サイアスの千日物語 百四十三日目 その三
平原の、とりわけ西部に住む者にとり、
歴史とは精々数百年のものだった。
彼らの故郷を散々に滅ぼした大災厄たる
「血の宴」の発生した時期ですら150年
から200年前と不正確だ。これは文字や
暦法が支配層の独占物であった影響も大きい。
平原全土で見た場合、識字率は5割に満たない。
字や図が読めずとも日々の暮らしには差し支え
ない上、そもそも啓蒙への意識がない。
「兵士提供義務」などという致死の賦役が
存在しなければ、己が生まれ育った村から
一歩も出ずに生涯を終える者も少なくない。
そうした者らにとり平原の地理や歴史とは
まさに無用の長物。況や荒野をやと
いったところだ。
職業的な必要性に駆られる一部を除けば
地理や地勢に詳しい者は稀で、血の宴による
文明崩壊からの復興にあえぐ諸国はひたすら
実学を重視。考古や温故は埒外であった。
だが平原4億の人のうちには時代の精神に
囚われる事なき奇矯な学徒も皆無ではない。
そしてそのうち不幸にも兵士提供義務で荒野へ
と送られさらに幸運にも緒戦を生き抜いて。
幸か不幸か軍師の目の発現をも得た極め付き、
筋金入りの碩学も中には居る。
そうした凡そ4億分の20未満の確率で存在
する比類なき知性は荒野の地勢を語りて曰く。
荒野東部の数割は
かつては水中に在ったとの事。
恐らくは現在「北方河川」と呼ばれる
相当に大なる流域面積を誇るあの川が
僅かな往事の残滓である。
そしてその本流となる大河或いは特大の
湖沼が荒野東部一帯を埋め尽くし、気の
遠くなるような年月を経るうち気象や
地形の変動により干上がり路頭したのが
今ある荒野だという訳だ。
こうした説を裏付けるには実地の調査が
不可欠となるが、それにはまず荒野の
異形を殲滅し安全を確保せねばならない。
議論としてはある種本末転倒であるため
その辺りは一旦措くとして。
中央城砦の占有する大湿原西手の高台とは
こうした説を唱える識者の見解では
河岸或いは浅瀬の棚で、西手を南北に走る
幅数オッピから十オッピ程の低地はまさに川底。
そしてそこから西手を上りゆく岩場とは
川の最中に浮かぶ岩島の「足」といった
見立てであった。
城砦西手の岩場は西への緩やかな上り坂と
なっており、直線距離にして1000オッピ
程で城砦外郭防壁よりも高くなる。
その先の様子は城砦からは見えない。
これは逆説的に言えば岩場よりもずば抜けて
高い構造物が西奥に存在しない証左でもある。
また、岩場の南手には西へと続く
やはり川の跡であろうと思しき坂ある。
これを上りつめていった者らの話では
岩場の続く先には巨石建造物や遺跡等が
あるという。これらは宴で顕現した
「魔」らの在所となる事もあった。
岩場の北に目を向けたなら、東から西へと
向かって徐々に川幅を広げ流れる北方河川と
大回廊の終端で合流しており、さながら
遠浅の岸壁といった有様だ。
地勢状況を鑑みれば、岩場北部には
魚人を始めとする河川の眷族らの姿もあって
然るべきところだが、魚人より戦力指数で
上回る陸生眷族、大口手足が支配的であった
従来では、そうした様子が目撃された例は
無かった。
城砦騎士団は北方河川と大回廊、そして
岩場北部が合流して織り成す奇妙な三角関係
の支配する一帯からやや東手の平坦な箇所を
取水地として用いていた。
取水は概ね5日に1度。取水用のポンプを
備えた荷台そのものが巨大な容器である
専用の特大貨車と工兵らが出向く事となる。
これを第二戦隊及び第一戦隊の予備隊が
警護する形でおこなわれており、両隊にとり
最も頻回におこなう城外軍務の一つであった。
此度の岩場北部を戦域とする作戦
「グントラム」とは、こうした状況を
十全に鑑みて企画されたものであった。
すなわち従来同地を根城としていた
大口手足が一時的にせよ減った状況に対し。
同地が元来有する荒野奥地からの侵攻に
対する盾や緩衝域としての機能を着実に残し
つつも自軍の優位を保つに必要十分となる
改造を施す事。
つまり手空きとなった岩場北部を削るなり
防壁でぐるりと囲むなどして、大口手足
にも魚人にも邪魔されず安全に取水できる
環境を構築するための一助と成す事。
概ねこの辺りが狙いであった。
実の所、この作戦は城砦内郭北西区画の
大改築において自ら図面を引き設計施工の
一切を差配した「城砦の母」。
本合同作戦においては城砦騎士団領の主
として西方諸国連合と共に平原側で采配に
あたる第三戦隊長クラニール・ブーク辺境伯
による肝煎であった。
ブークは昨今の岩場の支配権が揺れ動く事で
今後の取水関係の状況が不透明となるのを
憂慮しており、これとは別に内郭北西区画に
多数の用水用貯水槽を増設してもいた。
先日シェドが転がり落ちた「立ち入り注意」
の池などは、貯水槽を町並の憩いに活かす
形で造られたものなのだった。
城砦南方でのアイーダが失地回復の反攻作戦
であるとすれば、城砦北西でのグントラムは
言わば転ばぬ先の杖。そんなところであった。




