サイアスの千日物語 百四十三日目 その二十二
大湿原の西手、中央城砦の在る高台が元来
城砦南方に残していた平坦部とは、概ね
300オッピ弱であった。
本来はその近辺に高台の終端が在って
東側は1オッピ前後、西側は数オッピ前後
となる周辺との高低差を有していた。
高台外縁部の勾配は総じて40度程。
但し南西に近いほど魔軍に踏み固められて
平坦化し平地の連続に近いなだらかさを持つ。
お陰で俯瞰したならば、高台南部は「ν」
の如く南西に長い裾野を有していた。
そして「アイーダ作戦」の本隊である
城砦騎士団長チェルニー・フェルモリア
王弟殿下自らが率いる主力の軍勢500名は
この地勢を最大限活かす形で南西へ進軍。
目的地である城砦より南南東概ね
1000オッピに在る「オアシス」からは
一時的に大きく離れる格好となっていた。
現在主力の軍勢は城砦外郭防壁西端より
南南西1200オッピ程の地点に仮布陣し
進軍を開始して4度目となる休息を取っている。
現在時刻は午前8時間近。
第二時間区分初旬終端だ。目指すオアシスは
現在地から直線距離で1500オッピ程。
進軍状況を維持できたなら、オアシス到着は
午前11時半ばとなるだろう。参謀部の策定
した作戦計画では、昼に到着となっていた。
進捗としては理想値の達成にすら余裕がある。
平素のお困り振りからはまるで考えられぬ、
まさに「戦の主」の異名に相応しい統率振り
を騎士団長チェルニーは示していたのだった。
一方その頃。
「アイーダ作戦」における輜重を預かり
作戦の正規構成員である工兵100を含む
総勢200余からなる独立機動大隊。
城砦騎士団第三戦隊長代行にして城砦兵団長。
サイアス・ラインドルフ西方諸国連合準爵の
率いる「ヴァルキュリユル」は城砦外郭
南防壁より南に300東に100。
すなわち中央城砦とオアシスを結ぶ線分の
うち、北から400オッピとなる地点の
高台側に布陣していた。
ヴァルキュリユルの役目はアイーダ作戦の
目的地であるオアシスまでの輜重の輸送。
そして現地での野戦陣の設営となる。
野戦陣の設営後は隊から工兵50を
切り離して現地に残留させ、残る150で
城砦へと帰還、再編成の後今度は「グントラム」
作戦の舞台となる城砦北北西を目指す。
そういう事になっていた。
要はヴァルキュリユルの大多数は日帰り
でありとんぼ返りな強行軍だ。そして
その後も戦闘を含む軍務に当たる事を思えば
序盤の移動距離は極力抑えておきたいところ。
さらに輜重隊はその重要性から敵に真っ先に
狙われる。敵地の只中を往く距離が増えれば
その分危険が増す事を思えば矢張り移動距離は
極力抑えておきたいところであった。
なのでサイアスは最短距離を往く事にしたのだ。
言うは易し行うは難し。
そもそもそんな事ができるなら主力軍が
真っ先にそうしているだろう。城砦の在る
高台は東手ほど高低差が少ないがそれでも
優に1オッピはある。
魔軍が大規模侵攻に用いる事がないため
依然として不整地のまま。高低差の少ない
箇所ほど急勾配。工兵の測量によれば今居る
辺りでは概ね70度前後とほぼ断崖であった。
軽装の歩兵であればロープを支えに滑り降りる
事も適おう。馬術の手練れであればカモシカ
宜しく自在に駆け下り登れもしよう。
だが重装兵と車両は無理だ。どちらも
この勾配では滑落死自重で損壊する。
両者の自重を鑑みれば、1オッピの高低差
には致死級の重みがあった。
ここから大きく北東に迂回したならば、
多少の成功率が見込める些か緩やかな場所
もある。かつてサイアスが城砦までの旅路を
共にしたカエリア王立騎士団の輸送隊は
実際にそこを馬車で乗り切っていた。
もっともヴァルキュリユルの有する
巨大な車両ではわざわざ迂回してみても
無駄足になる可能性が高かった。
大前提として、輜重隊は昼までにオアシスに
到着せねばならなかった。主力の軍勢の、
特に一様に大なる第一戦隊兵士らのための
糧食を巨大車両数台に満載で運んでいるからだ。
よって楽観的な仮定に基づき無駄にして良い
時間などは端からこれっぽっちも無かった。
この辺りの冷静な割り切りはデレクとも通じる
ものがある。だがサイアスはその無茶振りで
デレクを数段上回っていた。
「ランド、セントールはどうかな」
愛馬にして名馬シヴァの背から
サイアスが後方の大箱に声を掛けた。
「厳しいね。全長が長いので十中八九
つっかえちゃう。最悪裏返るかも?
貨車はもっとそうだよ」
大型馬車に近い巨大なる棺、または船状な
特殊機動装甲車、セントールのうちより
くぐもった声が響いた。
セントールは他の車両とはことなり無限軌道
「ウロボロス」を有している。側面にズラリと
並んだ歯車様の車輪の外側を帯状の輪で
覆ったセントール。
起伏の多い不整地をものともせず駆けて
のける高い走破性能を有してはいたが、
それでもこの高低差は厳しいようだ。
「軍師殿。セントールが裏返らず
確実に降下し得る角度と高低差の算定を」
「アトリアとお呼び捨て下さい、閣下。
縁の半オッピ手前から45度で
縁を半オッピ掘り下げれば大過なく。
他の車両を考慮するなら距離を倍以上、
角度を半分以下にすれば宜しいかと」
サイアスの問いに世間話の如き流れで
ヴァルキュリユルに随行する城砦軍師の一人、
参謀長補佐官たる正軍師アトリアが応じた。
アトリアは普段の軍師然とした
ローブ姿ではなかった。
随所を小札で補強した夜空色、東方風の
コートオブプレートを纏い額に頭冠。
肩より長い黒髪はうなじで束ね、首元を覆う
大振りな漆黒のスカーフに隠し、両の腰には
鍔の無い無反りの小太刀を佩いていた。
「了解しました」
サイアスはアトリアに小さく頷くと馬首を
北へと翻してそのまま馬足を一歩、二歩。
自身の北方に整列し待機する
工兵100名へと声を掛けた。
「工兵諸君、手順は三つだ。
一つ。
縁の2オッピ手前から幅2オッピで
縁に向け22.5度で掘り下げつつ
出た土砂で土嚢を作製する。
二つ。
掘削域の左右外縁部に土嚢を積み上げ
壁面を構築。これにより周囲との
高低差を相対的に大きくする。
三つ。
資材を組み上げ戦陣構築法を用いて
随時敷設。土嚢の壁面を補強し恒久化に
努めた上で、掘削域に跳ね橋を備え付ける。
以上を以て当地に城門を構築する。
周囲の壁面は本作戦終了後も逐次伸張
せしめ、ゆくゆくは中央城砦『三の丸』
の外郭防壁と成すのだ。
ここは既に戦地である。いつ何時
敵襲が在っても何らおかしくは無い。
そんな死地の最中にあってなお、
今諸君らには平素以上の精密さと
何よりも速度が求められている。
だが、それでもきっと成し遂げよ。
平原の人の世、そして城砦騎士団の
今後100年の栄光は今このとき、
諸君らの成すこの一手により始まるのだ。
諸君、その手で歴史を作ってみせよ」




