サイアスの千日物語 三十二日目
夜半、サイアスは第四戦隊の営舎を発ち、本城を越えて
第三戦隊の営舎前広場へと向かった。
城砦内には無数の篝火が焚かれ、空が暗い以外は
日中より遥かに日中らしかった。
第一、第二戦隊は夜間から明け方にかけての任務が大半なため、
城砦では今が最も活気のある時間帯といえた。
サイアスが広場に着くと、数名の補充兵が土壁に向かって
槍を投げ込んでいた。玻璃の珠時計を取り出して確認すると、
今は1時半というところだった。時間帯からみても、自主的な鍛錬に
精を出す者たちだろう。サイアスは早速様子を窺うことにした。
すると投てきにあたっている数名の中に
一際目立つ者が2名いた。サイアスはそちらを注視した。
一人は大柄な補充兵の男で、歳の頃は件の騒がしい男より
少し上といった辺り。表情は穏やかで憂いに満ち、
全身から育ちの良さ、人の良さが滲み出ていた。
身なりも件の騒がしい男ほどではないものの良質であったが、
かなりくすんで傷みも激しいようだった。
サイアスは午後の訓練で見かけたときのことを思い返していた。
この男は確か不適格者の中にいた、そんな気がしたのだ。
午後不適格とされたのは膂力10に満たないとされた者たちであり、
鉄の手槍を一つも土壁に刺せなかったはずだが、
今目の前にいる男は、ゆるゆると一つ一つの動作を確認しつつ、
かなりおっとりと間を空けつつではあるが、15の槍を飛ばしていた。
サイアスはやや怪訝な表情をしながらも、もう一人の方を見やった。
そちらはサイアスよりやや大柄な女性で、キビキビと無駄のない
立ち居振る舞いは職業兵士のそれであり、同時にかなり
気の強そうな印象を受けた。おそらく志願兵らしきその女性は、
高く結い上げた金色の髪を派手に振りつつ
土壁に14の槍をかなりの速度で撃ち込んでいた。
その様は膂力を確かめているというより、むしろ土壁を貫こうと
躍起になっているように見受けられた。
他の数名はこの2名を遠巻きに眺めつつ、時折槍を手にしては土壁
目掛けて投てきしていた。2名に触発されたかもしくは巻き込まれたか、
そういった印象をサイアスは受けた。
暫く見ていると、サイアスの視線にまず女性の方が気付いた。
そしてサイアスを見据えるや、ズンズンと敵に切り込むが如く迫ってきた。
なぜか殺気立っており、初日に感じた志願兵の群れからの気配の一つ
はこれだったのではないか、とサイアスは感じていた。
黒のガンビスンに薄茶のホーズを身に着けたその女性は、
大柄だがゴツくは無く割合に繊細な身体つきをしており、
眉を吊り上げ怒る顔は美人の範疇に含まれるかもしれない、
とサイアスには思われた。もっともすぐにそれどころではなくなった。
「ちょっとあんた! どういうこと!」
サイアスはいきなり怒鳴り付けられた。
しかも内容が要領を得ず、取り立てて返答のしようがなかった。
サイアスは怪訝な表情で目の前の女を見つめた。
「なによ! 返事する気もないっての? 馬鹿にするのも大概に……」
そこまで吠えたところで、何故か途端に大人しくなった。
この手の類が急に黙るのは、自身より強い者が現われた場合のみ。
サイアスは周囲を見渡したが、特に人影はないようだった。
マナサ様でも出たかな、などと思いつつふと女の視線の先である
自分の胸元を見下ろすと、上部をやや開けたガンビスンから
城砦兵士の認識票がこぼれ、キラキラと光を放っていた。
「あぁ、上官不敬だね……
サイアスさんの所属は第四戦隊で階級は兵士。
つまり城砦兵士長かな? 見習いから見れば3階級上か。
いやはやロイエも恐れ知らずな……」
おっとり刀でやってきた大柄の男がそう言った。
城砦の兵制に詳しいようだ。着衣からいってもそれなりの
立場にあったものではないか、とサイアスは推測した。
「う、うるさいわね!
知らなかったんだからしょうがないでしょ……」
ロイエと呼ばれた女は虚勢を張りつつもすこぶるバツが悪そうだった。
認識票や階級へのこうした露骨な反応は、この女がどこかの軍
に所属していた可能性を色濃く示していた。
「お知り合いですか?」
サイアスはロイエと呼ばれた女を無視し、大柄の男に話しかけた。
ロイエは早速憤慨し、男はややバツが悪そうに、言葉を選んで話し始めた。
「すみません、赦してやってくれませんか。
彼女はうちが契約していた傭兵団の長の娘さんで、
野盗の群れに襲われてうちと傭兵団がダメになった後、
いっそ城砦兵士にならないかと誘ってくれた恩人なんです」
無数の背景を示唆する言葉であった。平原もかなり東方となると、
魔が出ない分、人同士の諍いがかなりあると聞いていた。
男の身なりが良い理由も察しが付き、サイアスは深く頷いた。
「そうでしたか、それは災難でした。
ともあれ、彼女について、私から何か
罪に問うようなことはしませんので、ご安心ください」
咎めが無いと判ると、ロイエは途端に元気になった。
「当然よ! そっちが悪いんだから!」
「……」
大柄の男の無言の抗議を受け、ロイエは再び大人しくなった。
感情の起伏が激しく、勢いで行動するタイプらしかった。
「私に非があると言うのであれば、まずはそれが判るように
順を追って説明して貰えますか」
とサイアスはロイエに抑揚の無い声で言い、何で私が、と
顔に出しているロイエに向かって、さらに一言付け加えた。
「上官命令です」
ロイエは心底悔しそうな顔をした。




