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サイアスの千日物語  作者: Iz
第一楽章 荒野の学び舎
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サイアスの千日物語 三十二日目 その三

第三戦隊の営舎を出たサイアスは、自室のある第四戦隊の

営舎へと戻るべく、北へ向かって歩きだした。

既に時刻は3時に近く、一刻も早く寝ておきたいところだった。


営舎の正面中央にある出口から暫く北上したサイアスは、

前方右手の本城の陰にわずかな違和感を感じた。

さらに進むと幽かに違和感が立体感を帯び、

どうやら人が立っているらしいと感じるようになった。


得意の見て見ぬ振りで観察しておきたいところだが、

急いでいたし疲れてもいた。そこでサイアスは相手が

姿を晦ますことを期待して、敢えてそちらに意識を向けはじめた。

わざわざ陰に潜む様な手合いなら、ばれたと悟って逃げるだろう、と。


しかし人影は一向に去る気配がなく、サイアスがさらに近づくのを

待ち構えているようだった。それでいて本城の陰から出て

姿を見せる気もないようだった。


サイアスは軽く溜息を付くと、歩む速度はそのままに

人影との距離を目算し、歩数を調整しはじめた。

深夜ゆえ篝火の狭間は闇が深く、本城の西口が明るい分、

人影が潜んでいる辺りは塗りこめたような

闇色の暗さを保っていた。


一歩、一歩と近づくにつれ、サイアスの左手は腰へと伸びた。

そして繚星の鞘を掴み、親指で僅かに鞘から鍔を押し出した。

右手は未だ、歩むに任せて揺らしていた。


付近にはねっとりとした闇と重い静寂があった。

時折パチパチと篝火が弾ける音がした。

サイアスは人影まで七歩という辺りで相手の目的を暗殺と判断し、

次に出した右足で地を踏みしめ、やや腰を沈め、

すっと右手で繚星を迎えにいった。


しじまは淀みとなり、闇は歪みを増し、

刹那と永久はその差異を失った。サイアスの目は

もの言わぬ闇を静かに映し、人の姿をした闇は静かに

サイアスを見据えていた。


やがてサイアスは気配に微塵も殺気や敵意が

ないことを悟り、右手で繚星の柄頭を押さえた。

繚星はキン、と音を立てて眠りについた。


サイアスは人らしき影に向かって小さな包みを放った。

包みが地に落ちる音はしなかった。


「冷たいうちに」


サイアスは薄く笑んでそういうと、何事も無かったかのように

スタスタと第四戦隊の営舎へ戻っていった。


サイアスが放ったのは、第四戦隊の営舎を発つ直前まで

冷やしてあった、第四戦隊への餞別にと用意したデザートの残り。

自分用のとっておきだった。


「……ふふ」


暗がりに小さな声を残し、人らしき影もすっと消えていった。



午前九時過ぎ。第三戦隊営舎前広場に、補充兵の群れが集結していた。

サイアスが例によって兵士らと会釈を交わしつつやってくると、

早速ロイエが噛み付いてきた。


「サイアス! あんたのんびりしてるわね。

 こっちはとっくに営舎から追い出されたわよ」


兵士や新兵、見習いには時間を知らせず、

常に緊張感を持たせる方針だと聞いていたサイアスは、

自分が時計を持っていると話すとロイエがほぼ確実に

暴れ出すと見て、


「どうにも朝が苦手なもので」


と適当にお茶を濁しておいた。


「……あんた、何か隠してるでしょ」


野獣なみに鋭い直感でロイエが見抜き、腕組みしつつ、

ズズイとサイアスに顔を近づけてきた。サイアスは首を傾げて

肩を竦めつつ、腰の袋から赤い実を取り出し、

ロイエの眼前に差し出した。


「……何よそれ」


「カエリアの実。赤いのはとても甘くて瑞々し……」


サイアスが説明をし終える前にロイエは赤い実を奪い取って口に入れた。


「んー、あまー」


ロイエはうっとりと果実の甘みを堪能していた。

サイアスはその隙にさっさと広場の中央へと去った。


「よぅ歌姫ちゃん。朝っぱらから猛獣の餌やりとは大変だねぇ」


次は件の騒がしい男が絡んできた。


「消息不明者だったのでは……」


サイアスは残念そうに願望を呟いた。


「ん? なんだよそれ…… って営舎の不埒者の件か?

 俺はこう見えても紳士だからな。

 女性を傷つけるようなことはしないって!」


男は頭の後ろで手を組んで、ふんぞり返ってそう言った。

そしてそのままズドンと背後に引き倒された。


「誰が猛獣だってのよ!」


すっ飛んできて奇襲したロイエが怒鳴りつけた。

が、男は既にどこぞへ姿を消していた。敏捷の数値もかなりのものらしい。

騒がしく、しぶとく、そして素早い。

サイアスは不覚にも、とある虫を連想してしまった。

サイアスは見所のある人材のことごとくが

どこかしら問題のある人格を備えていることについて、

自分を棚上げして嘆いていた。


カンカン、カンカン、カンカン。


鐘の音が響き渡り、補充兵の群れはやや身を引き締めた。

前方の営舎から教官らしき人の群れが出てきた。

そして訓練課程二日目、午前の部が始まった。

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