サイアスの千日物語 百四十三日目 その四十二
一戦死闘を終えた事による安堵と弛緩からか
常と変わらぬ騒がしさをみせていたシェド。
戦の最中に戦を忘れるが如き、言わば
「魔が差した」とでもいうべきシェド。
その挙措は存外実際に荒野の荒神が一柱、
「魔」奸智公爵の企図やも知れなかった。
だが、その時そこに卒然と。
粛然と弓弦が鳴り響いた。
古来、張り詰めた弓の鳴る音には
悪鬼を祓う力があるとされる。
少なくとも東方諸国ではそう伝わり、
時節を彩る祭事では古式ゆかしき梓弓が
破魔の音色を奏でていた。
「始まったようだ」
指揮所よりサイアスが短く告げた。
指揮所の傍らには幾らかの台車。
さらに台車の傍らには物見の鉄塔。
そして鉄塔を挟んで北東には、射場と
大型貨車を連ね並べた即席の防衛陣。
その中央では東方風の装束に身を包み、黒髪を
高く結い上げて凛々しく立った第三戦隊の誇る
長弓部隊50名が、構えた大弓の向こうの空に
残心の眼差しを送っていた。
「ロイエ、ラーズ。
合成弓で適宜迎撃支援。
美人隊は武装変更。
デネブと共に指揮所の警備。
シェドは防衛陣との連絡に備え待機」
「了解!!」
指揮所前で斜線陣を成した面々は
火花のように各個展開した。
高台の東の先に横たわる広大なる大湿原。
これを根城とする、百頭伯爵の落とし仔と
目される異形。魔の眷属たる「羽牙」。
総数60体、2個飛行大隊を成すこれらの
羽牙は当初ならば陸を往く「できそこない」
の機動中隊を明確に連動し、既に高台の
野戦陣上空へと侵入しているはずであった。
だが大湿原より高台へと至る針路上に
中央城砦本城より放たれた火竜が過ぎり
着弾して盛大な炎を上げてみせた。
これによる羽牙らへの被害は一切無かった。
だが針路上の事であるゆえ2射目を警戒して
羽牙は一時侵攻を中断。暫し様子見に入った。
結果高台へと乗り込んだできそこないらとは
連携せず、これらは瞬く間に討ち取られて
地上部隊は全滅と相成った。
元より平素は互いに相食む間柄ゆえ
機動中隊の全滅を惜しむ意向は欠片もない
羽牙大隊ではあったが、敵陣強襲の最適な
時宜を逸した事は遺憾ではあった。
そこで羽牙大隊は一計を案じた。
先の横殴りの砲撃の弾道が射程ギリギリの
ものであった事。また高台が南西へと斜めに
流れている事を加味。
高度を上げつつ東西に長い紡錘陣形を成して
野戦陣に入った後電撃的に急降下する戦術を
採ったのであった。
羽牙は人の胴程もある巨大な肉食獣の頭部、
その両側面にコウモリの翼が生えたような、
そういう姿の異形である。
コウモリの翼とは翼手、すなわち
羽毛無き皮膜の張られた手そのものである。
これは抜群の旋回能力を有する反面、
高度や速度において鳥のそれに数段劣る。
特に羽牙は胴部の重さもあいまって
飛行高度は地表より3オッピから
4オッピが専らとなっていた。
無論これより高く飛べぬという訳ではない。
これより高く飛ぶ場合は飛行に柔軟性が
失われるという事だ。
飛び道具を持たぬ羽牙としては一方的に
鴨撃ちされる危険をも甘受せねばならなかった。
もっとも迎撃にあたる弓兵にとっても
高度は常に難敵の類であった。第三戦隊の
長弓部隊の場合、上下非対称な長弓を用いて
水平方向に概ね100オッピの射程を有する。
用いるのは長剣並の長さを持つ征矢であり、
平原基準の甲冑なら無きが如し。眷属の中でも
外皮が硬いとされる魚人らの天然の鱗鎧すら
易々と射抜く殺傷力を有する。
弱点としては征矢が重い事。
そして弾速が速いとは言えぬ事。
元より機動力の高い眷属らに投射攻撃は
命中し難いものだが、先のできそこないの
機動中隊に対してと同様、精度の割りに
成果を出し難いという難点もあった。
「高度を上げましたね。
ここは閣下の仰せの通り
二の矢は継がず防備に専念で」
残心の眼差しを送る長弓部隊の傍らで
共に矢の行方を追っていた参謀長補佐官
たる城砦軍師アトリアはそう告げた。
長弓部隊50名は全て女性であり、東方風の
装束にブレストプレートと独特の出で立ちだ。
傍らのアトリアもまた東方風の戦装束であり
どうにもこの射場だけは遥か東の戦場から
切り取ってきたが如き有様だった。
「的中27。無念です」
「予測値は24です。
十二分の成果ですよ」
口惜しげな長弓部隊の長にそう声を掛け
「抜刀し自衛を」
と声だけ残し、アトリアは消えた。
直後、アトリアは防衛陣北手に横付けされた
サイアス小隊の戦闘車両「ランドクッルス」
の下へと現れた。ここには工兵1班と
クリームヒルト及び盾肉娘2名が詰めていた。
「羽牙目掛け上空から降ってくるように
定期的に油球を投射してください。
接敵後の対応はクリームヒルトさんに
お任せします」
「了解しました。軍師殿は?」
「暫く別働します」
「そうですか。御武運を」
アトリアの指示に敬礼を返すクリームヒルト。
クリームヒルトはかつてアトリアが
サイアスに付くと宣言した際現場に居た。
そのためどの軍師よりも信頼を置いていた。
「アトリア殿、我々は」
アトリア同様不意に隠密らが現れた。
「銀杏拾いを」
「随分と大きいようだ」
隠密は苦笑してみせた。
「たとえ闇の月でなくとも、
屍を一緒に晒すのは危険です」
「成程。ではついでに
火の支度でもすれば宜しいか」
「そうですね。お願いします」
「承知」
隠密らは不意に消え、
同時にアトリアもまた消えた。




