中身は更に小粒で突起を有する
独特の鉄片。東方諸国の隠密が用いるとされる
「巻き菱」に近いものが凝縮されており、これ
が発射の衝撃と飛距離を得て飛散。
さながら横殴りの鉄の雨と化して
残る羽牙33体を襲った。
「巻き菱」一つ一つには羽牙を仕留め得るだけの
威力がない。ただし多量に撒き散らされたそれは
羽牙の翼手、その皮膜をズタズタに引き裂くには
十二分であった。
西よりの征矢を乗り越え高台侵入を目前として
ある種視野狭窄に陥っていた羽牙らに
この虚を衝いた散弾を回避し切る事は困難で
さらに12体が飛行不能に陥り墜落。
結果として高台の野戦陣上空へと侵入できた
のは21体。1個飛行大隊未満となっていた。
火竜、征矢、そして散弾の雨霰を掻い潜り
遂に敵陣内に侵入を果たした羽牙21体は、
まずは一気に高度を下げた。
高度と速度はトレードオフ。つまり一気に
加速して戦闘速度となった羽牙は編隊を解除。
3体一組の飛行小隊となって地表の獲物を
襲うべく殺到する。
目指すは多量の獲物が密集する
餌箱の如き防衛陣地であった。
地に足を付け立つ者にとり、死角だらけな
頭上より降り注ぐ攻撃は常に致命の危険を伴う。
一旦乱戦に持ち込んでしまえば同士討ちを
恐れる人は飛び道具を使わぬため、羽牙
としては蹂躙し放題であった。
ただ、野戦陣内にも高みが幾らかある。
まずは餌箱たる防衛陣手前を中心に林立する
鉄柱群。さながら枯れ木の如きこれらは
戦闘機動の障害と成り得るため警戒が必要だ。
そして今一つは防衛陣南東に隣接する
物見の鉄塔。高さはそれほどでもないが
小規模な射場ともなっている。ここから
射掛けられるのは旨くないと言えた。
物見の鉄塔には、今は人影が一つきり。
人影に飛び道具を構える気配はない。
攻め寄せる羽牙をただ静かに睥睨するのみだ。
自身らが眷属の中でも特に高い組織力を誇る
羽牙としては、その配置から鑑みこれがこの
防衛陣における指揮官であろうと判断した。
そこで真東上空より防衛陣を急襲する構えを
見せていた羽牙21体はそのうち2個小隊を。
すなわち6体に南東へと電撃的に攻め入らせた。
物見の鉄塔は高さ1オッピ程。その上に
物見と射場のための屋根の無い足場があった。
半オッピ四方の狭い足場、その中央に独り佇む
人影は、殺到する羽牙に、目を細める。
口元は漆黒のスカーフで見えないが、
恐らくは微笑んでいるのだろう。
頭冠に懸かる艶やかな黒の前髪が
東からの風を孕んで幽かに揺れていた。
その装束は夜空の青。東方風の小札が
幾らかの彩りを成しており、両の腰には
鍔無き無反りの小太刀「飛燕」と「疾風」。
いずれも東方伝来の業物であった。
足場は狭く周囲は空白、逃げ場はない。
三位一体の攻防を旨とし常に背後を取るのを
企図して敵に当たる羽牙であったが、今は
単にブチ当たるだけで滑落せしめ得る状況だ。
ならば小細工を弄すまでもなし、と
3体一列に連なって、徐々に高度を下げ
さらに加速し中空の波濤、或いは破城槌
の如くに鉄塔へと迫る。
その距離既に数オッピ。
激突必至と思われた、その刹那。
「Om mariciye svaha.」
人影は真言を残し蜃気楼となって消えた。
先陣切って切り込む羽牙は瞠目し、
血飛沫を上げて息絶えた。
太刀筋は逆袈裟。
羽牙は右体側を残断され
勢いそのままに鉄塔へ激突。
驚愕する2体目もまた血飛沫を上げ、
さらなる3体目の頭上には先の人影。
自らに殺到する異形を斬り付け乗り越え
踏み台として、次々夜空色の人影は飛び渡る。
3体目の頭上より一際高く、長く跳躍した
人影は突風に吹きすさぶ木の葉の如くひらりと
虚空に舞い遊び、鉄柱へ渡りその突端に立った。
人も異形も、天も地も。全てがただただ
刮目する中、遥か東方の伝説の「影」。
その末裔は静かに佇み敵を見据えていた。




