サイアスの千日物語 百四十二日目 その八
「さて。お面に関して
私から話せる事はこれ位かな。
ご理解頂けたかい?」
「ぶっちゃけよぉ判らんとですたぃ」
シェドは至極真顔でそう応じた。
パンテオラトリィはそんなシェドに
なおも楽しげに語りかける。
「フフ、素直だねぇ……
まぁそもそも君は理屈を理解したくて
ここへ来たのでは無かったのだろうしね」
「ふむぅ?」
「お面が味方だという確証が
欲しかったのだろうという事さ」
「それはそーですな!」
「だが私はそのお面ではない。
そのお面の意図や心情は
憶測以上には語れないんだ」
「にゃるほろ……」
「という訳で、だ。
折角ご足労頂いたわけだし
当人に確かめてみようじゃないか」
「ファッ!?」
「私のもう一つの専門とは
実はそういう類なんだよ」
燭台の灯りがパンテオラトリィの
フードの下の微笑に複雑な陰影を映していた。
「特に気負う事はない。
雰囲気に呑まれる必要もない。
仮に厄介な事になっても私が処理する。
まぁそうなるとこのお面には
お亡くなり頂く必要があるけれど」
シェドより受け取った自らの作。
火男面の状態を確かめつつそう語る
祈祷師パンテオラトリィ。
「むしろ強烈なプレッシャー!?」
「とにかく普段通りで遣り給え。
お面もそれを望むだろうし」
「ら、らじゃっ……」
シェドが固唾を呑んで見守る中。
再びパンテオラトリィは燭台に手を翳す。
再び訪れた暗闇の中、低い韻律の呪言が響いた。
先刻同様卓上に茫洋と灯りが浮かびあがる。
だがそれは玻璃の珠の形をしておらず、
さらに卓上、中空にあった。
伏せた椀の如きそれは宙ですぅと角度を変えた。
その様はさながら眠りから醒めた人影の如し。
実際それは人の顔を。奇矯で歪な
人の顔をしていた。
「よぅ、俺っち」
中空の顔は言葉を紡いだ。
シェドはどこかその声に否定し難い親近感を
感じた。もしも他者の口が自分と同じ声を
発したら、自分の耳にはこう聞こえるのだろう。
シェドは曖昧ながらも確信をもって
それが自分自身の声であると判じた。
「お、おぉ?」
と思わず呻くシェドに
「何キョドってんだよ。
俺っちは俺っちなんだぜ?」
と中空の人の顔、火男面は語り掛けた。
「よく判らんのぜ?」
それは正にシェドの本心であったが
火男面は意にも介さず。
「俺っちは俺っちの事を何もかも
しっかり判ってるけどなぁ?
にしても上手くやったなぁ、城砦デビュー。
とりあえず野郎にはウケてるじゃねぇか。
無責任な現実逃避の引き篭もり野朗
にしちゃあ、上出来だ。
後腐れなく形振り構わなかったのが
良かったんだろうな。平原から見りゃ
死人扱いって事でノーカンだもんな。
あのグウィディオンとかいうのも
荒野に骨埋める気になってりゃ
ワンチャン有ったかもしれねぇのに」
「……」
沈黙するシェド。
火男面はお構いなしに続ける。
「どうせいつかは死ぬってのに
我が身可愛さで離宮に引き篭もった。
俺っちを立ててた派閥はその後皆殺しだ。
離宮入りな時点で継承権返上してりゃ
それ以上死なせずに済んだかも知れねぇが
それは勿体無かったんだよな。ライバル共が
共倒れすりゃ、うっかり棚ぼただってあるし。
お陰で欠片も役に立たねぇ俺っちのために
民が汗水垂らすわけだ。実際は汗水どころ
じゃ無かったけどなぁ」
「……」
「どうした俺っち。
口だけが取り得なのにだんまりか?
実際平原じゃずっとだんまりだったな。
ちょいと手を伸ばしゃ救える命も
常に知らん振りで通してきた。
花にも実にも種にも成らず
ただひたすらに、ダラダラと。
起きて喰って寝る。
それだけの暮らしだ。そのうち
そうして生きてるのにも飽きちまった。
だからここに来た。そうだよな」
シェドは暗がりに逃げ込むかのように
一言も発さず、じっとしていた。
しかし火男面はその双眸でしかと
暗がりのシェドを捉え、続けた。
「そうさ、ここには死にに来たんだよ。
何もかも嫌になって死にに来た。
別に平原でだって死ねるものを
自分じゃ決着付ける度胸もねぇから
わざわざ荒野までやってきた。
化け物に殺して貰いにきたのさ。
そこでどうせ死ぬんだからと、ついでに
あっちじゃ逃げて否定しまくってた『王子様』
ってのを、お困りなりに演じてみた訳だ。
荒野じゃ平原の柵なんぞ一切関係ない。
年齢も性別も身分もまったく関係なしだ。
だからどれだけ『ごっこ』でヘマしても、
『王子として』は責任を取らずに済むからな。
はっちゃけて見たらこれが意外と好評だ。
馬鹿にされ詰られ笑われもするが
それでも皆が自分を見てくれる。
ちゃんと観客がいるわけだ。
それが楽しくなった。
そしたらまた命が惜しくなった。
だから死ねなくなる理由を。死なないで
良い、理由を探した。そして見つけた訳だ」
「……もぅ」
「現実から逃避し責任から逃避し。
生きる事からも逃避して
逃げて逃げて逃げて。
そしてうっかり見つけた訳だ。
生きる理由を。上出来どころか
出来すぎだろうぜ、俺っち」
「……もぅ、良いって」
シェドは火男面に語りかけた。
声は意外な程穏やかで、諭すような
労わるような調子であった。
「何がだよ俺っち」
火男面は揶揄するように問い返す。
シェドはそれでも声を荒げず。
「お前、俺っちである事を
証明したくてそうやって言ってんだろ。
俺っちなお前自身の心の傷を抉ってよぅ。
お前が俺っちなら俺っちのこれまでを
振り返る事がどれほど嫌でうざくて辛くて
情けなくてどうしようもないかも知ってて、
それでも自分を傷つけて言ってんだろ。
もう良いって。そんな事しなくても」
シェドの声は穏やかで、
そして僅かに震えていた。
「お前の知ってる通り、
俺は生きてる価値もないどころか、
生きてるだけで大勢死なすクズ野朗だよ。
それでも自分で死ぬ度胸もないほんとの
カスだ。
でもな。それでも俺は、俺の事が
嫌いになれないんだ。いや、違うな……
嫌いになっちゃいけないんだ。
たとえどこの誰に否定されようと
嫌われようと蔑まれようと、俺は俺だ。
生きてる以上まだ俺だし。これからもずっと
俺なんだ。って、訳判んねぇよな……
要するに! 俺は、俺だけはずっと
俺の味方をするってこと! そんで。
生きてる以上は生き抜いてやれる事をやる。
今まで与えられたものも成すべきものも、
ほんとに何もかも台無しにしてきた
俺だけどさ。
それでもまだ一つ残ってるんだよ。
守れるものが。大事なものが!
だからよ。俺っちは絶対死なないぜ。
しぶとく生き残ってやらぁ。
お前も俺っちなら判んだろ、そんくらい!」
シェドは時折言葉を詰まらせ時間を掛け。
それでもしかと声を張り上げた。
暗がりに沈黙。それも僅かの事。
宙に在る火男面が声を発した。
「……あぁ。判ってる。判ってるさ俺っち。
ってかやっぱり俺は俺っちじゃないわ。
所詮は一枚の面、一個の思考だ。
お前みたいにゃいかねぇな」
満足と悔恨、嬉しさと寂しさ。
色々なものが入り混じった声だった。
「いいや出来るって!
お前も俺っちなら出来る出来る!
だってこの俺っちが出来たんだぜ?
最後にゃ絡繰だってぶっ飛ばしたじゃんか!
また一緒にやろうぜ、シェドごっこをよ!」
「ハハハ! そこでシェドなのかよ。
まぁ他ならぬ俺っちの頼みじゃ
仕方ないよな……」
火男面は苦笑し、そして告げた。
「俺は…… 影を名乗ろう」
「シェドとシャドウ。
つまりはブシェドゥやな!」
「相変わらず口だきゃ達者だな!
だか悪くない。そういうこった。
……我は汝、汝は我。
良いか俺っち。この先何があろうと
俺だけはずっとお前の味方だぜ。
何故って俺は俺だからだ。
まぁそういう事で今後とも宜しくな!」




