サイアスの千日物語 百四十一日目 その四
「次は北の件だけれど」
サイアスは出動候補のいま一方を語り出した。
「城砦より北東、大小の湿原の狭間に在る
支城『ビフレスト』絡みの任務となる。
先の『架橋作戦』や『魔笛作戦』を経て、
小湿原の内外に随分な変化が見られる
という話でね。
これまでは支城北城郭からの目視観測で
対応していたのだけれど、実際に人を
送り込んでみるとの事で。
当戦隊が担うのはこの小湿原調査隊の
護衛と支援。彼らを狙って動くであろう
小湿原の残存戦力や北方の河川の眷族らを
適宜排除するのが役目だね」
小湿原に人を送り込む。この一言に
邸内の一同は驚きを禁じえなかった。
荒野の只中に中央城砦が建設されて
既に100年を超えるものの。
防衛で手一杯であった事や
余りに巨大過ぎる事などから。
大小の湿原に関しては、専ら外縁部について
しか、その状況が判然としてはいなかった。
そしてそれら湿原の外縁部とは毒草や潅木の
繁茂する羽牙の根城であったり、汚臭に満ちた
底知れぬ泥炭地であったり。
凡そ人の、いや人と異形の区別なく
地を往く者らの立ち入れぬ「毒の沼」
であると見做されていたからだ。
そこに足を踏み入れるという。
耳目を疑いたくなるような内容ではあった。
「今からおよそ3朔望月前に
おこなわれた、かの『架橋作戦』にて。
大小の湿原の狭間の領域。
潅木が途切れほぼ泥炭の海である、
南北150オッピもあるその一帯に
橋が架けられたのは皆も知っていると思う。
その架橋工事の際、スターペス様率いる
工兵隊は橋の直下、橋桁の近傍に対し
少しでも泥炭の流動を抑え足場を固めようと
『三和土』なるものを撒いていたのだとか。
三和土とは平たく言えば整えられた砂利。
これを泥中に撒き練る事で泥の流動は衰え
凝固していくらしいのだけれど、そもそも
南北だけで150オッピもある泥炭の海。
焼け石に水というか、気休めの類というか。
少なくとも泥炭に打ち立てる支柱の周囲が
ちょっと頑丈になる程度の効果を見込んで
のものだったのだけれど。
この90日間。
兎に角只管生真面目な
第一戦隊ビフレスト大隊の面々は。
毎日毎日来る日も来る日もせっせと
橋のたもとに三和土を撒いては捏ねてを
続けているらしくってね……
その執念の成果か泥炭の海の中央域を含む
架橋域一帯をガチガチに固めた上、大小の
湿原間での泥炭の流動をほぼ遮断して
しまったんだってさ」
サイアスは肩を竦めクスクスと笑い出し
一同は凄まじすぎる地道な努力の成果に
驚嘆するやら呆れるやら。
「そりゃ『継続は力なり』とは言うけれど。
一方で『ものには限度がある』とも言う。
でもその限度と言うヤツは、飽く迄
凡人にとってのものだったみたいだね……
いずれにせよ実際に結果を出した
のだから評価し賞賛するほかはない。
彼ら第一戦隊ビフレスト大隊は事実上
大小の湿原を分離してのけたんだ。
この事と我々がおこなった『魔笛作戦』
での小湿原を根城とする羽牙の殲滅が
相乗的に働いてね。
小湿原の水質が著しく向上しているとの
報告が上がっている。
三和土を中心とした堆積物が大小の湿原を
行き来する水を堰き止めつつ濾過し、また
百頭伯爵の屍骸であると思しき羽牙が激減。
これにより汚染源を失った小湿原は外縁部の
毒草によって。その実土壌の浄化を一手に
担っていた薬草によって着実に浄化が進み、
元々汚染の影響の少なかった小湿原中央域
から水質がよくなっているそうだよ。
ただこれには一つ懸念もあって。
実は北方河川の眷族が河川の中で横穴を
掘り進め小湿原と河川を繋いだんじゃないか
という意見もあるにはある。
とまれそうした諸々を鑑み、調査の人手を
入れる事にしたらしい。戦闘力を重視しない
調査人員は眷族からすれば格好の餌食。
なのでこれを守るべく我々が支援する。
そういう事になるかな」
こうしてサイアスは一通りの説明と
戦域図への書き込みを終えた。
「西手では二戦隊主催の攻撃任務に就き、
北手では一戦隊主催の防衛任務に参画する。
そういう事なのですね」
成程、と頷いてみせるディード。
「そうだね。現状私は兵団長であると同時に
第三戦隊長代行でもあるから、どちらに回る
場合でも弓兵や工兵を伴う事にはなるだろう。
また今回の任地はどちらも魔軍の引いた
新たな防衛線のこちら側となるけれど。
南西丘陵を拠点とする魔軍を飽く迄
奸智公爵に従う第三勢力であると見做した
場合、今回の敵は言わば荒野の魔軍の本隊
であるという事に。
特に河川の眷族は元々高い独自性を有して
いるのだから、戦略・戦術的にみて、さらに
合同作戦の一環として考えた場合、こちらの
作戦展開が連合軍を支援するどころかむしろ
負担を掛ける結果にならないとも限らない。
なので架橋作戦と同様にその辺りの
匙加減を考えつつ任に当たる必要もある」
城砦騎士団が担うのは飽く迄囮。
此度の二箇所の作戦も飽く迄囮
としておこなうのだとサイアスは語る。
もっとも手を抜いて取り組んだのでは
あっさり看破されるだけ。相手に確実に
喰らい付かせるには、こちら側の作戦を
迫真のものとして遂行しなければならない。
結果うっかり完遂したらそれは大変に
結構な事だ。架橋作戦がそうであったように。
サイアスの言はそうした点をも示唆していた。
「西か北か。私たちがどちらに回るかは
デレク様の率いる中隊との兼ね合いによる。
直前まで的を絞らせない方が効果的でもある。
どちらに出張る事になっても良いように
準備を整えておいてほしい」
一同は声を揃えて了解を告げ、
程なく午後の茶会は終了と相成った。




