サイアスの千日物語 百四十三日目 その二十三
再び一方その頃。
城砦西手の大回廊において。
岩場から岩を投げまくる物騒な異形。
仮称「大口手足増し増し(雄)」と
対峙したデレク率いる騎兵隊は、誘引策を
決めたものの、未だ実行には移さずに居た。
位置関係としては。
騎兵隊が城砦外郭の西防壁の脇を走る
大回廊のうち、防壁南端まで
概ね300オッピ弱。
異形はそこから数十オッピほど南西だ。
大回廊の西側一帯に拡がる岩場の斜面を
騎兵隊の進路に先回りするが如く
南東へと流れつつ下り岩を放っていた。
最精鋭な騎兵隊に直接岩塊をぶつけるのが
困難だと判じた件の異形は方針を変更し、
大回廊を南下する騎兵隊の進路上に
先読みで岩を落とし始めていた。
これは言わば即席の弾着観測射撃であり
この異形が高い知性と確固たる戦術を
有している良い証左ともなっていた。
逆に狙われる騎兵隊にとってみれば、
異形の挙動は奸魔軍の企図を垣間見る
良い契機ともなっていた。
異形の目的が恐らくは騎兵隊の足止めに。
主力軍や独立大隊との合流を阻止する事に
あるのではないかと、少なくともデレクは
疑い始めていたのだ。
魔が人の戦力を判じる際、内実を具に観ず
単にうわべの数だけで推し量っているのでは
ないかとの推察は、詰め所でサイアスから
聞かされていたし、主力軍の規模が規模だ。
黒の月、宴の折でさえ一時同時には姿を
見せぬ500もの大軍勢が、少なくとも
現段階では南西を目指している。
城砦から遥か南西には丘陵。丘陵には
魔軍の拠点。つまるところ異形の企図も
また、転ばぬ先の杖と言うことだろう。
城砦南方に現れた人の大軍を如何にしてか
いち早く察知した奸魔軍は、これが南西の
丘陵目指し大挙進軍するのを是非とも
阻止すべく企図。
合流を目指していると目される騎兵隊の
南進を妨害する事で、全軍の進軍予定を
狂わせようとしているのではないか。
すなわちたかが30の小勢に対し態々大物を
当てる事で、500の大軍をも足止めしようと
目論んでいるのではないか、と。
つまりはこれもまた囮であり誘引。
最小の手で最大の効果を得ようという事。
東方風に言えば「海老で鯛を釣る」だ。
冗談じゃない。
大漁祈願してるのはこっちだ。
こっちは旗まで用意してるんだぞ。
デレクは内心そう苦笑し、
同時に好都合だとほくそ笑んでもいた。
デレクら騎兵隊の目的は哨戒であり、
主力軍500に迫る危険を未然に排除
する事にある。つまりは転ばぬ先の杖だ。
要はあちらもこちらも囮の類。
案外似た者同士がこんにちは
なのかもなとも一人頷くデレク。
そうなると大回廊の終わりが何らかの
形での決着の場となるのだろう。となれば
誘引策も南に近付く程成功率は上がろう。
同時に近付きすぎれば敵方の策の出番と
成りそうだ。機は重々推して図るべきだ。
そう考えたがゆえ、デレクは誘引策の
即時実行を見合わせていたのだ。もっとも
それが吉と出るか凶と出るか。神ならぬ人の
身に知る術などはなかった。
「おぃデレクェ……
ジラしプレイにも限度ってもんがだな」
嘆息交じりにインプレッサが苦笑した。
大見得きってすっかりやる気になった後
延々と待たされるのは流石に辛いらしい。
「うむ。まー対人であれ対異形であれ
距離感は大事だ。それを学ぶ良い機会だな」
しれっと嘯く騎兵隊長たる城砦騎士デレク。
「学んだところで活かす機会がだね……」
「次の休暇で活かせよ。アウクシリウムにゃ
セシリアちゃん以外にも美女は多いぜ!」
「よせ、俺のトラウマを抉るんじゃねぇ……」
やや萎え始めたインプレッサ。
テンションで大きく能力の変わるタイプだ。
デレクは軽く首を振り
「よし! 時は今!」
と明るく声を張り上げた。
「おっしゃ!」
「出番だ!」
「ほれ行けやれ行け!」
「インプさんのいいトコ見て見たい!」
第四戦隊兵士らは城砦騎士団でも屈指となる
最高のノリの良さを誇る。とにかくお調子者が
多いのだ。ひょいひょいと岩塊や飛礫を避け
つつも手拍子喝采で囃し立てた。
「ぅおっしゃぁあ! いかいでか!」
一声吠えたインプレッサ。
物見のためただ一人在った高台で
大いに愛馬を竿立たせ、青鹿毛の愛馬は
高らかに嘶いた。
「いくぜぇラリィ!!」
愛馬に一声呼び掛けて、共に身を低くし
一気に斜面を駆け下り加速するインプレッサ。
青鹿毛の愛馬ラリーの余りの脚力に馬体を
大いに横滑りさせ、派手に砂塵を巻き上げ
突っ走っていった。
荒野の奥地たる西に向かい、広く長くのぼる
裾野でもある岩場に在り、騎兵隊の往く手を
先回りする格好で降りつつ投げつつしていた
件の異形は、既に大回廊の手前、概ね
20オッピ内に至っていた。
高低差も相当に小さくなり距離も近付いた
事で、小粒な岩であれば既に振りかぶっての
上投げも可能となっていたが、異形は敢えて
そうはしなかった。決め手は取って置くものだ。
だがそうした異形の元に北方から、
単騎猛然と迫る者がある。単調な攻め手に
倦んでいた異形は生来の闘争本能と嗜虐心に
刺激を得、腹の顔に凄惨な笑みを浮かべていた。
単騎迫る騎兵の速度は他の騎兵らに数倍し
異形の予測を超えたものだった。逆に言えば
騎兵の群れはあれで随分速度を抑えていたと
いう事になろう。
そして今迫る単騎の速さが本来の戦闘速度。
そういう事になるのだろう。異形は油断せず
そう理解し、さらに数歩慎重に間合いを詰めた。
概ね大回廊まで10オッピ強。
全長1オッピかつ6本の屈強な肢を有する
異形であれば、そして高低差を考慮すれば
一足飛びの強襲も選択肢に入る間合いであった。
異形は地に面した腹部に在る、やたら
人めいた不気味なる顔で一つ舌なめずりし、
そして近場の岩塊を掴んだ。
1オッピ≒4メートル




