サイアスの千日物語 百四十二日目 その六
中央塔に併設された参謀部の二階には
小規模な研究用の房室が並んでいる。
正軍師や祈祷士のうちでも軍事的に有用な
研究を志す才人には、そうした房室が予算と
共にあてがわれ、趣味と実益を兼ねた研究に
あたる事を許されている。
西方三博士が一人。軍師にして祈祷士たる
祈祷師パンテオラトリィもまた、そうした
才人の一人であった。
「やぁシェド君、御機嫌よう。
相変わらず賑やかだね」
新兵の案内で自室までやってきたシェドに
パンテオラトリィはフードの下から僅かに
薄い笑みを投げかけていた。
パンテオラトリィは室内、しかも自室だと
いうのにフードを目深にかぶったままで
顔の大半は見えぬままだ。
もっとも参謀部軍師の大半がそうだ。
そこは問うには値せぬ詮無き事だろう。
むしろ部屋そのものの方が
容貌より遥かに不可思議であった。
壁は黒塗り、天井も黒塗り。随所の燭台や
ランプのお陰で光源は十分にあるのだが、
それでもやはり室内には暗さ黒さが
付き纏っていた。
シェドは未だ知らぬ事だが、この在り様は
中央塔上層部の指令室に酷似していた。
室内中央には応接用と研究用を兼ねると思しき
大きな座卓があり、その上には人の頭ほども
ある水晶球らしきものが安置されていた。
その周囲には雑多な小道具が、散乱と呼ぶ
にはどこか不自然な程に整合性を伴って
置かれていた。
「下の騒動はここまで聞こえていたよ。
ルジヌにバレずに済んだのは
不幸中の幸いかな」
「なかなか酷い仕打ちでおじゃった!」
クツクツと笑うパンテオラトリィ。
お手上げのポーズで訴えるシェド。
「ここって随分変わってるっすね!
壁真っ黒っな部屋は初めてだっちゃ」
周囲をキョロキョロと興味深げに見回すシェド。
「私には専攻が二つ有ってね。
うち一つがこれさ……
ちょっと灯りを消すよ?」
パンテオラトリィは卓上の燭台に手を翳した。
その一挙動で燭台の炎は姿を失い、周囲の
ランプも掻き消えた。
急激に生じたとっぷりと深い闇にシェドが
驚き反応できずにいると不意に前方から
小声が響き、茫洋と卓上に光球が沸いた。
人の頭に程近い大きさの光球とは先刻の
水晶球、その実、玻璃の珠であった。
玻璃の珠の発する光は幾筋もの光条となって
宙に広がり、壁に至り。漆黒の内に無数の
細やかな光輝を生じさせた。
「これって荒野の」
シェドには直ぐにそれが判った。
無論精確に理解しての言ではないが
対象の言行内容を一字一句違わず脳裏に
焼き付ける伝令としての才がそう告げていた。
「ご明察。城砦歴107年第262日
午後10時30分。つまりは
今日の現在の荒野の夜空さ」
パンテオラトリィの声が響いた。
きっとフードの下では笑んでいるのだろう。
「私の第一専攻は天文学さ。
天体の運行を観測し地上の表象への有意な
影響を探る。平原じゃ占星術と呼ばれる
ような、妖しい内容を扱う事もあるね」
「ほほー」
シェドは前方の暗がりから響く声に
周囲を見渡し感心しつつ応じた。
「元来時空に関わる知識は支配者の占有物だ。
フェルモリア王家にもそうした機密が
きっと継承されていると思うよ」
「なんか本で読んだげな?
計都がどうの羅睺がどうの」
シェドは離宮にあった書物の内容を
そこはかとなく思い出していた。
「シャニ、ラーフ、ケートゥ……
ナヴァグラハだね。
『上代テネブラ王朝』の秘儀が南に流れ、
『地の文明圏』で九曜に成った。今では
神話に秘され語り継がれている。
これらは風土に応じて随分な遷移を
経たものでね。そうした中でも最も原典に
近い、言わば『秘密の部屋の鍵』として
比較的に著名なのは東方諸国に伝わる縁起さ。
確かサイアス様の奥方の一人にも
『風の秘鍵』の継承者がいたはずだ。
もしも君が大王位を継いだなら、その時は
『地の秘鍵』を受け継ぐのかも知れないね」
「風に地…… 四つあるんすか?」
「いいや六つさ。
光と闇は失伝している。
闇の王朝の忘れ形見が居れば
何か知っているかも知れないけどね」
「ほへー…… まぁでも俺っち
継承権返上したんで関係ないっすね!」
「あぁ、そうだったね…… フフフ」
シェドは暗がりの中でゴメンナ・スッテを
数度繰り出し、暗がりでもそれが見えるのか
パンテオラトリィは愉快げに笑った。
「さて、本題に入ろうか。
用が有って来たのだろう?」
パンテオラトリィはパチリと指を鳴らした。
すると卓上の燭台が再び炎を宿し、それに
呼応し周囲のランプにも灯りが灯った。
「そうなんす! 実は……」
シェドは営舎での諸々を話して聞かせた。
パンテオラトリィは表情こそ常となんら
変わらぬものの、顎に手を添え思案げに
シェドの話に聞き耽っていた。
「成程…… 中々興味深い話だね」
パンテオラトリィはシェドに頷き分析を始めた。
「まずはサイアス様の見立てだが。
眷族が魔力の高さを魔なる存在の目安に、
さらに言えば臣従の礎として認識
しているという仮説はとても面白い。
これが事実なら、研究次第では
魔力の高い人は眷族を一時的にせよ
支配下に置く事ができるようになる
かも知れない。
無論人が魔に魔力で敵うなど原義的に
有りえないから、魔が直接統率する
魔軍には効かないだろう。
指揮系統に一時的な乱れを引き起こす
くらいはできるかも知れないけどね。
それでも十分過ぎる成果だが。
また一方で、魔の意向から離れて
独立別個に動く言わば『野良』
の個体であれば……
フフフ。『魔力による魅了』か。
件の『ねんねこにゃー症候群』が
眷族にも発症するならとても愉快だね」
パンテオラトリィはフードの下で
仄かな笑みを浮かべていた。




