サイアスの千日物語 二十五日目
翌日未明。
まだ夜も明けやらぬその頃に
サイアスは宿を引き払い市街へと出た。
見上げた夜空には満天の星。
煌びやかなこの空は平原と荒野の別なく
どこまでも遠く広がっているのだろうか。
それとも荒野の空は別なのか。
そうしたとりとめもない思いを抱き、
サイアスは時折背にした長剣に手をやった。
一人で夜道を歩くのは初めての事。
しかし不思議と違和感はなかった。
魔や眷属は夜に跋扈する。これより先、
陽の光より星の輝きを標として
力尽き、屍となるまで戦い続けることになる。
満天の星空は自身を見守り慈しむ眼差し。
サイアスはそのように感じていた。
市街を抜け西に向かい、やがて西の城門に至った
サイアスは、詰め所を中心に大勢が動き、
準備にあたっているのを見てとった。
先日夕刻訪れた際とは、人の質が異なっていた。
口数が少なく動きに無駄がなく。そして
その大半が鈍色をしていた。
何名かは甲冑の上にさらに衣を纏っており、
そこには剣を幹に見立てた果樹の紋章があった。
徐々に距離の詰まるそうした人の群れを
興味深げにサイアスが眺めていると、
気付いたらしき数名のうちから一人が
サイアスへと歩み寄り声をかけてきた。
「君がサイアスだな。
私はカエリア王立騎士団のラグナ」
伯父グラドゥスと同年代であろうか。
他の者と異なりラグナと名乗った人物は
甲冑の上にマントを羽織っていた。
「お初にお目に掛かります。
サイアスと申します。
この度は宜しくお願い致します」
サイアスはやや怪訝な顔をしつつも
そう挨拶をした。
「ふむ…… あぁ、所属が気になるのか?
中央城砦には二つの師団が駐留しているのだよ。
城砦兵士及び騎士からなる城砦騎士団と、
西方諸国連合各国から半年ずつ交代で派遣される
駐留騎士団。常備軍のある国はこれである程度
兵士提供義務を賄っている」
サイアスの意図を読んだらしく
ラグナは手早く事情を説明した。
カエリア王国は平原中央に縦並びな三つの大国
すなわち三大国家のうち北の一国であり、
騎兵隊の精強さは平原全土に知れ渡っていた。
当節常備軍を有する国家は非常に少ない。
そもそも国家と呼べる水準の人口を有する
生活圏それ自体が少なかった。
「駐留騎士団は自国と城砦とを行き来するのでね、
城砦騎士団よりも旅装や行軍に長けている。
それゆえ輸送任務に最適なのだよ」
ラグナは部下に指示を与えながら
サイアスを伴い奥へと進み、語った。
「まもなく出発だが、良いかな」
ラグナは大国の騎士ながら、
ほんの少年に過ぎぬサイアスに対し
欠片も気取り威張るところがなかった。
「いつでも行けます」
サイアスは即答してみせた。
が、ラグナは何やら思案している。
視線はサイアスの背中を見据えていた。
「ふむ、その剣はよくないな……
日中行軍とは言え、魔や眷属の襲撃がないとは
言い切れないのだ。ちょっと待っていたまえ」
そういうとラグナはサイアスを留め、
至極自然な挙措で詰め所へと消えた。
暫しの後戻ってきたラグナは、
その手にベルト留めされた剣を持っていた。
「うちの隊の予備だ。使うといい」
「ありがとうございます」
サイアスは礼を述べベルトごと剣を受け取ると
留め金を外し手にとってみた。
片手用、切っ先のみ両刃な片刃の直剣で
刃の無い側はやや分厚い。厚みが背中に似ている
ため、バックソードと呼ばれる剣だった。
自前の剣と比べると護拳が大きく
拳全体を覆っており、刃も指一本分は幅広で
厚身もあった。切れ味より耐久性重視な趣だ。
長さは自前のものより短めであり、
刃長は肘から伸ばした指先までより少し長い程度。
厚みがある分重いはずだが総じて調子がよく
重さの違いは感じ難かった。
剣に見入り吟味するサイアスの様に目を細め、
「輸送部隊は敵の殲滅を目的としていない。
積荷を守って逃げ切るのが正解だ。
だから剣も専ら防御用なのだよ。
敵目掛けて振り回すより、バックラー同様
迫る攻撃を弾くように使うといい」
ラグナは然様に説明し、さらにバックラーも
一つ用意してくれた。こちらもやや大きめで
厚重ねだ。そして手にした実重量はともかく
体感では剣と全く同じ重さをしていた。
つまり完全に調整されたものであった。
「君には隊列中央の馬車の荷台に
積荷と共に乗って貰うことになる。
君以外にも数名が同乗する。
そして万一襲撃があった際には、
積極的な応戦はせず、敵の攻撃を打ち払い
積荷を守り、速度を保って駆け抜けることになる。
その際には君も、守りの人数として
当てにさせて貰うぞ」
見るからに華奢な、
到底戦で用を成さぬような少年に対し
ラグナは戦力として用いる旨を宣告した。
「はい」
サイアスは欠片の躊躇も狼狽も見せず、
静かに応えて与えられた騎士団の剣を佩いた。
「まぁそうある事ではないさ。
油断さえしなければ大丈夫だ」
ラグナはその様にかすかに笑んだ。
「ではそろそろ行くか」
と振り返った先には30名ほどの騎士たちが
威儀を正して整列していた。槍や弓を持つ者も
いるが、総員サイアスが受け取ったものと
同じ剣を佩いていた。
さらに後方には十数頭の軍馬。
そして四頭立ての飛び切り大きな荷馬車が3台。
荷馬車に屋根や幌は無く、特大の荷台には
うず高く物資が積み上げられていた。
積荷の前後左右には武装した騎士1名が
留まるに十分な空隙が用意されていた。
そこに騎士が搭乗するのだろう。サイアスもだ。
先頭に騎馬2、少し下がって騎馬のラグナと部下4。
さらに荷馬車が3台続き、それぞれに6名搭乗する。
後方には換え馬4頭と騎馬2。別働隊として
3騎が偵察を担う。随伴する歩兵は一人も居らず、
常に騎馬の速度で進むようだ。
サイアスはこれほどの数の騎士や馬を
これほど間近で見た経験がなかった。
死地へと赴く危険な旅路であることは百も承知。
だがそれでも、今は恐怖より興奮が勝っていた。
アウクシリウムの西城門、
平原西方の荒野の側へと面したその門の脇から
兵士の一人が一声叫んだ。
「開門します!」
巨大な鉄製の扉が音を立て開いていく。
徐々に視界を開け放ち、やがて鳴りを潜めた
城門とその前途を見やりラグナは頷いた。
そして良く通る声で号令を下した。
「進発する!」
輸送部隊は静かに応じ、白み始めた空を背に
荒野へと、中央城砦へと向かう行軍を開始した。