サイアスの千日物語 百四十二日目 その三
営舎詰め所の大扉を抜けた三人衆が
居室の並ぶ長い通路へと入った折。
丁度奥でサイアス邸の扉が開き、デネブが
肉娘数名を伴って食堂へ向かうところであった。
デネブはピクリとうさ耳のみ動かして
三人衆の気配を察知。夕餉に参ずる人数を把握し
通路をさらに奥へ。肉娘衆は黙々とそれに従った。
一方シェドはデネブのうさ耳ピクリに
ビクリと跳ねてグラグラと揺れた。
「や、ヤヴァいのではないか?
あの屋敷は大変にヤヴァいのではないか!?」
実に挙動不審にシェドはうろたえた。
「ぁん? 今度はデネブにビビったか?
嫁御衆じゃ一等可憐な萌え系じゃねぇか」
と呆れるラーズ。
そもそも外観が掛け値無く甲冑そのもの
である事から特段に差っ引くまでもなく。
デネブが準爵夫人の中では最も可憐な存在
である事は、誰もが認めるところであった。
「言うてもやな!
あの迫力は超ライオンやで!?」
とシェド。
知ってか知らずか、デネブの本名たる
デネボラとは『獅子の尾』を意味する。
「一時期『槍獅子』とか『闇獅子』とか
呼ばれてはいたね。今はすっかり
ウサウサだけど」
とにこやかなランド。
デネブの槍の腕前は技能値で8。
城砦騎士団では支城を預かる筆頭城砦騎士、
「鉄人シブ」ことシベリウスに次ぐ技量であり
平原なら遍く天下に名が轟く水準であった。
確かに駆け出し剣士なシェドとしては
デネブは畏敬すべき雲上の存在ではある。
だが今側にいるラーズが弓術9な事を思えば
ラーズに対する以上に怖じる必要はなさそうだ。
シェドは何とか気を取り直し、引きずられつつ
奥へと進んだ。
ほどなく邸宅の扉に至ったシェドは
「いけん! こりゃいけんけん!
よういうてつかぁさい!」
と足を竦ませ座り込むようにして
ガタガタと震えだした。
「チッ、訳わかんねぇ。
ランド、通訳を頼むぜ」
「行けない。とても行けないので
よろしく伝えておいてくれたまえ」
相部屋なシェドの影響か
言語技能の上昇著しいランドがそう訳した。
シェド曰く視界がグニャリしグルグル
まわって最早立っていられないのだとか。
シェドの目には邸宅そのものが禍々しき
妖気を放つ魔物に見えているとの事だ。
と、そこに扉が内から開かれた。
「ひょえぇ! 虎じゃ!」
と叫び尻餅をつくシェド。
扉を開けたのはクリームヒルトであった。
剣術技能こそシェドと同水準だが盾や槍では
一枚上手。さらに戦力指数では2程上だ。
赤子と猛獣ほどの格差であった。
来客か伝令かと判じて扉を開けたクリームヒルト
ではあったが、当てが外れたためアイスクリンの
愛称よろしく冷たく一瞥。すぐに奥へと
引き揚げていった。
「おぃ手前ぇ、いい加減にしねぇか」
と不穏な予感に苛立つラーズ。
「そうだよ。僕らまで
不審者扱いされてしまうじゃないか」
ランドも大いに同意であるようだ。
と、通路の奥より食器を携えて肉娘衆が
引き返して来た。三人衆はその進路上を
派手にふさいでいる。
大事な大事な、食事が懸かっている。
肉娘衆はクリームヒルトに及ばずとも
羅刹の如き殺気を放って三人衆を凝視し
シェドは益々恐れ戦いた。
「チッ」
これ以上はこっちがヤヴァい。
そう判じたラーズは短く舌打ちすると
ランドと見合わせシェドを邸内へ蹴り込んだ。
シェドは声にならない悲鳴を上げた。
そこには奈落が広がっていた。闇色の某かが
うなりうねり渦巻いて全てを飲み込み蠢いて
いた。シェドは上下左右の感覚を失い漆黒の
中空に放り出されたかに感じた。
次の瞬間、シェドは夜の荒野の只中に一人
転がっていた。荒野であろう事は確かだが、
今までにこんな光景は見たことがないように
思う。そう訝しんでいると遥か彼方が弓なりに
閃光を発し、天そのものであるかのような
巨大な橙の光球が灼熱と爆風と共に迫り来た。
最早あらゆる感情を抱く事すら許されず、
漠然と、ただ呆然と。以前同じ光景を見た
ような、とシェドが感じた次の瞬間、
ぼとり。
と落ちる音がして、シェドの双眸は
柔らかな灯りに包まれた邸内の風景を映した。
周囲を見やれば確かにここは見慣れた場所。
第四戦隊営舎内、サイアス邸の広間であった。
呆気に取られキョドるシェド。
その足下には火男面が落ちていた。
「随分変わった体験をしたようだ」
と仄かに笑みを見せる風のサイアス。
傍らでは一家の面々がめいめい寛いでいた。
第四時間区分初頭、午後7時手前。
食後の茶を愉しみつつの事であった。
「訳判んねぇべや。
マジこんがらがりんぐ……」
すっかりお手上げな風のシェド。
卓の両隣ではラーズとランドが特に
気にした風もなくのほほんとしていた。
「多分に推測を含むけれど、
説明できなくはないかな」
とサイアス。
「ぷりぃずびってしるぶぷれ!!」
胸前で手を組んで小首ともどもくぃと捻り
激しくアピールするシェドであった。
「一応確認しておくと、
今は何ともないんだね」
「サー! イェッサー!」
「相手の力量への見え方は?」
「何か強そう? くらいであります、サー!」
「成程」
サイアスは茶を一口。そして一言。
「君はここで起きたんだろう」
和やかに賑やかだった邸内が静まり返った。
「……ぱぁどぅん?」
「広間に入るまでは夢現だったということ」
「俺っち自分で起きて着替えて
詰め所で皆ともしゃべってたで!」
「それは君であって君じゃない」
「????」
サイアスの言に困惑し、
もげそうなほど首を傾げるシェド。
「君の纏う人格の鎧の一つ。
と言うのは流石に詩的に過ぎるかな」
クスリと笑んでみせるサイアス。
「どうせなら節を付けて歌にしたら?」
「そういうのもいいね」
ニティヤの言に楽しげに頷いてみせた。
「サー! 単刀直入におなしゃっす! サー!」
半ば泣きそうな声で訴えるシェド。
結論を聞く度胸自体はあるようだ。
サイアスはすぅ、と手を伸ばし
シェドの懐を指差した。
小豆色のガンビスンの合わせを一部外し
挟み込むようにして懐にある物。それは
「その面さ。面が君を演じていた」
「!!!?」
「居室で君の目が覚めた時点ではまだ
安静の必要な状態だったんじゃないかな。
そこでその面は君を寝かせ休ませて
代役を演じていたんだよ」
シェドのみならず多くが息を飲む風だった。
「まったく気付かなかったが」
とラーズ。
「僕も僕も。というか
まったく普段通りだったよ?」
とランドもまた請合った。
「それだけ意識の一体化が進んでいる、
という事になるのかな? まぁ害意は
特にないようだけれど、やろうと思えば
いつでも乗っ取れる状態にはあるのかもね」
「……」
シェドとしては二の句も継げず。
「前に言わなかったかな。
それ、素材が大ヒルの皮なんだよ」
との暴露には、肉娘衆とラーズが一斉に引いた。
「初耳やで!」
と当のシェド。
「そぅ? まぁ些細な事さ」
とサイアス。
一家とランドは魔術講義の合間にサイアスと
ヴァディスが談笑しているのを耳にして凡その
推測が付いていたため驚きはしなかったが、
勿論歓迎する様子ではないようだ。
「特に口の部分は大ヒルの口をそのまま
活かす形で出来ているらしいよ。凄いね。
まぁそこらが理由で魔具としての意識或いは
記憶の中に、大ヒルだった頃の意識や能力が
幾らか残っているんじゃないかな。強力な
治癒能力はそういう理由な気がするね」
「ふ、ふむぅ?」
サイアスの語る内容に驚きつつも納得し、
されど仕組みの解明には一歩及ばぬ風のシェド。
「眷族は魔を崇拝し盲目的に服従している。
元来概念存在たる魔を眷族らが知覚するのは
魔としての存在力…… 少々乱暴に帰結するなら
魔力の高低によって、なのかもしれない」
とさらにサイアス。そこに
「……つまり、魔力の高い相手に反応して
脅え竦んでいたって事かしら」
ニティヤが合いの手を入れた。
「恐らくそうだろうね。
詰め所はこの広間より広いから、副長や
デレク様に耐え切れたのだろうけれど。
ここじゃどこにも逃げ場がないからね。
追い詰められた結果例によってポロリ。
そういう事なんじゃないかな」




