サイアスの千日物語 百四十三日目 その三十六
乱戦の嚆矢たる長弓部隊の征矢の群れ。
これに呼応し二つに割れて、さらに鋏を
閉じるが如く機甲小隊へ殺到する機動中隊。
そしてこれを迎え撃ち、鉄板焼き宜しく
斬穫してのけたランドの操るセントール改。
ここまででほぼ、1拍が経過していた。
「拍」とは城砦軍師が戦闘状況の分析に用いる
時間単位の一つであり、1拍は20瞬であって
卑近な単位で表せば4秒となる。
近接戦闘においてはこの1拍を時間区分とし、
そのうちに起こる彼我の挙動、その帰趨の
累積をもって戦闘状況の帰結とするのだ。
とまれ一次遭遇開始より1拍が経過した時点で
できそこないの機動中隊30体は3割の損耗
となる9体を撃破されていた。
3割損耗とは人の身で喩えるなら手足の一本
をも潰された状態である。すなわち退けるもの
ならば速やかに退くべき頃合だ。
だがこの異形ら自らの意思で退却を選べる
状態にはなかった。異形らの精神に甘美なる
音を鳴らし逃れがたき支配の根を下ろす者。
すなわち異形らの崇め奉る大いなる荒神が
一柱たる奸智公爵は、さらなる感興の呼び水
を求めていたのだった。
よって機動中隊は疾風怒涛の分進合撃が
無為に帰しても怯む事こそなかったが、
予期せぬセントール改の四本腕に意表を
衝かれ、次ぐべき挙動を定めあぐねていた。
敵の眼前で一瞬でも惑い呆ける事。
それは死神の振るう大鎌に進んで
首を差し出すのと大差ない。
そして死神の鎌は踊り掛かる。
現世では三尺の秋水を象っていた。
セントール改の向かって左方。すなわち
西から攻め立てた「樅の陣」の前曲。
これらは征矢により5体失った後速やかに
変陣し10体で3-4-3を成していた。
変形しつつ機甲小隊の右翼に備える3-2の
精兵へと突っ込もうとした。
だがそこにセントール改がメーニアⅡを
掲げたため前衛3体はこれに突進からの
体当たりをぶちかました。
メーニアⅡはあのオッピドゥスが用いる
城砦外郭防壁に並ぶ防御力を誇る重盾である。
崩せるものがあるとしたら、それは魔そのもの。
魔と比せば木っ端な眷属には断崖絶壁に
突っ込むより酷い自殺行為でしかなかった。
3-4-3の前衛3体は派手に音を立て潰れ、
続く4は慌てて踏鞴を踏みつつさらに西へ。
そこに精兵の後方で機を伺っていた抜刀隊
五番隊隊士5名が草攻剣にて草薙ぐ如く
膾に刻んで葬りさった。
最後尾にいたやや大柄な3体は、斬撃を終え
傍らへと流れる隊士らを狙い襲い掛かろうと
したが、メーニアⅡのお陰で温存された精兵ら
が重盾メナンキュラスを構えて猛然と突進。
弾かれ崩れたところにセントールの右の剣が
降ってきて3体まとめて粉砕した。
こうして続く1拍、即ち2拍目をもって
左方へと流れた前曲10体は1体残らず
撃破された。
一方右方、東側より攻め掛けた後曲15体は
1拍目の予期せぬセントールの剣撃によって
4体薙ぎ払われたその時点で突進する前衛を
失っていた。
そのため一瞬呆けはしたものの、前衛4体分
に相当する時間的、空間的余裕が冷静な判断を
取り戻す余地となっていた。
城砦騎士級の戦闘能力を有するセントール改。
これが避けて通るべき相手だという認識を
より確かなものとした残る11体。
これらは機甲小隊左翼の精兵や抜刀隊士に
攻め掛かる事を一気に放棄。再び急旋回し
大きく北へと反れ疾駆した。
鉄城門は南東に面し、機甲小隊はその正面を
守る。そこから北へ逸れれば暫くは断崖と防壁。
断崖が1オッピ、防壁が1オッピ。
つまり下方からは計2オッピの高さであり、
これは陸生種中最高の機動力と走破能力を誇る
できそこないにとり、難なく跳躍し越え得る
範囲であった。
そこで機動中隊の生き残り11体は高台の
縁を舐めるように低地を北へと疾駆して加速。
精兵の投げつけた手槍とセントール改の放った
小粒な鉄球で2体失い9体となるも機甲小隊
との戦域を離脱。
そして大事をとって防壁が終わり鉄柱のみと
見える一帯にまで走りこんで助走とした上で
3-3-3を成して前衛より順に跳躍した。
最初の3体は鉄柱の狭間に鋼糸が張られている
事に気づかぬまま飛び込み、これに絡まり身を
裂かれて高台に乗り込むのに失敗。
続く3体は鉄柱と鋼糸に絡め取られてもがく
3体を踏みつけて二段跳びをなし、高台の
内側へと着地する事に成功した。
だが着地と同時にこれらの四肢には次々と
鉄塔から矢が突き立って地に足を縫い付けられ、
動きが止まったところにラーズとロイエが
合成弓で射抜き息の根を止めた。
赤子の声で絶叫し、息耐えどぅと倒れる
3体のできそこない。その背後には。
前衛、そして中衛を囮とし盾としてまんまと
無事に乗り込み果せた大柄なるできそこない
3体の姿があった。
翼こそ残滓のままに過ぎぬものの、その
体躯は明らかに他より大きく1オッピに近い。
飛翔できぬ代わりに陸生方向に特化したと見る
べきか。飛ぶことをやめた鳥同様、ある意味
できそこないらしい進化であり深化でもあった。
赤子の甲高い声に混じり、地の底より響く
ような肉食獣の唸り声までもが響く。
老人に似た顔は破壊と殺戮の衝動に歪みきり
高低の不協和音を鳴らしていた。
筋骨隆々たる前肢には短剣の如き鍵爪が一際
禍々しく際立って、大地を狂おしく掻いていた。
怪力、巨躯、狡知、残虐、獰猛そして異貌。
遠く平原南部の伝承にいうマンティコア。
或いは首の数こそ少ないが神話に謳われる
キマイラといった古き名にし負うだけの
風格を、このできそこないらは具えていた。
さらにこれらできそこないの背後。
東の空には大きな染みが出来ていた。
大湿原を根城とする空飛ぶ異形。
百等伯爵の落とし仔と目される「羽牙」。
総数60体。二個飛行大隊が満を辞して卒然と。
奈落からの征矢の如くに荒ぶり羽ばたき殺到
していたのだった。
まるでこれまでの戦況が全てお膳立てされた
戯曲の一節であるかの如く、異形らの軍勢、
その挙動は調和しきっていた。
これが奸魔軍、これが奸智公爵の望んだ
筋書きだったという事か。高台に布陣する
全ての兵らはそう感じざるを得なかった。
そして。
3体は討手に二の矢を番える暇を与えず轟然と。
身の毛もよだつ雄たけびを上げて指揮所へと
まっしぐらに突進した。




