サイアスの千日物語 三十一日目 その十四
本城の西口から現われたサイアスが
城砦兵士の只中へと分け入るようにして歩いていくと、
その場に居た200名を超える人々の視線が
一斉にサイアスへと降り注いだ。
作業を終え撤収しつつあった兵士たちは
単純な誰何のためにサイアスを見やり、件の歌姫だと気付いた者は
笑顔を向けたり挨拶を投げかけたりと、概ね好意的な態度を示した。
サイアスは兵士たちに会釈をしつつ、その歩みをさらに奥へと進めた。
本城を背に陣取って広場の様子を窺っていた、志願兵と思しき集団は、
兵士の合間を抜けていくサイアスの装備の痛み具合を観察し、
腕の程を値踏みしているようだった。
サイアスは特に見やることも気にすることもしなかった。
広場の中央で不安げに佇む、純粋な補充兵と思われる集団は、
感情を顕著に表してサイアスを見ていた。傷んだ装備に荒野の戦闘の
苛烈さを見、遠からず己が身に襲いくる魔や眷属の歯牙に怯える者。
サイアスにただならぬ威圧感を感じ、訳も判らず怯え竦む者。
彼らは望んで荒野までやってきた訳ではないため、不安や恐怖、
焦燥といったあらゆる負の感情に蝕まれ、救いを求めている風だった。
生き残る術があるなら何としてでも学びたい。そういった理由から
サイアスに視線を投げかける者も少なくなかった。
サイアスはこれも無視して奥へ奥へと進んでいった。
広場のやや南方で一塊になっている傭兵団とおぼしき集団の反応は、
他の集団に輪を掛けて露骨だった。誰もが兵士とサイアスの関係を推測し、
装備の具合で戦力を読み、さらに、味方か敵かを
見極めようとしている風だった。
あれは戦場の視線だ、とサイアスは感じた。そして30余名のその群れが
一つの戦闘集団であろうことに、さらなる確信を抱くこととなった。
サイアスはできそこないや大ヒルに対したように、
視線を向けずに横目で捉えつつ進んだ。
200余名の様々な思惑に満ちた視線がサイアスに投げかけられていたが、
視線自体はサイアスにとって、取るに足らないものでしかなかった。
眷属や大ヒルからの明確な殺意を浴びて戦った身にとって、
この程度は春先の小雨のごとき心地よい類のものであった。
だが、そうした視線に潜むようにして、抜き身の刃のごとき気配が
複数向けられていることにサイアスは気付いた。魔か眷属かと
疑う程のそれらは、むしろ気付けと言わんばかりに
強烈にサイアスを殴りつけていた。
気配は志願兵の群れから二つ、補充兵の群れから一つ。
そして今一つは広場の外れ、
影に染みこむように立つ孤影から発せられていた。
遠からず、これらの気配は間近に迫り、
直に接触してくるだろう。そして何らかの形で対峙し、
何らかの結論を得ることになる。サイアスはそのように直感していた。
ともあれ周囲の状況をよそにスタスタと歩み続けたサイアスは、
営舎前広場のほぼ中央、営舎の真正面までやってきて足をとめた。
そこからわずかに南西に進むと、指揮壇らしき台座がある。
おそらくはここが入砦式の最前列だろうとサイアスは見て取った。
サイアスの様子を遠巻きに見つめていた補充兵の集団は、
サイアスが動きをとめたのをみて、徐々にそばへと近寄ってきた。
近寄る中に殺気のような気配を放つものはおらず、サイアスは一旦
気配を追うのをやめた。そして恐る恐る話しかけてくる補充兵たちと
暫し言葉を交わすことにした。
「なぁ、アンタ…… アンタも補充兵か?」
補充兵の一人が震える声でそう尋ねてきた。
「サイアスと言います。宜しく」
サイアスは普段どおりの口調で答えた。
「なんか剣折れてるし、他もボロボロだけど……」
「昨日戦闘に参加しました」
「えっ、戦闘って!?」
「私は数日前に到着していたので、
戦隊に混じって戦闘経験を積ませて貰っていました」
皆、とにかく不安で仕方ないのだろう。そう思ったサイアスは、
口調こそ普段どおりの抑揚の弱いものであったが、それでもいちいち
話しかけてくる者に向き直り、目を見つめ、言い聞かせるように
言葉を交わした。
すると堤が決壊したかのように、どっと補充兵たちが
押し寄せて、我先にと話しかけてきた。サイアスは可能な限り
一人ひとりに丁寧な受け答えを繰り返していたが、
そこに場違いな程陽気な声が飛び込んできた。
「よう、あんたが『誓いの歌姫』かい? 早速一曲歌ってくれよ」
サイアスはつい、声がした方をジト目で見やってしまった。
それに怯え、さっと潮が引くように人だかりが溶け、
中から二十歳前後の一人の男を吐き出した。
「うぉっ!? そんな目で見るなよ。怖い怖い」
口では怖いと言いつつも、顔はヘラヘラと笑っていた。
そしてその目はさして笑っていなかった。
この在り様は、デレク様に似ている。サイアスはそのように感じていた。
そして、それなら十中八九曲者だ、とデレクが抗議しそうな結論を得た。
その男は他の補充兵と同様、格別の武装をしていなかったが、
着ている物はかなり上等で、腰には装飾的な護拳を持つ細身の
剣とダガーを吊るしていた。肩にはケープを片脱ぎにし、
右手の指で顎をなでつつサイアスの様子を窺っていた。
男がサイアスに向かってさらに口を開こうとした丁度そのとき、
甲高い鐘の音が聞こえてきた。
カンカン、カンカン、カンカン。
僅かな間隔をあけて鐘は二連打を三回響かせ、
広場に集まる人々に、入砦式の開始時刻が訪れたことを知らしめた。
サイアスは眼前の男のことは綺麗さっぱり忘れることにして、
南西の指揮壇の方へと向き直った。




