サイアスの千日物語 三十二日目 その四
二連打三度の鐘の音と共に、営舎から現われた教官は5名。
そのうち中央の一人は、軍服を纏い眼鏡をかけた女性だった。
サイアスはその女性に見覚えがあった。確か参謀部資料室の受付で
面識を得ていた。ただし良い印象は持たれていないはずだった。
「……よくよく女性とご縁があるようですね。結構なことです」
どうやらロイエのことを言っているらしい。どこをどう見たら
ご縁などという有難いものに見えるのか問い詰めたく思われたが、
サイアスは無難に会釈を返すに留めた。一方ロイエは
こうした女性が苦手らしく、サイアスを盾にして隠れてしまった。
「うげ、俺も苦手だわあーいうの……」
いつの間にか戻ってきた男がそう呟き、
例によってその声は、静まり返っていた広場によく響いた。
「……」
女教官はギラリと眼鏡を反射させつつ射殺すような視線を投げかけた。
「ひっ」
男は叫んでサイアスの背後に隠れようとし、
既に隠れていたロイエと仁義なき口喧嘩を始めた。
(なっ何よあんた、ここは私の場所よ、あっち行きなさいよ……!)
(お前じゃでか過ぎてはみ出てるって! 俺に代われ……!)
(ふ、ふざけんじゃないわよ! この華奢な私に何て失礼を……!)
(前見ろよ、お前より華奢なのいんぞ……)
(こいつめー! 人が下手に出てれば調子に乗って……!)
「どこが下手だよ!! 常に大上段のクセに!!」
「うっさいわね!! ヘタレは地べたに這いつくばってればいいのよ!!」
二人はヒソヒソと罵り合っているつもりらしかったが、
周りが静まりかえっていたため丸聞こえだった。さらに二人とも、
終いには興奮して普通に叫んでいた。サイアスは巻き添えを回避すべく
数歩横にずれ、二人は女教官の視線をもろに浴び、硬直した。
「……」
女教官は凍てつく視線で睨み付け、そして咳払いを一つした。
ロイエと男は直立不動の姿勢となった。
「……今回は警告に留め置きますが、繰り返されるようだと
処罰の対象とすることも検討しますよ?」
「……教官殿! 処罰とはどういったものでありましょうか!」
勇敢にも例の騒がしい男が聞いてのけた。
周囲から、おぉ、というどよめきがあがった。
なにやら侠気を上げたようだった。
「そうですね。知っておいた方がいいかもしれません。
補充兵への処罰は至って単純なものですし」
女教官は眼鏡に手をやりつつさらに続けた。
「補充兵に対する処罰とは、一晩表に立たせる、ただそれだけです。
ただし表とは防壁の外。朝まで生きているのは稀ですね。
また生きていても大抵壊れてしまっていますが……」
端的に言うと、魔や眷属を釣る餌にするということだ。
そして釣られた敵を迎撃し、可能なら仕留める。
餌の状態には頓着しない、と。
「規律に従えないようでは兵として使えません。
しかし貴方がた補充兵は、言わば平原の代表。使えなくても
使わなくてはなりません。そうした理由から考え出された
処罰です。大丈夫。必ず役に立たせてみせましょう」
そう言って女教官はにっこり笑った。
補充兵たちはしわぶき一つあげなくなった。
(あかん、こいつはあかん……!
どうすべぇ、なぁおいどうすべぇ!)
件の騒がしい男は必死な小声でサイアスに擦り寄ってきた。
サイアスは面倒なので最前列中央、女性教官の眼前まで進むことした。
(ひぃっ! き、貴様裏切るかぁー!)
男を無視し、サイアスは教官に向かって肩を竦めた。
「まぁ、貴方を処罰する権限は、私にはありません。
できれば大人しくしていただきたいものですね」
女教官は参謀部に所属する城砦軍師の一人であり、
参謀部付き兵士、すなわち城砦兵士長の階級にあった。
そのため、先任ではあるものの、特務部隊である第四戦隊の兵士にして
城砦兵士長の階級にあるサイアスとは同格であった。
「……無駄話が過ぎました。
それでは午前の訓練課程を開始します。
午前は座学。今日はそのための最低限の準備として、
識字能力に基づいたクラス編成を行います。
城砦兵士は知力を元に編成される集団ではありません。
そのため同じ階級の兵士同士であっても知識や教養には
格差があって当然です。そして格差の大きい集団に
同じ講義を行うのは非効率です。
そこで最も判り易い差異である、
言語への習熟度で大別しようというのが趣旨となります」
そこまで一気に説明すると、女教官は自身の背後を示した。
四つの横長な机が置かれており、それぞれに5つずつの
書類の束が積んであった。
「まずは右端の机を使います。そこにある5つの書類の束の前に並び、
順番に自身の氏名を記帳してください。母国語でお願いします。
記帳できなかった方は、机の後方の教官の後ろに並んでください」
「次に右から二番目の机を使います。
母国語での氏名の記帳ができた方は、机の向かいに居る
教官の話す内容への返答を、母国語で正確に記帳してください。
これが問題なくできた方は、右から三番目の机に移動して貰います。
できなかった方は、対面の兵士の後方へ」
「右から三番目の机では、共通語を扱います。教官からの共通語による
問いかけへの返答を、共通語で記帳してください。できれば最後の机へ。
できなければ教官の後方へ」
「最後の机では共通語を用いた簡単な適正試験が行われます。
教官の問いに口頭で答え、その後指示に従ってください」
女教官は滑らかな口調で一通り説明を終え、言い放った。
「それではこれより補充兵194名への識字能力に基づく編成を行います。
右端の机へ向かい、適宜開始してください」
200名いた補充兵のうち、6名は既に処罰等なんらかの事由で
消えたらしかった。サイアスはふと、
夜に出遭った暗がりに潜む人影を思い出していた。




