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サイアスの千日物語  作者: Iz
第六楽章 光と闇の交響曲
978/1317

サイアスの千日物語 百四十三日目 その二十八

魔軍、または奸魔軍と呼ばれる異形らが、

野良のそれと最も異なる点。それは戦略眼だ。


生来眷族とは獰猛な存在であり、特に

大口手足は平素より頻回に共食いする事を

人に知られている程貪欲でもある。


だが荒野に在りて世を統べる大いなる荒神、

「魔」の意が憑依するうちは、そうした

生来の気質が嘘のように消え去り、同種は

おろか多種族とすら連携して軍勢としての

動きに徹してくる。


これまでなら黒の月、宴の折のみに見られた

こうした無私の死兵と化した眷族の軍勢は

元々個として人より強い事もあり、人の側に

甚大な被害をもたらしていた。


囮の餌箱とは言い条人智の粋でもある

中央城砦の防御力を利しても人類最精鋭な

千名が数百の損害を免れ得ず、これが一度ひとたび

平原にまで侵攻したなら単位は億に跳ね上がる。

そういう事だ。


逆に言えば魔軍として或いは奸魔軍として

魔の意向の「乗り」が薄まったならば。


その異形からは高度な戦略眼が消え去り、

戦術以下の視点。専ら個の欲求によって

動き出す事になるのであった。





今岩場に在りて騎兵隊と対峙するこの異形は

地勢を利し高度に計算された観測射撃を成す

事からも察せられるように、生来人より

遥かに高い知性を有していた。


その知性は異形の対峙する騎兵隊の将、

デレクを優に上回るものであり、ゆえにこの

異形にはデレクが成したと同種の戦局に対する

観測もまた成せていた。


詰まる所、デレク以上の精度を有する

この異形の言わば「軍師の目」は告げていた。

眼前の騎兵と地勢を利さず直接対峙した場合、

うち6体を仕留めたのみで死傷するだろう、と。


そう、この勝敗への予測。そして

6と言う数値は両者が共に導き出した

確かな唯一解であった。


そしてこれは今、騎兵の群れから先行して

飛び出してくる者らと同じ値であった。


先程の単騎であれば戦略眼も戦術眼も

共に囮だと看破した。よって接近しても

餌としては完全に無視し、適当にあしらって

騎兵本隊の足止めに専念する格好ともなれた。


だが、この6体とは如何なるものか。

これもまた先刻同様の単なる囮なのか。

それともそれとはまた別で、例えば

波状攻撃の一陣目なのか。


魔の意による戦略眼が消えた今、

自身の生来の戦術眼によってのみでは

この辺りは即断し兼ねた。ゆえに逡巡した。


奸智公の意向が逸れた事。

そして自ら成した戦況観測。

加えて飛び出して来た敵の数。


さらには先刻の騎兵よりも一段は

劣っている風にみえなくもない機動。


聡明なるが故、多くの選択肢を持つがゆえ

異形は悩み、強者と命を賭した戦闘経験が

乏しいゆえに判断を補正する勘所も働かず。


異形は僅かとはいえ懊悩した。だが、

それは刹那を争う死地においては

生死を厳に隔てるもの。


特に強靭な胆力で死への恐怖を捻じ伏せて

突風の如く殺到する騎兵隊の速さの前では

逡巡とは死の影の谷に等しかった。





異形が動きを止めたのは、未だ数十オッピと

十二分な距離がある状況での、ほんの数秒

の事に過ぎなかった。


だがここを自らの花舞台と定めた女騎兵衆の

突撃行軍は異形の予測を遥かに凌駕しており

あっという間に数オッピの距離にまで

迫っていた。


迷う余地なし。少なくともそれだけは

確かに判じてのけたこの異形は、果たして

生来己が有する性分に従う事にした。



あの6騎は己が取り分だ。



そう異形は判断した。

戦闘結果観測で得た6という数値。

自身が仕留めると目された6なる数値。

これは勝敗以前の自身の確たる取り分なのだ。


それがこうして突出し眼前にあるのだから、

これを確保して如何なる不都合のあるものか。

手早く飛び出しこれらをさらい、そのまま逃走。


さすれば敗走という形にはなるだろうが

死傷は負傷に減ぜられ、かつ戦利品を

得た形で戦域離脱できるではないか。


一旦然様に判じてしまえば後は速かった。

異形はガバリと岩場に伏せて、生白く筋骨隆々

とした6の肢を大いにたわめ、そして。



力の限り跳躍した。

東へ。大回廊の只中へ。

まさにデレクの読み通りに。





そう。騎兵隊長たる騎士団騎士会若手筆頭、

「器用人」たる城砦騎士デレクは、この

展開を完全に読みきっていた。


並みの者が一年ともたず屍と化す荒野に7年。

無数の死を越え屍を越えて絶対強者にまで到達

したその歴戦は、非常を数乗してなお上回る。


それに知性と知識、さらに知恵とはそれぞれ

別個の存在であり、さらに悪知恵はまた別格。


こと悪知恵に関しては上官にたっぷりと

薫陶を受けている。この程度の騙し合いは

最早朝飯前なのだ。


1騎であれば食いつかずといえども

6なら必ず迷うとデレクは見抜いていた。


そこで大回廊の中央を先刻囮を務めた

インプレッサより一枚は劣る技量の6名に

先行させ、自身らは速度を適宜調整。

来るべき一瞬に備えていた。


果たして異形は飛び出した。

これは事前の企図通りの動きであり、

女騎兵衆には織り込み済みの行動であった。


大回廊を縦に割るが如く真っ直ぐ駆ける

女騎兵衆は、異形の跳躍に合わせ急旋回。

ほぼ直角に東へと折れて一気に加速し風に

棚引く髪と気配のみを残し高台へと駆けた。


寸前まで女騎兵衆の居た位置に着地して

虚空を掻き毟った件の異形は形容し難い

怒りに心胆を染め上げた。


だが同時に凍土の如き知性で状況を把握。

罠だとも悟り、即時撤退の意向を固めた。


そして背後の岩場へ退こうとの決意が先か

それとも後か。北方より数十の矢が弓なりに

飛来して黒々と空を覆い、慌てて身を屈めた。


デレクら本隊によるこの騎射は、とにかく

数を重視した弾幕の類であり、精度も速度も

多分にまちまち。むしろそれが功を奏して

異形の背後、西手へと乱れ飛んだ。


異形としてはほんの数瞬、乱れ飛ぶ矢が

地に落ちるまで身を屈めていれば良い。

その間跳躍に備え肢を撓めておけば無駄もない。


よって未だ一定の余裕を以て状況に対処して

いたが、すぐにそうもいかなくなった。


デレクら騎兵隊本隊が放った矢。24名が

それぞれ数矢ずつ纏めて放ったそれらの矢は

全て、油矢であった。


油矢とは鏃の後方に可燃性の高い油を

満たした蝋の筒などを取り付け、着弾域

一帯に撒き散らす事を目的とした矢のことだ。


油矢単体での殺傷力は高くなく、

続く火矢によって最大の効果を発揮する。


そして。


急旋回し残り香を残して東の高台へと疾駆

していた女騎兵衆は、今は一斉に上体を

左後方へとひねっていた。


すらりと後方を指す左手には弓。

きりりと引き絞った右手には火矢。


間髪入れず西へと放たれた6の火矢は

北方より放たれ未だ宙舞う数十の油矢へ。


こうして岩場の手前には、炎の壁があらわれた。

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