サイアスの千日物語 三十二日目 その九
午後一時半。第三戦隊営舎前広場には、
合図の鐘を待たずして既に補充兵194名が揃っていた。
担当教官がオッピドゥスである以上、
遅刻なぞしようものなら鐘の音を遥かに上回る爆音で
呼びつけられることは明白だったからだ。
食堂でサイアスの話を聞いた補充兵の女性約50名は一様に軽装で、
屈伸したり腰を回したりと準備体操に余念がなかった。
その様子を見やった男性補充兵も次第に真似て、
いつの間にやらほぼ全員が準備体操をしていた。
鐘の音が鳴ると、どこからともなくズシンズシンと足音が響き、
やがてオッピドゥスが現われた。登場の仕方からして
やや人間離れしていると言わざるを得なかった。
オッピドゥスの後方からは、大量の荷物を積んだ3台の台車を
押す複数の兵士。台車に積まれているのは金属の布のようなものだった。
「お、全員揃ってるのか? 感心なこった!
さては俺に会いたくてウズウズしてたなお前ら。
仕方ないヤツらだぜ! まあこう見えても俺は愛妻家だ!
男女問わず余計なちょっかいはゴメンだぜ。ガハハハ!」
「いきなり全開だな、教官殿は……」
「妻帯者だったんだね。奥さんどんな人だろうね……」
件の男とランドがボソボソと話していた。
何やらウマが合うらしかった。
それを見たオッピドゥスは笑いながら言った。
「おぅ坊主ども。たった一日で随分打ち解けたじゃないか。
戦友を持つのは良いことだぜ。俺も若い頃は戦友と背中を預けあって
戦ったもんだ。まぁ、俺の背中は大部分がガラ空きだったけどな……」
「笑っていいんだろうかね……」
「俺はやめとくぜ。またブン回されちゃ堪らねぇ」
「まぁ良い! んじゃさっさと午後の部始めるとするか!
今日は前回の予告通り、『体力』についてだ。
『体力』と一口に言っても色々あるんだがな。
まぁ兵隊にとっての体力といや、まずは持久力だろう」
そういってオッピドゥスは補充兵を見渡した。
「まずは昨日のおさらいだぜ。膂力てのを学んだな?
戦闘は武器や防具を装備して行う。そして武器や防具には重さがあり、
重さのあるもんを動かす力が膂力だと学んだ。
今日学ぶ体力は、その膂力を継続させる力だと考えてくれ。
重いもん抱えてどんだけ動き続けられるか、てことだな」
「戦闘では常に動く。装備状態で動き回るには体力が要る!
戦闘では武器を何度も振り回す。何度も振り回すには体力が要る!
どれだけ腕利きであれ良装備であれ、疲労困憊したらただの的だ!
ササッと囲まれフルボッコだぜ。まぁここじゃ、
魔や眷属にご馳走様されるってことだ」
オッピドゥスは凄みのある顔で笑った。
「そうならんためには、少しでも体力を高めておく必要がある。
戦い方にもよるが、最低でも人並の体力がなければまずやっていけん。
そういう訳で、まずは体力10を最低限度と見なすことになる!」
「体力10というのはな。
膂力10に相当する装備で支障なく動き回れる程度を指すんだそうだ。
膂力10といや、昨日目安になる装備が何か話したが、覚えてるか?
そうだな…… そこの騒がしい坊主! お前答えてみろ!」
オッピドゥスは件の男に問いかけた。
「え!? 俺っすか!? っと鎖帷子であります!」
男は手早く返答した。
「おぅ、正解だ! って訳で、だ。あれを見ろ」
オッピドゥスは兵士が運んできた台車を示した。
「訓練用の鎖帷子だ。全て膂力10きっちりに調整してある。
こいつを着込んで動き回る訓練をするぞ!」
台車に積んであったのは、平たく畳んだ鎖帷子の山だった。
「ガチの素人も居るんでな。
まずは鎖帷子について簡単に説明しておくぞ。
そうだな…… そこのお前! 見栄えのいいデカさだ。前に出ろ!」
そう言ってオッピドゥスはランドを呼びつけた。
ランドはさっさと前に進み出てオッピドゥスに敬礼した。
「お前、膂力はいくつだった?」
オッピドゥスはランドに尋ねた。
「訓練では10でしたが、昨夜15の槍を投擲できるようになりました」
「ほぅ、やるじゃないか! 後で軍師に再計測させてやろう。
今は15として扱っとくぜ。そこの台車から鎖帷子を取ってこい」
ランドはオッピドゥスに促され、鎖帷子を取って戻ってきた。
オッピドゥスはそれを受け取ると、洗濯物を干す時のごとく
手首を振ってパン、と伸ばした。本来金属の立てる音ではないが、
オッピドゥスなら仕方ない、と誰もが思った。
「こいつが鎖帷子だ。
トリクティアではロリカハマタとも言うな。
丈はものによってマチマチだが、訓練用のは袖は肘まで、
丈は太腿半ばまでになっている。
鎖帷子は鉄の輪っかを繋ぎ合わせて出来ている。
布程とまではいかないが、中身の動きに合わせて柔軟に形が変わるから、
兵士の標準装備として広く使われている。
構造上、斬撃に強く、打撃にはそこそこ。細かい隙間があるために
刺突に対しては残念な感じだ。幸い魔や眷属が矢を射てくることは
ないんでな。精々爪や牙が食い込むくらいだ。
食い込む程度で済めばいいけどなぁ。ガハハハ!」
「わ、笑えねぇ……」
件の男はそう呟いた。
サイアスはディードの傷を思いだしていた。
スケイルメイルですら穴が穿たれていたことを思えば、
爪牙そのものにはほぼ無力とみるべきだ、とサイアスは断じた。
「んじゃお前、ちょっとこれを着込んでみろ」
オッピドゥスはランドに鎖帷子を渡した。
ランドは首や袖の穴を確かめつつ、頭からすっぽりと被って着込んだ。
「うむ、そんなもんだ。どうだ感想は」
オッピドゥスはランドに尋ねた。
「これはちょっと、肩にきますね……」
ランドは顔をしかめた。
肩にずしりと誰かが乗っかっているような重さを感じていたのだ。
「うむ。そんなもんだ。結構、結構! ガハハ!」
オッピドゥスは楽しげに笑った。
「鎖帷子は同じ大きさの板金鎧より重いこともある位でな。
しかも全重量が両肩にかかるから、まぁ辛い。そこでだ」
兵士の一人が台車からベルトを持ってきた。
「腰にがっつりベルトを締めてやるんだ。
すると重さが分散されて多少楽になるぞ。もしももっと長い
鎖帷子を着込むことがあったら、腕や足にも
適宜ベルト止めをするといい。かなり楽になるだろうよ。
板金鎧同様、各部位ごとに重みを分散させるって寸法だ」
そう言ってオッピドゥスは兵士を促し、
兵士はランドに指示してベルトを締めさせた。
「心なしか、楽になったような、なってないような……」
「うむ、そんなもんだ。ガッハハハ!」
オッピドゥスは巨体を揺すって笑い、
「よぅし、全員、鎖帷子を着込んでみろ!」
と補充兵全体に促しをかけた。




