サイアスの千日物語 百四十三日目 その十八
朝の青々と澄んだ世界で灰色の岩場を
一心不乱に駆け下りてゆく某か。そして
岩場の麓で盛大に旗を振り、或いは歓声を
上げて到着を待ち詫びる人馬の群れ。
荒涼の大地での種族を超えた邂逅。
そんな感動の名場面に見えなくも無さそうな
矢張り果てなく無理があるようなワンシーンは
すぐに全力でかなぐり捨てられた。
ジグザグをやめ直滑降な勢いで転がるように
距離を詰める岩場の異形は不意にガバリと
上体を起こした。
距離はおよそ70オッピ。
物見を務めたインプレッサの報の通り、
もたげた腹には人に似た目と鼻と口。
最早目視でそれが判った。それほど
巨大な顔だった。
「うぉ、マジだキモッ!」
歴戦に歴戦を極めた精鋭中の精鋭ゆえか、
未だ近接にはほど遠い距離があるゆえか。
とまれ騎兵隊には未見の異形に相見えて
脅え竦み思考を奪われる者は皆無だった。
お陰で
「散れ!」
との手短過ぎる下命に対して
どこへどう逃げるのかといった愚問を抱く
者も皆無であり、適宜咀嚼し最適解を構築し
そして履行してのけた。
大回廊を伸びやかに、しかし一糸乱れず
南へと駆けていた騎兵隊30名は、さながら
大魚に突っ込まれた鰯の群れの如く、魔法の
如き鮮やかさでさっと四方に散開した。
そして騎兵隊の流れが在った一帯には
大魚の代わりに岩塊が突っ込んで派手に
地を抉り飛礫を蒔いて高台側の傾斜に炸裂した。
激しく岩場を駆け下る件の異形が
勢いを殺してでも上体を起こしたのは
足下の岩塊を掬い上げるためであり
そして駆け下る勢いを膂力として
盛大に岩塊を下方へと放るためであった。
巨体の突進力と傾斜を最大限に活かして
玉突き事故の如く放たれた岩塊は何度も
不規則にバウンドしながら底を目指し
それでいて騎兵の進路を読みきった精確な
着弾を成した。
環境と巨躯を活かしただけの突発芸ではない。
高度な知性と緻密な演算に裏打ちされた精妙に
して恐るべき一手であった。
「ゥオゥ! あっぶねぇな!」
「何しやがんでぃっ!!」
「当たったらどうすんのよ!!」
などと口々罵りながら騎兵隊は元の陣形へ。
なまじ精確な攻撃ほど、歴戦を極めた者には
読みやすいということか。続く2撃目3撃目も
蜘蛛の子を散らすように避け、挑発的にしれっと
元の陣形に戻って、を繰り返した。
ただし異形は足も思考も止めてはいない。
一つ岩塊を放り出すたび移動してこちらから
的を絞らせず、かつ捕捉を外そうともしていた。
砲撃者が専ら弱点とするのは機動性の低さ。
狙って撃つために足が止まり、次の挙動にも
時間が掛かる。一方で弾道から在所を読まれ
そこを狙われればひとたまりもない。
この異形はそれを判っている。判った上で
さながら騎射ばりの逃げ撃ちを披露して、
かつ逃げずに迫っているのだった。
距離がさらに縮まれば岩塊を転がす挙動に
直接投射も加わるだろう。何せ足が6本もある。
直にこちらの対応を超えてくるに違いなかった。
「デレク! 観測は!?」
自称イケメンズの一人が異形を睨みつつ吠えた。
異形との距離はおよそ50オッピ強にまで
近付いている。
とはいえいかな騎馬の達者とて岩場かつ高所に
切り込むわけにもいかぬ。何より荒野の異形、
それも大物だ。情報支援なく突っ込んだところで
生餌として踊り食いされるだけであった。
「初めて見るヤツだなー。
20台後半ってとこか」
切迫した状況にありながらも
デレクは軍師の目を活かしつつそう答えた。
未だ暢気に笑顔で大漁旗を振りまくってもいた。
「そりゃまた結構な大物だな。
特大の大ヒルに近いかねぇ……」
かつての北往路での救援作戦を思い出し
あの大ヒルはとんでもない化け物だった、
とどこか懐かしみ苦笑するレクサス。
その化け物を倒したデレクやヴァンクインは
言うに及ばず、初見な特大の大ヒルに欠片も
臆さず立ち向かう、どころかコンサートまで
やってのけたサイアスなどは、その頃から
レクサスの中では化け物認定であった。
もっともレクサスにせよ他の自称イケメンズ
にせよ、岩場から異形の仕掛ける岩塊の雨霰を
事も無げに人馬一体でひらひらと避けている。
十分化け物側ではあった。
「既出な戦歴情報の範囲だと上位眷族
『大口手足増し増し』ってのに近い。
そいつの戦力指数が36だ。
それより高いって事はないだろう。
2割引して29でどうだ」
「売りモンじゃねーんだよ」
「てか要らんわ!」
デレクの声に適切なツッコミを入れる騎兵隊。
現在地は東側の城砦外郭防壁と照らして
北から2割5分ほど進んだところを駆けていた。
デレクの観測技能の値は5。初見の異形に
対する戦力指数の観測は技能値の5倍まで。
この異形の戦力指数は判然とせぬゆえ
25より高く、大口手足増し増しが36ゆえ
足2本分で2割引き。よって30ほどだろう。
これがデレクの見立てであった。
「『増し増し』に成りかけって事か?
んじゃ『大口手足増し』状態かね」
「いやアレはアレで完成されてないか?」
高台から下方へと身を乗り出すインプレッサは
レクサスらと分析を引き継ぎ喧々囂々な議論の末
「読めたぜ! ズバリ、アレは雄だ!!」
との結論に至りドヤった。
岩塊の炸裂する中舞うように駆ける
騎兵隊らは騒音の中暫し沈黙し、のち曰く。
「……つまりアレか?」
「お前は男にウインクされたと」
「!?!?」
蓋しそういう事になるだろう。
「おー……」
「モテモテじゃん!」
「良かったな、インプ!」
修羅場に在ってなお屈託なき
デレクと愉快な仲間たちの祝福を受け
「クソッ! オチ担当かよ!!
ここにシェドが居れば
俺がこんな目に遭う事は…… ッ!!」
と激しく頭を抱えるインプレッサ。
居ないものは居ない。致し方無かった。




